目覚めるとそこは見覚えのある天井だった。
俺は体を起こして辺りを見渡した。
カーテンの隙間から漏れだす陽の光が部屋の空気中に舞う微細な埃に反射してその空間をキラキラと飾り立てている。その流れる空気を見つめて自分の記憶を辿る。だけど、どうしても思い出せなかった。どうやって韓国に戻ったのか、どうやって自分の家に辿り着いたのか、何一つ思い出せない。ただ一つ覚えているのはこのみにさよならを告げられた事だけだ。
俺は枕元に乱雑に置かれている携帯に手を伸ばした。待ち受けの画面にはこちらに向かい微笑むこのみの姿が写し出されていた。それを静かに見つめているとギィと音を立てて部屋の扉が開いた。
「ヒョン、大丈夫?」
声がした方に俺は視線を向けると、スンリが扉越しにこちらの様子をを伺っていた。
俺は「…あぁ」と短く頷きこめかみの辺りに手を添えると部屋に入っていいものか迷っているスンリに「入れよ」と言って首を傾けた。スンリはゆっくりと部屋に入って来る。さっきは扉が半分しか開いてなくて気がつかなかったが後ろからテソンも一緒に心配そうな面持ちでこちらを見つめながら静かに入ってきた。
二人はベッドの側に置いてある椅子に腰を預けた。スンリが俺の方を見つめて話し始める。
「さっきまで、ヨンベヒョンも居たんだけど、仕事があるからって…」
「そっか」
「 タッピョンは仕事で海外に行ってるから…でも、みんな心配してたよ」
その会話の間にもテソンは俺とスンリの顔を交互に見つめて静かに俺たちの話を聞いている様子だった。
「…ジヨンヒョン、昨日 空港で倒れたんだよ」
「え?」
俺はこちらを見つめるスンリに視線を合わせた。
「韓国の空港で倒れたんだ。空港のスタッフが救急車を呼ぼうとしたけど倒れてたのがヒョンだったから、騒ぎを大きくしない方がいいんじゃないかって思ったらしくて事務所に連絡が来たんだ。それでスタッフが慌てて迎えに行ったんだよ」
「そっか、悪かったな」
スンリは首を横に振ると「構わないよ」と言って微笑んだ。俺はスンリに笑みを返しスンリの隣で俺を見つめているテソンにも視線を合わせて「悪かった」と謝った。
テソンは静かに頷くと俺の目をまっすぐと見つめて口を開いた。その表情にいつもの明るい笑顔は無い。
「ヒョン、ちょっと話したいんだけど大丈夫?」
テソンがそう言うとスンリはそっと立ち上がり「何か温かい飲み物でも持ってくるよ」と言いながら席を離れた。テソンは「ありがとう」と言って微笑むとスンリも小さく頷きながら笑顔を返して部屋を後にした。俺はそんな二人の様子を黙って見ていた。テソンの視線と俺の視線がぶつかった。テソンはゆっくりと息を吐くと静かに語り始めた。
「昨日、このみちゃんから連絡が来たんだ」
このみの名前に俺の心臓は大きく跳ねた。
「……ヒョンと、別れたって」
その言葉にまた喉の奥に何かが詰まる感覚を覚えて、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。
「本当なの?」
俺は何も答えられずに、まっすぐな瞳で俺を見つめるテソンから視線を逸らした。
本当だと、事実だと認めてしまったら何だかもう二度と戻れない気がしてテソンの言葉に俺は何も返せなかった。
「…テソンには色々とお世話になったからちゃんと挨拶をしたかったって…こんな形になってしまったけど、感謝してるって…」
俺は空を見つめて静かにテソンの言葉に耳を傾けていた。視界の隅でそんな俺の様子を伺うようにテソンが見つめている。
「これを言ったことは内緒にしてって言われたけど…楽しかったって、いい思い出ばかりだったって…幸せだったって…言ってた。最後にこれからも、ずっと応援してるって」
俺はゆっくりと瞳を閉じた。
楽しかった?
いい思い出?
幸せだった?
だったら、どうして?
どうして、さよならなんか…
「理由を聞いても答えてはくれなかったよ。ただもう会えないって…そう言って電話を切ったんだ。それから何回もかけ直したけど繋がらなかったよ」
俺は震える息を吐いてテソンを見つめた。
「…繋がらなかったのか?」
「うん…電話もLINEも…何も」
俺はとっさに自分の携帯を手に取り、このみに電話をかけた。
『この電話はお客さまのご都合によりお繋ぎできません。』
機械的なアナウンスが流れた後、電話は強制的にぶつりと切られた。俺の手から携帯が滑り落ちる。
「ふふ…」
笑いが漏れる。
俺は顔半分を片手で覆った。
完全なる拒否だ。
このみに拒否された。
その事実が彼女の本気を物語っていて、もう元に戻る事はできないんだと、もう二度と会う事はできないんだと、俺に思わせるには充分だった。
「…ヒョン?」
こんな状況で不自然に笑う俺を見ていたテソンが心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「…悪ぃ、何か可笑しくなっちまって…ふっ…」
「ヒョン…」
顔を覆っていた手が濡れてる。
あぁ、涙だ。俺の涙だ。
「…くっ……」
俺はその濡れた手を握りしめてその拳を自分の額に押し付けた。
何で?どうして?
そんな考えばかりが俺の脳裏を駆け巡る。
こんなにも、逢いたいのに。
こんなにも、愛してるのに。
「…くっ…ふ……こ、のみ…」
逢いたくて名前を呼んでも、ただ俺の胸を締め付けるだけでこの現実は何も変わらない。
俺は強くない。
こんな苦しさは知らない。
まるで心臓を抉り取られているような、こんな痛みは知らない。
きっとこのままじゃ耐えられない。
もう、このみはいない。
このみと一緒にクォン ジヨンも居なくなる。
それでいい。
強くて、華やかなで、魅力的な
G-dragonがいればそれでいい。
弱くて、このみを失ってしまった
クォン ジヨンはもう要らない。
この痛みと苦しみと一緒に消し去ってしまいたい。
…だから、俺は俺を殺すよ。
クォン ジヨンを殺す。
テソンが何を言う訳でもなく俺を見つめていた。ギィとドアが開きスンリも部屋に戻ってきた。二人がいるのはわかっているのに俺は次から次に溢れ出る涙を止める事が出来ない。見っともないのはわかってる。きっと二人には情けなく写っている筈だ。
だけど、今だけ…
今だけだから、こんな情けない俺を許して欲しい。
この涙が止まるまでは、クォン ジヨンでいさせて欲しい。
このみを失って、苦しんで、もがいて、心を痛めているただの男でいさせて欲しい。
「さよなら」
遠くの方でこのみの声が聞こえた気がした。
俺は膝を抱えて頭を下げ膝につけると小さな声で呟いた。
「…さよ…なら…」
俺は二人にさよならを告げた。
このみとクォン ジヨン。
だったら二人を思って頬を濡らす俺は一体、誰なのだろう…そんな事を思った。
でも、今はどうだっていい。
だってもう、このみとクォン ジヨン…これから先きっと、二人に会う事は…二度とできないのだから…
if you 第24話 fin.
※画像はお借りしました。