前回の印旛沼周辺と同じく・手賀沼周辺にも
遺跡や見所が多く存在します。(^^♪
こちらは成田線湖北駅です。
手賀沼は古代・中世には香取の海の入江となり
手下の浦とも呼ばれておりました。戦前は沼の
水が飲めたほどきれいな沼でした。
しかし高度経済成長期に宅地化が進み・昭和58年
(1983年)には日本一汚れた沼と言う有り難くない
レッテルを貼られました。(´-ω-`)
その後浄化が進み・現在では水質も回復しました。
手賀大橋。我孫子市と柏市を結びます。
湖北駅から少し東側の我孫子市日秀(ひびり)には
相馬郡衙正倉跡があります。郡衙は奈良~平安時代の
地方役所で郡衙正倉は税(祖)で徴収した米や種籾などを
貯蔵していたようです。( ˘ω˘ )
こちらは水神山古墳。全長69m・高さ2,5mの前方後円墳
で4世紀~5世紀頃の土師器の壺が出土し・この頃には
古墳が築かれていたようです。
同じく我孫子市日秀に建つ観音寺。こちらの寺院は
平将門所縁の寺院です。江戸時代の寛文2年(1662年)
名翁全誉によって開山されましたがそれ以前には
平将門の守本尊とされた観音菩薩像が安置されていたと
伝わります。( ˘ω˘ )
平将門が幼少時にこの地域に住んでいたという伝説が
残っております。
境内に建つ首曲がり地蔵は平将門の乱の際・将門調伏を
祈願した成田山新勝寺を嫌い・成田にそっぽを向く
ように建てられております。('◇')ゞ
手賀沼公園周辺には明治43年(1910年)文芸雑誌白樺を
創刊した志賀直哉・柳宗悦・武者小路実篤など白樺派が
大正時代に静かで風光明媚な手賀沼周辺に居宅を構え
過ごしました。(*‘∀‘)
北総地域の歴史を辿り続ける・あまきオフィス
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