台東区柳橋界隈の歴史探索を続けます。
江戸時代より花街として名を馳せた柳橋は
両国や新橋と並び・賑わいを見せてました。(^^♪
両国の花火では柳橋付近から花火が上がると
たまや~と掛け声がかかったようです。
柳橋の氏神様石塚稲荷神社には柳橋料理組合
柳橋藝妓組合の文字が刻まれ・当時の繁栄が
偲ばれます。(*'▽')
最盛期は昭和の初め頃で料理屋・待合の数は
約60件・芸妓さんは360名ほどいらしたとの
ことです。(*‘∀‘)
昭和の頃の柳橋の風景。船遊びとお祭りで活気に
満ちていた様子が判ります。
しかし時代が昭和から平成に変わると残っていた
料亭も次々と姿を消しました。いな垣は平成23年
(2011年)閉店し・こちらの写真に写っている傳丸も
平成28年(2016年)1月に閉店致しました。
閉店後の平成29年(2017年)5月に撮影しましたが
現在はマンションになってしまいました。( ˘ω˘ )
神田川沿いに建つ亀清楼。安政元年(1854)創業で
亀屋清兵衛が人気料亭店・万八楼を買い取り亀清楼
として柳橋に残る唯一の料亭ですが現在は休業して
いるとか??詳細は不明です。是非とも再開して欲しい
ものです。一度柳橋の味を堪能したいです。(^^♪
花街の移り変わりを肌で感じた・あまきオフィス
https://www.amaki-office.com
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