エビデンス | 与太郎の一歩

与太郎の一歩

ちーばくんの(千葉県)口元辺りに住んでいます。
『学び合い』のことや、その他教育関係の学び、私生活などについて書きます。
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もやもやしていることがある。
授業に関してだ。

毎日、毎日授業をしている。
しかし、その教え方にどれほどの効果があるのか。また狙い通りの効果が出ているのか。または出ていないのか。もしくは狙いとは別の効果が出ているのか。むしろマイナスの効果なのか。
それが分からないまま、狙いと予想で授業を構成し、展開し、終わっている。

例えば、授業冒頭に教科書を一度読むのは効果があるのか。
どんな読み方ならば効果があるのか。
例えば、前時の確認テストはどれほど記憶に残るのか。
紙を配った方が良いのか、口頭試問がいいのか。
などなど。

何にしても「(自分だったら)効果がある」と思う方法で授業が作っている。
だけど、それに一般性は不明である。


体の関係で、月一で大学病院に通っている。
臨床研究に同意してほしいとの依頼をされた。もちろん同意した。
この研究の成果で、新しい治療法、投薬法が検討されるとのことだ。


教育は職人のような節がある。とどこかで読んだ。
なるほど。と思った。
だけども、何も根拠も無く、自分が受けてきた教育と経験のみで教育をしていくのは不安である。
それは学生時代に経験した部活動を持ったとき、学生時代に経験した練習法に偏ってしまうことと同じではなかろうか。その教え方はかつての師の言動や指導を元にしていて、効果に根拠はなかったりする。

ほとんどの人が教育を受けているからこそ、いろんなことが言える。
例えば、体罰の是非とか。

でも、狙いと方法と効果が臨床的に証明されれば、全員でなくとも少なくとも、大勢の子どもに効果がある行為ができるはずである。もちろん、それに当てはまらない子どもがいるのは承知だが、効果が証明されている方法をとれば、全くあてはまらないということもないだろう。

だから教員集団も多様である必要があるんだろうが、それだけでなく、一般性を持つものが必要だと感じている。その積み重ねが人が変わっても教育レベルが上がることだと思う。

だから確実に効果があると自分が信じられることしか続けられない。
もちろん、多くの実践があり、方法があるが、「それって大人になるのに必要か?」と問うと首を傾げるものもある。

だから自分の授業に不満である。
でも信じられるものだけは、生徒に語れるし、効果も期待できる。
生徒たちが大人になるために、効果を信じられる方法で授業を組み立てたい。