母の日になると思い出すことがあります。
私は子どもの頃から
母が亡くなるまで、ずっと母の愚痴の聞き役でした。
いわゆる「いい子」として、母の気持ちを受け止めることが、
自分の役割のようになっていました。
心理学では、こうした状態を「役割逆転」と呼ぶことがあります。
(本来は大人が子どもを支える関係が逆転し、子どもが感情的な支え手になる状態です。さらに、境界があいまいなまま依存が固定化すると「共依存」として説明されることもあります)
当時の私は、それを特別なことだとは思っていませんでした。
ただ、父からDVを受けていた母がかわいそうで、
少しでも楽になればと思っていただけでした。
そんな様子を、兄弟姉妹は苦々しく感じていたようです。
もちろん、嫉妬もあったのでしょう。
「お前みたいなやつがいるから、母はわがままになるんだ💢」
と言われたこともありました。
その後、
この言葉はあながち間違っていなかったと気づきました。💧
不登校は、子どものSOS
心理相談室「太陽」の長島房子です。
長男が贈ってくれました~♪
そんな私にとって、母の日は少し特別でした。
何か喜んでもらいたくて、ずいぶん前から甘いものを買って準備していたこともあります。
ノートを破って包み、セロテープでグルグル巻きにしたことを覚えています。
でも、準備が早すぎて、
手渡したそのまんじゅうにカビが生えていたことがありました。(-_-;)
「アララ・・」と言いながら、
まんじゅうの皮をむいて母は食べてくれました。
私の口にも入れてくれたけれど・・
うまくいかなかった自分。
そして、それでも「喜んでほしかった」という気持ち。
今振り返ると、そのときの自分の中には、
誰かのために頑張ることでつながろうとする「インナーチャイルド」の姿があったように感じます。
本当は甘えたかったかもしれない。
本当は、ただ受け止めてもらいたかったのかもしれない。
けれど、その気持ちは奥にしまって、
「支える側」でいようとしていた自分がいました。
次男から今日届いた花です~✨️
そして今。
私は母となり、息子たちが花を贈ってくれるようになりました。
かつて誰かを支えようとしていた私が、
今は誰かから想いを受け取る側にいる。
この変化は、単なる立場の移り変わりではなく、
心の中のバランスが少しずつ取り戻されていく過程のようにも感じます。
母の日は、感謝を伝える日であると同時に、
自分の中の「子どもだった自分」にも、そっと目を向ける機会なのかもしれません。
三男からのカーネーションが今届きました。
誕生日にもきれいなお花をいつも贈ってくれます~✨️
まあ、母の日くらいは、役割逆転もいいですよね?
皆さまも、いい思い出になる母の日をお過ごしくださいね。
三人の大好きな息子たちから届いたお花を
見ていたら涙が出てきました。
ありがたいなぁと思います。
※母のことを考えすぎたせいか
普段はもう母のことを思い出したくない私です。(笑)
今私自身は、子どもに心配をかけない母でいたいなと思っています。
♡気になることがございましたら
お試し気分で1回だけでもお気軽にどうぞ~















