荒川区南千住・戊辰戦争の遺構が残る円通寺。( ˘ω˘ ) | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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荒川区南千住に建つ円通寺を7年ぶりに参拝

致しました。(^^♪

円通寺の歴史は古く延暦10年(791年)に

坂上田村麻呂が開創したと伝わり・平安時代

後期には源義家が奥州を平定した時討ち取った

四十八の首級を境内に埋めて塚を築いたとされ

この周辺を小塚原と呼ぶようになったようです。( ˘ω˘ )

江戸時代には下谷の広徳寺・入谷の鬼子母神と

共に下谷の三寺と呼ばれ・秩父・坂東・西国霊場の

百体の観音を安置した観音堂があり・百観音の愛称

で親しまれましたが安政2年(1855年)安政江戸地震

により倒壊しました。(´-ω-`)

円通寺の境内で目を引くのは上野公園から移築された

黒門です。戊辰戦争のひとつ上野戦争で最大の激戦地

であった黒門口に設置されていた門です。

慶応4年(1868年)5月15日大村益次郎率いる新政府軍

は上野の山に立て籠もる彰義隊討伐を開始します。

彰義隊は現在西郷隆盛像が建つ上野山王台に大砲を据え

現在の上野松坂屋に陣を構えた新政府軍と対峙しました。( ˘ω˘ )

開戦後正午過ぎまでは互角の戦いが展開されましたが

本郷台(現在の東京大学周辺)に陣を構えた佐賀藩の

アームストロング砲が上野の山に炸裂し・黒門口を死守

していた彰義隊の精鋭歩兵隊・万字隊も新政府軍に敗れ

戦いは1日で決着致しました。(´-ω-`)

 

黒門には今も戦いの激しさを物語る多くの弾痕の跡が

あります。

賊軍とされた彰義隊士の遺体は見せしめのためそのまま

放置されましたが当時の円通寺の仏磨和尚は新政府軍に

懇願し許可を得て彰義隊士の遺体を上野の山で荼毘に付し

ました。( ˘ω˘ )

このことが縁となり明治40年(1907年)上野公園から

黒門が円通寺に移築されました。黒門の近くには旧幕臣の碑

が多く建立され・義に殉じた彰義隊士を深く追悼しております。(´-ω-`)

箱館政権総裁榎本武揚と箱館病院の院長を務めた高松凌雲。

箱館政権副総裁松平太郎。

箱館政権陸軍奉行大鳥圭介。

榎本武揚と共にオランダに留学し箱館政権開拓奉行を

務めた沢太郎左衛門。

町火消し・を組の組頭で勝海舟とも親交があり・徳川慶喜の

警護を務めた新門辰五郎。

義に殉じた彰義隊士に静かに手を合わせた・あまきオフィス

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