教員になって3年目です。
やっとちょっと自分が変わってきたような気がしています。
最近の振り返りで、3年間、環境の違いに自分が意識しない内に腐っていたんだと思ってました。
でもどうやら違います。
福島のなおたかさんのブログを見て気付きました。
http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20150606/p1
「あ、この感覚。そうか俺は2年間落とし穴に落ちていたんだ。今年でもう少しで這い出せそうだ」
と思いました。
引用させてもらえば、
”わたしの経験上、この“既存の教育観との対立”という落とし穴はなかなか深くて、一度落ちると出るのに時間がかかるからです。対立すると、既存の教育観と馴染んでいる人=周囲との関係も悪くなってしまいがち。大きな反省です。”
この通りだと実感しました。
「腐っていた」のではなく、正確には「したたかにできていなかった」です。
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うちのトップは授業中、結構巡回しています。
私の『学び合い』を見たときも、何も言わずに見ていました。
最初は「あれって関心意欲だけだよね?あれもいいけどしっかり教えてね」と言ってました。
最近は「あれはいいよね。他の教員にはあんなの無いんだよね」と言っています。
正直、一斉指導を毎時間続ける勇気はなくて、効果はほとんどないことを承知で20~30分程度活動させています。
子どもの声が聞こえない授業がとても不安なんです。
こちらもなおたかさんのブログですが、http://d.hatena.ne.jp/nao_taka/20150602”
”結果を出さなくて良い学び合いはおしゃべりです”
”少人数でワイワイと盛り上がっている時は、要注意。大抵、「分かっていない」のです。
知的な会話は、大声ではなされません。分かっている子がほとんどいなかったり、中身のない会話だったりすると、声が大きくなります。
最悪なのは、「分からない子」を見て見ぬふりをするために、自分達だけで盛り上がっているような時。だからと言って「静かにしろ!」と怒っても意味がありません。
トップランナーでさえも分かっていないような時は、例えば、教師が出す課題が「意味不明」だったり、教科書とずれていたりする時です。
中身のない会話が多いのは、例えば、課題が楽勝すぎて協同する必要がなかったり、時間が余っていたり、締め切りを示し忘れていたりする時です。
「分からない子」を見て見ぬふりをしているのは、学級が崩れるサインです。指摘しなければいけません。”
その通りだと思います。
効果がほとんど承知でやっているからこそ、どうさぼるか最近よく分かります。
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いまきよさんのフェイスブックに
”意地を通せば2歩進んだつもりで、5歩下がっている”
とありました。落とし穴はそんな感じに近いでしょうか。
よく分かります。
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うちのトップから
「『学び合い』で校内研究授業でやりたい。他の教員の一斉指導ばかりの意識をちょっと変えたい」
「ICTをどんどん使って、他の先生方にも使えるような実践をしてほしい」という趣旨の打診がありました。
凄い打診を3年目のぺーぺーにしてきましたね。ギャグか。
さて、講評する講師は誰を呼ぶつもりなんでしょうね。近隣の学校からも来るかもしれません。
猛批判されること覚悟です。
でも、たぶん大丈夫。
N先生がもうすぐロンギヌスの槍を準備してくれているから。
あれ?使い方が違うかな?