こんにちは。千葉です。

そろそろ2009年の回顧、蔵出しであります。いちおうは年が終わってからにしないとね(ムダに律儀だ)。


夏の衆議院選挙の結果を受けて、長年続いた自民党を中心とする政権から民主党を中心とする政権に代わって、ようやく百日を過ぎました。そろそろ評価のようなことも出来ようかと思います故、久しぶりに社会派なお題です。とは言え、所詮は一国民に過ぎない身では政局を読み解いたり、外交について一席ぶてるわけでもなく(したいとも思わないのだが)、ここではむしろ根本の部分だけ、認識の前提だけを書こうと思います。床屋政談って奴ですね(笑)。


千葉は昨年の大連立騒動の時、小沢一郎氏の発想を予想して「与党経験をさせるため」と書きました。明らかに、野党と与党ではあり方が大きく異なり、それをもっとも認識している幹部として、自民党と組んででも民主党には一度与党になっておく必要がある、と考えたのだろうと。>参照


今になって見ると、ある程度は予測どおりだったかなと思えます。詳細は後述。
しかしその大連立は破談となり、その結果就任の時点で能吏的働きを期待された福田氏は力を失い、その後広い人気が期待された麻生氏はなんとも言い難い間の悪さと人気の下落を経験し、さすがに自民党政権は衆議院選挙に敗北、初の下野なう。そうそう、近年稀に見る笑えない冗談でしたね、某紙の失態。あれがなかったら、まだtwitterはじめてなかったかもしれないと思うほど、厭なショックがありました、あれには。その話はまたいずれ。


そう、そんな話はどうでもいいのです。ともあれ、政権交代はなりました。おそらくは、希望していた過程を経ずに。おそらくは、ある種の研修期間として連立を目論んでいた、という予想を前提に書きますが。


研修抜きで政権についた現政権、一言で経験不足に尽きるかなと。なにも民主党をはじめとする内閣の面々のみならず、官僚以下政府の周辺で働く人びと、そしてメディア、最後に国民。


細川内閣によるほんの一時期の政権交代を除いて自民党(その前身を含む)政権が続いて来たものだから、少なくないシステムは不変の政治体制を前提として組まれてしまっていた。政権交代によって生じる停滞よりは現状維持の方が良策だったのかもしれないし、たんに変えるのが面倒だったのかもしれない。または、最近の報道とか見ていると、どこかの同盟国の意向でもあったのかもしれない、と書きたくなるけれど陰謀論は不採用です。
ともあれ、五十年以上続いた体制は民意によって変えられました。その含意を一概に言ってしまうつもりはないけれど、これまでと同じでは立ちいかない、このままではいられない、その程度のおおまかな意味を読み取っても問題はないでしょう。これまではそれこそ憲法なみに変えられることのなかった体制が変えられるにはいろいろの要因があるでしょう、具体的な要因についてはそれぞれで考えるしかないかと。


変化は訪れた。しかしその変化の時に何をすべきか、また何をしなければならないか、そんな散文的な対応の準備ができていたところとそうでないところの差が大きい、いまの時点で問題化していることの少なくない部分がこの視点で説明できるように思います。


残念なことに、政権党となった民主党はその準備が出来ていなかったと言わざるを得ませんね。先ほど挙げた与党経験の有無、複数政党での政権運営の困難、官僚との関係、メディアとの関係、などなど。
特にも、野党時代、また選挙期間には「敵視」していたこともあって官僚を上手く使えないことは今でも余計な困難を呼んでいるように思われます。先日の駐米大使の言動とかは良い例ではないかと。あれは酷過ぎる例ですけれど。


個人的には、ある意味で素人であることをプラスに転化できれば良いな、と思ってみてきたのですけれど、さすがにそこまで甘くない、彼らのしろうとっぽさは時として無防備に過ぎる形で発揮されているようでもあり(二酸化炭素排出量については、正直微妙。そのアピールの仕方は良かったのだけれど)、今のところポジティブには評価しにくい。ぜひもう少しチームとして練れていただきたいもの。


スタートから早々にファイン・プレイの連続を期待していたわけではないし、それどころか与党と野党の非対称性を明確に認識する時間をあらかじめ提示しても良かったくらいじゃないかなって思っているのですよ。自民党に政策を卸してきた公的シンクタンクとして機能してきた官僚システムが、如何に以前野党だった自分たちに情報を提示してこなかったのか、そこが本当の仕分けのスタートになったでしょうし。粛々とことを進められるのは立脚点が明確な場合に限られますからね。

そう、民主党は出発点の設定ができていなかったのではないかと思うわけです。従前はこう、今後したいことと現状との相違やズレを、内部の正しい資料(必要とあれば彼らの指示で作成させれば良い)によって再確認、修正する。そこで得られる「正しい」認識こそが仕分けのスタートになるべきポイントだったはず。
推測や不正確な情報をもとにマニフェストが作成されていた可能性だってある、それでも国民に提示したものを実現することは可能か否か。旧来のものではない。国民に支持されて選ばれた自分たちが新たに政権を動かすための基盤をきっちりとつくること、それは遠回りに見えて国民への明確な説明と官僚とのコミュニケーション、そして目に見える成果物ができることでメディア対策にもなったはず。

しかし彼らはそうしてこなかった。むしろマニフェストを目に見える形で実施したいばかりに(その思いを利用された感はある、旧来のスケジュールを残しつつ変更の指示を出すことによって不具合が生じる可能性を指摘し、諌めるものはいなかったのかとも思うけれど。経験不足、なのだ)、個別の閣僚のスタンド・プレイが目立つ形になり、それは閣内不一致という評価をもたらす。なんというか、チーム首脳の意思統一が不徹底なスポーツ・チームを見ているようで、不安を感じたこともしばしば。なんというか、素直なのもいいけれど、と思わなくもない(ただ、老獪さだけが形骸として残っていたようなところよりは、それでも好ましいのだが。もちろん、致命的な失策を犯さない限りにおいて)。


ではどうすればリカバリーできるか、そこは千葉は考えませんよ(笑)、それは彼らの仕事ですから。これから、彼らが考える、今後のためのより良い方策、方針が出て来たら判断します。


ここまでで、かなり長くなってしまって自分でも辟易していますので、ひとまずこれにて。そんなタイミングで財務大臣が交代?とかいう話も出ていますけれど、それはまた後ほど。次回以降、官僚、メディア、国民について書こうかと考えております。ではまた。