ジヨンは私の腕を一度も離す事なく、視線も合わせないままで自分が泊まっているホテルの部屋のドアを開けた。部屋に入ると私は荒々しく腕を離されソファの上へと投げやられた。ジヨンは座る私を逃さないように私の頭の辺りを自分の腕で囲いソファの背もたれに両手を置いた。
「仕事じゃないの?」
静かな部屋に彼の低い声が響く。
私は鼻で大きく息を吸って唇を噛んだ。
ジヨンは視線を逸らさずサングラスをとったその瞳に怒りの炎をチラつかせて顔を近づけ再び私に問いかけた。
「仕事じゃないのかよ?」
私はジヨンを見上げて震える声を抑えながら静かに答えた。
「…嘘、ついた」
私がそう言うとジヨンは大きく天を仰ぎ固く目を閉じ「…なんで?」と聞き返してきた。私はジヨンから視線を逸らして今にも溢れそうな涙をぐっと堪えた。
ここで泣いたらダメ。嘘をついた私が悪いのは明らかだ。
「…テソンに話を聞いて欲しくて」
ジヨンは大きく息を吐いて床の上にヘタリと胡座をかいて座り、頭を落とした。
私はそんなジヨンに視線を送った。と同時に瞳の中に溢れていた涙が一滴、ジヨンの履いているズボンに落ちて滲んでいく。
ジヨンはその滲んだ私の涙を親指でそっとなぞってゆっくりと私を見た。
「なんで、テソンなの?」
そんな彼の声には怒りよりも寧ろ悲しみの色の方が強かった。私は何も言えない。テソンにあれだけ背中を押してもらったのにまた臆病な自分が心の中に見え隠れする。
「…ねぇ、俺には話すの無理なの?」
私は彼の問いかけに数回瞬きをして頬に流れる涙を手のひらで拭い、自分を落ち着かせるように静かに息を吐いた。ジヨンは「…話せないのかよ」と俯くと片肘を自分の膝に立ててその手で瞼の辺りを押さえていた。
「…嫌われたく、ない」
私は絞り出すように震える声で答えた。ジヨンはゆっくりと顔を上げ私の言葉の続きを待っていた。私はジヨンを真っ直ぐと見つめて言葉を続ける。視界は次から次へと溢れ出る涙でくすんでいたけどそれでもジヨンを見つめ続けた。
「…本当の事を話したら、ジヨンはきっと…私のこと…嫌になる」
「どうやって!今更、嫌いになれって言うんだよ!」
噛み付くように声を荒げてジヨンが答えた。
「教えてよ…」と弱々しく呟きながら頭をさげたジヨンを私は半ば無意識にぎゅっと抱きしめていた。その行動に自分でも少し驚いた。ジヨンは私に腕を回すでもなくただ静かに私の腕の中に居た。私は彼の温かな息遣いを自分の胸に感じてそっと瞳を閉じ話し始めた。
あの初めての夜の事、黒い感情に支配されてしまった弱くて醜い自分。泣きそうに笑うジヨンの事、だけど何も出来ない自分の不甲斐なさ。私は自分の中の全てを頬に伝う涙と一緒に吐き出した。
「…っジヨンには知られたくなかった、こんな弱い、自分」
ジヨンは私の両肩に手を置いて抱きしめていた私の体を離し、真っ直ぐと私を見つめて話し始めた。嗚咽混じりに話す私をまるで落ち着かせるようにゆっくりと上下に肩を摩ってくれた。「…言い訳に聞こえるかもダケド」そう言って摩っていた手をゆっくりと移動させて私の両手を握りしめた。
そして、静かに落ち着いた声で言葉を並べていった。夢を見たこと、ジヨンは「都合のいい夢だ」と夢の内容を話している自分を蔑むように鼻で笑った。
「…ごめんな」
ジヨンは眉根を寄せ、今にも泣き出しそうな顔で私を見つめていた。そしてまた、話し始める。
「俺と付き合う事が、いつかこのみを傷つけてしまうってわかってたんだ。普通の恋愛は出来ない…幸せにしてやれない…側にいて欲しいのも俺のわがままだって…だから」
そう言ってジヨンは握っていた私の手を離して片手で自分の顔を覆った。
「だから、幸せな時も…悲しい。俺のせいでこのみを傷つける…苦しくなる」
ジヨンの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。私は両手でジヨンの頬を包んで彼に視線を合わせた。
「…勝手に、決めないで」
私はジヨンの潤んだ瞳をじっと見つめた。
「私の幸せを」
「だけど…」
何かを言いたげに口を開いたジヨンの言葉を遮るように私は少し大きめの声で言葉を並べた。
「決めないでよ!…勝手に、ジヨンと付き合って私が傷つくとか幸せになれないとか!そんなこと…」
止めどなく流れ落ちる涙の理由は悲しさでも怒りでもなく、悔しさだった。
ジヨンに悲しげな笑顔をさせていたのは私だったんだと考えると悔しくて、悔しくて私はこの涙を止めることができなかった。
ジヨンの優しい手が私の涙を拭う。
「…今も、傷つけて泣かせてる」
悲しげな瞳を私に向けてジヨンは眉根を寄せ唇を噛んだ。私は大きく首を横に振って「違う…」と呟くと深く深呼吸をした。
「…私の幸せはここにある…だから…傷つかないで…もう、苦しまないでよ…」
ジヨンの頬を包む手に自然と力がこもる。
幸せを形にする事が出来るのだとしたら、きっとそれはジヨンの形をしてる。
心が晴れいく。
私の守るべきものがはっきりと見つかった。私の為に傷ついている彼。
悲しげな瞳を私に向けて見つめるジヨン。
『今更、どうやって嫌いになれって言うんだ』
悲鳴にも似た声で叫んだ彼の心を想った。
もう、私は揺るがない。
「私は、守ってもらわなくても大丈夫。幸せにしてもらわなくても平気。…自分で幸せになれるから…ジヨンの側で…」
そう言って私はそっとジヨンに口付けた。
「さっきまでの苦しさも、ジヨンを想っているから生まれたものだから…もっとちゃんと話せばよかったのに、嫌われるのが怖くて、自分を守ることに必死で嘘をついたの…ごめんなさい」
ジヨンは私の身体を引き寄せて、彼のその逞しい腕の中に閉じ込めた。
「…俺も、ごめん」
小さな彼の声は私の心の中に染み渡っていく。ジヨンの言葉は光となって私の心に居座り続けたあの嫌な黒い靄を一気に晴らしていく。
「上手に言えないケド、このみを想ってる」
そう言ったジヨンの言葉と同時に私の首筋から鎖骨の辺りを一筋の滴が伝うのを感じた。
私はジヨンの背中に腕を回しゆっくりとさすった。ジヨンは私の耳に唇を重ねて「俺も…側にいたい」と掠れた声で囁いた。
私たちは少しだけ体を離してお互いを見つめた。ジヨンの瞳に熱がこもる。その熱を帯びた瞳に心臓がドクンと脈打つ。
少しずつ近づくジヨンの顔に私はそっと手を添えた。ジヨンも私の顎を掴んで引き寄せる。あと、数センチで唇が触れるくらいの距離でジヨンは動きを止めた。
「…もう、何も隠さないで…俺も隠さないから…」
私は静かに頷いた。
「…だから、俺今日は優しくなんてしてあげられないカラ…」
私が頷くまでもなくジヨンの唇が私の唇に触れた。それは今までのどんなキスよりも乱暴で、それでいて優しくて、とても熱かった。
if you 第15話 fin.