クリバン・ママ猫 T | 今日もTシャツ@TEXAS

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コレクションのTシャツのリスト作りも兼ねて毎日1枚づつにスポットをあてて掲載。Tシャツ掲載終了後はピンズのコレクションへと移行、続いて「貯まってしまったこんなもの」を掲載しつつ、日々の呟きを。→ほぼTシャツブログに戻りました。基本ランニング関連です。

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母の日。 お母さんありがとう。

子供の頃から母が大好きだった。
小学校低学年の時、いとこが他界した。初めて「死」というものに身近に遭遇し、人間とはいったいどうして存在しているのか、そういう大きなわからない事をあれこれ考え込んだ。もちろん子供の頭では考えたところで何もわからず、ただ、誰もがいつかは必ず死ぬという事実に気がついた。気が付いて怖かったのは、自分もいつかは・・という事でなく、母がいつかはいなくなるのは嫌だということだった。大好きな母がいなくなってはダメなのだ。

そんな私も、思春期には家族といるより友達といたいと思った。親が、家族がいやなのでなく、なんだか「家族と一緒」が気恥ずかしいと思えたのだ。今思えば、こういうのは親から巣立つ準備だったのだと思う。大好きな母だからこそ、いつまでも頼って一緒にはいられないのだと。
♪母と子の心 遠く離れて いつのまにか絆が二つに切れてゆく♪
サイモンとガーファンクルの「母と子の絆」をステージ101では和訳でこう歌った。こんな歌がかっこいいと思った。今となっては「若い時は親から離れていくのがかっこいいと思えたんだなあ」と遠くを見るような気分になる。

思えば、母の子育ては、私がひとり立ちできるようきちんと軌道を作ってくれていたように思う。
例えば、中学でクラブ活動を選ぶ時。私は文科系の音楽系クラブに引かれていたが、母が言った。「大人になって働いていくには弱い体力じゃあやっていけない。あなたは弱いんだから、スポーツ系にはいって元気になった方がいい」。スポーツは嫌いだったが、母のいう事は説得力があった。私は仕方なく、一番仲の良かった友達が入ると言ったスポーツのクラブに入部した。もちろんそのクラブでは下手で活躍などしなかったが、あとでこの時のことを思い出すたび、「母は正解だった」と感謝する。たくさんの事をクラブでスポーツをした事で得ることになった。
そんなふうに、母はいつもさらりと、しかし繰り返し、私の弱点を指摘し指標を示してくれた。

きちんと、感謝を言葉で言うのは照れるので言えないが、エスパーな母に、私の思いがビビッ!と伝わっている事を願う。

結婚したが、私が「お母さん」と呼べるのは母だけだ。
夫のお母さんは、結婚当初に私に告げた。「私の事はおかあさんと呼ばないでね。あなたのお母さんは、お母さんだけなんだから。私の事は名前で呼んでね。」それは「私はあなたの母ではない」という冷たい意味ではなく、「あなたのお母さんは、あなたのお母さんだけ。実の母を大切に敬いなさい」という事だ。
義母さんはお姑さんとの間で苦労されたらしい。義理の母を何と呼んでいいのかすら困ったという。「自分が困ったから、あなたには同じ思いをさせないよう、私の方から、こう呼んでね、とまず言っておくわ」と。なので、義理の母を「おかあさん」とは呼んでいない。

それは良いのだが、いまだに義理の母を名前呼び捨てで呼ぶのは躊躇してしまい、呼びにくい。例えば、義母の名前が「オードリー・ヘップバーン」だとすると、「オードリー、元気?」と話しかけるのだ。日本人の私にはものすごい違和感である。

母の日の本日のTシャツは、クリバン・キャットの「MOM CAT」Tシャツ。自由が丘の「CRAZY SHIRT」で、多分夫が購入してくれたのだと思う。「CRAZY SHIRTS」ができた頃、店の前を毎日通っていたので、自分で買ったような気もするが・・。この自由が丘店、今は既に閉店したはず。
シャツ前面の母猫が私の母で、裏面の母猫が私。

♪どんなに街から離れて住んでても 心に優しい ママあなたがいる♪
♪ママ ありがとう♪ 
ステージ101版「ママに捧げる詩」。歌っていたのは西玲子。