私はジヨンの腕を掴んでクラブの外へ出た。
そして、建物と建物の間の路地に連れて行くと大人しく私に連れられて来たジヨンを見上げてキツく睨んだ。
「何で、あんな失礼なことするの⁉︎」
ジヨンは私から視線を逸らして気怠げに「…別に」と呟いた。私は建物の壁に凭れ掛かるジヨンの目の前に立ち、腕を組んで大きく息を吐いた。
「酔ってたからじゃ済まないよ、ユファンさん私の為に一緒に来てくれたんでしょ⁉︎」
私がそう言ったのと同時に壁に凭れ掛かるジヨンに強く引き寄せられた。
「…わかってる」
そう言うとジヨンは私の唇に親指を押し付けなぞると私の言葉を遮るように自身の唇を強く重ねた。強く、甘いキスにさっきまで飲んでいたお酒とは全く違う酔いがまわり、頭がクラクラする。先程までの怒りもまるでジヨンの唇から外へ流れ出て行くように治っていき私も彼の口付けに応えた。
唇を離すとジヨンは私の肩に頭を乗せて「…ごめん、ヤキモチ妬いた」とまるで母親に叱られた子供のようにいじけた声で囁き謝った。
「…ヤキモチは、嬉しいよ。…でも、ユファンさんにはちゃんと謝って」
ジヨンは「うん」と顔を上げて頷くと少しバツが悪そうに笑っていた。
その時、視界の隅の方で一瞬だけ光るものを感じた。私は何だろうと思いその光りが見えた場所へと振り返ろうとした、と同時にジヨンの厚い胸へと顔を押さえ付けられていた。
彼とお揃いの赤いキャップが押し付けられた勢いで地面へと静かに落ちていく。
「ジヨ…」
彼の名前を呼ぼうとした時、耳許で彼の小さな声が聞こえた。
「…振り向かないで…パパラッチかも」
血の気が引いていくのを感じた。
ジヨンの服の裾を握る手が震える。
私が外になんて連れ出したから…
ゆっくりとジヨンの方を見上げると辺りを警戒するように見渡している。
後ろ向きだけど辺りに人の気配は感じない。
だけど、確かに何か光った。
あれはカメラのフラッシュ?
それともたまたま通りかかった車のヘッドライトか何かなの?
何も考えが纏まらない。
ジヨンの不安げに鳴る大きな心臓の音だけが私の耳に届いてくる。
ジヨンも今、不安に思っているに違いない…どうしよう…
もし、私のせいでジヨンに迷惑をかけてしまったら…
そんな事ばかりが私の脳裏をよぎっていった。ジヨンは私の頭を押さえていない方の手で携帯を取り出し誰かに電話をかけていた。彼の話す言葉は韓国語で私には所々しか聞き取れない。
[誰か…見てみて…悪い…よろしく…]
ジヨンは電話を切ると私にしか聞こえないくらい小さな声で話してくれた。
「今、ユファンに近くを見てもらってるから」
私は声を出さずにジヨンの胸の中でコクリと頷いた。
「…ごめんな、怖い思いさせて」
私は大きく首を横に振り掠れるような小さな声でジヨンに謝った。
「私が外になんて連れ出したから…ごめんなさい」
そう言うとジヨンは「そんな事ない」と言いながら私の髪を優しく撫でてくれた。
彼の手のおかげでほんの少しだけどこの恐怖が和らぐ。
ジヨンのポケットに入っていた携帯揺れる。その微かな振動がジヨンの体を通して私の体にも伝わってきた。
彼は素早く携帯を取り出すと私を抱きしめている手を緩めないまま険しい表情で電話に出た。
暫く話してから電話を切ると私を押さえていた手を緩め体を離した。
「…大丈夫みたい」
そう言ってジヨンは地面に落ちたキャップを拾うとパンパンと土埃を払って私に被せた。
私が申し訳なさでジヨンの目を見れずにいるとジヨンは私の顔を覗き込むように屈んで尋ねた。
「…泣いてる?」
私は大きく首を横に振ると唇を強く噛み締めた。
「…ごめんなさい、私のせいで迷惑かけて」
そう言うとジヨンは優しく私の頭を撫でた。
「そんな事ないって言ったでしょ。それに元はと言えば俺のせいだから…謝るなら俺ら二人共だよ、ごめんな」
ジヨンは微笑んで私を見つめた。
「…うん、ありがとう…」
そう言って私もジヨンを見つめ微笑みを返した。ジヨンは笑いながら「もう、帰ろっか」と言って私の手を引き私たちは店の中へと戻っていった。
ジヨンは仲間たちに帰ると告げるため挨拶をして回っていた。私も何人かの友人に挨拶をした。最後にジヨンはブースの中にいる友人に挨拶をする為、私から離れた。ユファンさんは車を回しに行ってくれている。私は遠目に挨拶をしているジヨンを見つめていた。
不意に手首を誰かに強く掴まれた。
振り向くとそこには私より少し背が高く細めでキャップを深く被り顔の見えない女性が私の手首を強く握っていた。
私を掴む手はヒヤリと冷たく、まるで生気がないように真っ白だった。
その心地の悪さに全身の毛がゾワリと逆立つのを感じた。
「…っ」
私が言葉を発しようとした時、帽子のつばの下から微かに見える赤い唇が動いた。
「…キット、コレカラ、タノシイコト…オキルヨ」
ぞくりとした…
片言の日本語。
彼女の発した言葉の意味。
微かに笑う不気味な赤い口元。
そして何より私を日本人だと見抜いている事。
私はブースの中にいるジヨンに視線を移す。
もう挨拶を終えてこちらに向かって歩いている。
ーダメ!今、来ちゃダメ!
ジヨンと私の距離はどんどん近くなる。
ーもうダメだ…
そう思い私はギュッと強く瞳を閉じた。
その時、手首の嫌な冷たさがスッと消えてなくなった。
振り向くとそこにはもう、彼女の姿は無かった。
「帰ろっ」
声をかけられ私の心臓は尋常じゃない程跳ね上がった。
そんな私の驚いた様子を見てジヨンは心配そうに「…どした?大丈夫か?」と私の顔を覗き込んだ。
「…うん、ちょっと酔って気分が悪いだけ」
先程の大きく不安そうに鼓動を刻んでいたジヨンの心臓の音を思い出すと、私は今の出来事をジヨンに話す事が出来なかった。
ジヨンは私の背中に手を添えるとそのまま店を後して二人で車に乗り込んだ。
車に乗り込むと私の意識の遠くの方でさっきの件をジヨンがユファンさんに謝っていた。
だけど、私の思考はあの彼女の言葉に支配されていた。
タノシイコト。
恐怖が静かに私の背後にやって来ている。
そんな気がして私は隣に座るジヨンの腕を両手でキツく握りしめた。
ジヨンは「大丈夫?」と私に声をかけると反対の手で私の体を優しく摩ってくれた。
私は後ろに迫る恐怖から逃れるように固く瞳を閉じ彼の腕に顔を埋めた。
「…大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように私は静かにそして、ゆっくりと答えた。
if you 第19話 fin.