江戸城刃傷事件。( ˘ω˘ ) | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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千代田区三番町にある大妻女子大学。

近所にこちらの大学を卒業された女性が

おります。時々酒宴を設けています。(^^♪

江戸時代こちらに江戸城で刃傷事件を

起こした武士の屋敷がありました。

江戸城刃傷事件と言うと元禄14年(1701年)

浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で高家の

吉良上野介義央に切りつけた赤穂事件が有名です。

江戸城内の松の廊下跡と江戸城から犯罪人が

出た平川門。不浄門とも呼ばれました。

それから83年後の天明4年(1784年)4月24日

この地に屋敷を構えていた佐野善左衛門政言は

当時の老中田沼意次の息子で若年寄だった田沼意知

を斬り付け・その後切腹を命じられました。(*´ω`)

当時天明の飢饉や浅間山の噴火などで政情不安が

不安定でまた田沼意次が賄賂で私腹を肥やしている

などの噂があり・庶民は田沼意次に強い不満を抱いて

おりました。

 

この事件後江戸庶民は佐野善左衛門政言を世直し大明神

と崇めたとのことです。その後田沼意次は失脚し

松平定信による寛政の改革がスタートしました。(^^♪

 

田沼意次の墓所が建つ豊島区駒込の勝林寺。

田沼意次が貨幣を流通させ経済を活性化させたのに対し

松平定信は元の農業中心の経済に戻し・質素倹約を

奨励して江戸庶民は統制を受け・後に当時の世情を皮肉り

白河(松平定信)の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき

と詠みました。( ˘ω˘ )

 

当時の旗本屋敷地に江戸を感じる・あまきオフィス

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