荒川区南千住・千住製絨所と光の球場跡。!(^^)! | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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荒川区南千住にある荒川総合スポーツ

センター。こちらには明治12年(1879年)

官営工場千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)

が開業し・日本羊毛工業発展の礎を築き

ました。(^^♪

千住製絨所初代所長・井上省三の像があります。

井上省三は長州の出身で木戸孝允に従って上京

その後ドイツに留学し・毛織物の技術と知識を

習得いたしました。(*'▽')

現在でも周辺には千住製絨所の塀の一部が残されて

おります。その後この地は大和毛織が所有しましたが

戦後昭和25年(1950年)経営が悪化し昭和35年

(1960年)閉鎖されました。(´-ω-`)

その2年後の昭和37年(1962年)5月31日に竣工

6月2日にオープンしたのが東京スタジアムでした。

東京球場とも呼ばれ・当時大毎オリオンズのオーナー

だった永田雅一さんが私財を投じて球団の本拠地球場

を完成させました。大毎オリオンズは現在の千葉ロッテ

マリーンズの前身です。(*'▽')

(画像はネットよりお借り致しました。)

この頃巨人の本拠地であった後楽園球場は巨人の他に

国鉄スワローズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)や

大毎オリオンズも使用しており・日程が過密状態でした。( ˘ω˘ )

 

下町南千住に出来た東京スタジアムは光の球場と呼ばれ

また観客が下駄履きで気軽に通えるような球場としても

話題を呼びました。昭和37年(1962年)プロ野球初の

公式戦が行われ・当時南海ホークス(現在の福岡ソフトバンク

ホークス)に在籍していた野村克也さんが初ホーマーを

マークいたしました。(*‘∀‘)

(画像はネットよりお借り致しました。)

昭和40年代になると大毎オリオンズは東京オリオンズ

からロッテオリオンズに球団名を変え・昭和45年(1970年)

リーグ優勝を果たしましたがそれ以降観客動員数は低迷し

1日の観客が200人と言う日もあったようです。( ˘ω˘ )

 

昭和47年(1972年)東京スタジアムは閉鎖され・昭和52年

解体されました。私は子供の頃東京スタジアムを3回訪れ

パリーグの選手を知りました。木樽投手・成田投手・有藤

選手・アルトマン選手・ロペス選手懐かしいです。

当時近鉄バファローズに在籍していた300勝投手である

鈴木啓示投手も凄かったです。

現在は一般の方の野球場になりました。

球場がバリアフリー化されていたのも画期的でした。(*‘∀‘)

 

東京スタジアムでロッテガムを貰った・あまきオフィス

https://www.amaki-office.com