
16年前の5月19日。私が初めて手にした、完走Tシャツ。
私の初ランニング大会出場は、グァム・マラソンの10kmの部だった。
なぜわざわざ遠いグァムが初大会になったのかというと、走り初めて「そろそろ大会に出たい」と思った時期が、ちょうどラマソンシーズンの終わり時期で、大会がないか、あってもとっくにエントリー締め切りになっていたのだった。
そこに見つけたのが「グァム・マラソン」
マラソン、というのは普通42.195kmのことを言う。
しかし、日本では広い意味で、長距離であればマラソンという言葉が使われている。このグァム・マラソン、JALが主催しほとんどのランナーが日本から走りに行く大会で、「日本の大会」なのであろう。種目は4人でフルマラソンの距離を走るリレー、30km、10kmの3種で、誰もフルマラソンの距離を走らないのに「マラソン」の名称が使われている。
初めての大会なので、私は10kmに参加した。
時期的にこの大会しかなかったのと同時に、私がこの大会を選んだ理由は、この大会、10kmを走っても「完走Tシャツ」と「完走メダル」が授与されるからだった。10kmで完走Tシャツが出るのは珍しい。その後の16年で私が走った中でも、完走Tシャツはハーフマラソンかフルマラソンでしかない。
お金では買えないTシャツを目指して走り始めた私は、完走Tシャツもあるのなら、10km走るためだけでもグァムに行っても良いと思ったのだ。
初めて走った大会の10kmは、最後に登りがあり、そこがとても苦しかった印象だけが強く残っている。目標としていたタイムには1分及ばずに終わった事もあるからであろう。
もう一つ残念なことだが、この大会中、日本から走りに来た女性の方がひとり亡くなられた。確かスポーツクラブのインストラクターだか、日ごろから運動はされていた若い方だった。ただ走るだけ、泳いでいて溺れたり、自転車が転倒したりすることもないランニングは安全だと思っていたが、何が起るかわからない、ランニング甘くみないように心して臨まねば、と考えさせられたのだった。
人生で初めて手にした完走Tシャツ。やはりとても嬉しかった。その後ランニングではたくさんのTシャツを手にする事になるが、この最初の1枚は、やはり思い出深いシャツの1枚だ。
あの日から今日で16年。私はまだなんとか走り続けている。走れる健康でいられたことに感謝。
(写真の色が裏表で違って出てしまっているが、表面写真のほうが実際に近い色)