
父は昔、山登りが好きだった。
登山用のごつくて重い「キャラバン・シューズ」を、自分のものを1足、そして子供用を1足持っていた。子供用は、兄弟兼用で、分厚い登山靴下を履くことでアバウトなサイズで共用する事ができたのであろう。
家族でハイキング程度の山に登ったりもしたが、私はよく高山病にやられたりした。
私が小学校4年くらいの時であろうか。父は毎週末、兄弟のうちのひとりを順番に連れて山に行くことにした。
私の番もやってきた。道のない草がボウボウに生えたところを歩いて、がけのようなところを降りたか登ったかした。もちろん私は半べそをかきながら、なんでこんなことをしなきゃいけないのか、と辛かった。
父はこの時の話をするのに「いや~、一番弱い子の時に一番大変なコースになっちゃった」と楽しそうに語っていたが。
少し古い日本映画を見るようになって、父の若かった時代には、山登りが一つの流行であったことを知った。
子供の私には辛い登山だったが、父にとっては子供と一緒に趣味を楽しみたいという思いだったのだろう。
私がランニングの大会を走るのに、息子も連れて行くのと同じなのだろう。先日も、私の10kmに付き合って息子は10kmを完走した。親の好きなことを子供も好きになって一緒にできたら嬉しい。父も同じだったのだろう。
私は、父に似ている。例えば、お茶を入れるのにお湯を沸かす時、その場でじっとやかんを見つめて待っている。そういう自分の姿にふと気がついた時、父も同じようにしていて、母に「じっと見てても早く沸くわけじゃないんだから、その間に何かできるでしょ」とよく言われていた事を思い出して苦笑した。
そういう、ちょっとした瞬間に、ああ、これは父もそうだったと思う事がよくあるのである。
父は、よくだじゃれを言った。今でいう「オヤジギャグ」である。
朝は早朝から出社し、帰宅はいつも遅かった。家で「サントリー・レッド」を飲むのが唯一の息抜きなったのかも知れない。そんな忙しい毎日を、だじゃれで笑って楽しく過ごすという、ある種の生活の術だったのだろうか。
私の息子はコメディーが好きである。将来コメディアンになりたいとさえ言っていたりする。
私は性格がどこか父に似ていて、息子には「こんなとこ自分に似てるよなあ」と思う事がよくある。
父のDNAは、私を経て、息子にも受け継がれているのであろう。
父の日。おとうさん、ありがとう。
本日のTシャツは、遠い日の父との登山を思い出しながら、「富士山登頂記念Tシャツ」。
これは私が登ったのでなく、夫が「日本にいる間にしなければいけないこと」の一つとして登頂し、お土産に買ってきてくれた物。
そういえば、富士山を走って登る大会があったなあ。私にはとても参加できなかったけど。