僕はYG社屋の窓を開けて雲一つない星空を見上げた。僕が息をするたびに濃紺の空に白い靄がゆらゆらと広がり消えていく。
「もう、冬だね」
僕は自分の後ろでジッポの蓋をあける音が聞こえて振り向くとそれと同時にガスの匂いが僕の鼻まで届きその匂いに鼻をすんと鳴らした。ジヨンヒョンはこちらを見ずに「そうだな」と小さく返事をして言葉を続けた。
「テソン、寒みぃから閉めて」
そう言われて僕は窓閉め、ヒョンの隣の椅子に座った。ヒョンは火のついた煙草を口に咥えて両手でパソコンのキーボードをカタカタと鳴らしていた。
「ヒョンはまだ帰らないの?」
僕が尋ねるとヒョンはパソコンの画面から視線を外しチラリと僕の方を見て「うん」と頷くとまたパソコンの画面に視線を戻した。
「泊まるの?」
「うん、だから別に俺の事は気にしないで帰ってもいいぞ」
僕は「わかった」と返事をして部屋のソファに置いている上着を手に取るとそれに腕を通した。
「ヒョン、明かりはどうする?」
入り口の所にある調光のスイッチを摘むとヒョンの方を見つめて尋ねた。
ヒョンが少し暗めの部屋で作業をするのが好きなのを知ってる。ただ僕がいる間は気をつかって明るくしてくれていから少しでもヒョンが落ち着いて作業ができるようにしてあげたかった。
「あぁ、じゃあ少し暗めに」
「了解」
僕は部屋の灯りを少しだけ落として「じゃあ、お疲れ様」と言葉を残し部屋を後にした。
* * * *
自分の家に戻ると無人だった部屋はグッと冷え込んでいて僕はリビングのテーブルの上にあるリモコンを手に取り暖房のスイッチを押した。そして、そのままソファに座り込むと部屋が暖まるのを静かに待った。部屋の中はしんと静まり返っていてそんな中で僕は今日、事務所から帰る時のジヨンヒョンの背中を思い出していた。
このみちゃんと別れてから日に日にヒョンの瞳から光が消えていくのがわかった。これは僕だけじゃなくて僕以外のメンバーやヒョンに近しい人達はみんな気がついている。だけど、どうする事も出来ないし、何もしてあげられないのもみんなわかっていた。
僕は一度ヒョンを「少しでも気持ちが楽になるから」と教会に誘った事がある。その時のヒョンの返事が未だに僕の脳裏に深く刻まれ記憶に残っている。
「楽になんて、なりたくねぇから…」
自分はなんて非力な人間なのだろうと思う。大切で尊敬する人が苦しんでいるのに、ただ祈る事しかできないなんて…
それに最近よく耳にする言葉がある。
「最近のGDの笑った顔っていいよね」
芸能界の内外問わず、誰しもがそう口にする。確かにジヨンヒョンは最近、ステージでもよく笑った顔をする。
だけど、そんなヒョンを見るたびに僕は心が痛くなるんだ。
笑ってる?ジヨンヒョンは笑ってなんかいないよ。泣いているよ、悲痛なほどに。
僕は誰もいない部屋で大きく溜息をついた。
あの日、僕たちの前で泣いたヒョンはとても小さな声で「さよなら」と呟いていた。僕らはそんなヒョンの姿を見るのは初めてで声をかける事さえも出来ずにただ見つめる事しかできなかった。そして、ヒョンは一頻り泣いた後、顔を上げて「ごめんな」と言って笑って見せた。僕はその笑顔を見て胸の中から込み上げる悲しさをグッと堪えたんだ。だってヒョンはあの日からずっと[いつも通り]を演じてるから…
二人が別れる事になった原因は僕には解らない。だけど、あの二人の気持ちがお互い離れたとも到底思えない。
僕は彼女が側にいる時のヒョンの笑顔がとても好きだった。
二人から溢れでる幸せな空気感がとても好きだった。
あの頃の笑顔をもう一度、見せて欲しい。
ヒョンに心から笑って欲しい。
だけど僕がそう願ったところで何も変わらない。きっとそれができるのはたった一人だけ…それなのに、もう彼女はヒョンの側にいない。
「どうしたらいいんだ…?」
もうすぐ日本でのコンサートツアーが始まる。空いた時間は自由に使えるからその時間で彼女に会いに行こうか…だけどそんな勝手をしたらヒョンは良い気はしないかもしれない…
「…はぁ…どうしたらいいんだよ…」
幾ら考えあぐねても何も答えの出ない僕はソファの背もたれに首を預けて自分の部屋の天井を見つめた。
僕が一人で考えていても埒があかない。
僕はおもむろに頭を上げて自分のバックの中に手を入れ目当ての物を探す。だがそれは中々見当たらず僕はバックを目の前まで持ってきて中を覗き込んだ。
「最悪…携帯、忘れた」
そう吐き捨ててソファから立ち上がり車の鍵を手にして僕は玄関のドアを荒々しく開けるとそのままのマンションの駐車場へと向かった。
* * * *
事務所に着くと先ほどまでヒョンが作業していた部屋は僕が帰る時よりも更に暗くなっていた。僕はドアを静かに開けて中の様子を伺った。開けているドアの入口から廊下の光が部屋の中へと射し込んで薄っすらと中の様子が伺えた。パソコンの電源は入っているがその前にいるはずのヒョンの姿が見当たらない。僕はゆっくりと中に入り足を進めた。
「…んぅ…」
声が聞こえた方を見ると部屋のソファでジヨンヒョンは身体をまるで猫のように丸めて横になっていた。その様子から察するにどうやら眠ってしまっているみたいだった。
僕はヒョンを起こさないように静かに進み机の上に置きっぱなしにされた自分の携帯を手に取ると部屋を出ようとそっと入口の方へと向かった。
「……っく…こ…のみ……っ」
僕の身体は固まり視線はヒョンの姿に捕らわれた。入口から入る光に反射してヒョンの目尻から流れるそれだけがはっきりと暗闇の中で映し出されていた。
そんなヒョンの姿を見てどうしたらいいのかと迷いあぐねていた僕の心は一つの道を見つけた。
ヒョンの心を救うには、またヒョンの瞳に光を宿らせる為にはこの道しかないんだということに今、はっきりと気がついた。
僕の心は決まった。
どんなにヒョンに余計なお世話だと怒鳴られても構わない。周りにお前が出しゃばることじゃないと言われても構わないよ。
僕はただヒョンの苦しみを少しでも取り除いてあげたいだけなんだ。少しでも可能性があるならその事に賭けてみたい。
僕は眠るヒョンにそっとブランケットを被せてそのまま静かに部屋を後にした。
if you 第27話 fin.