こんばんは。

 

 

以前、セミナーで、
価値発生の仕組みについて、
こんな感じで解説していました。


・情報そのものに価値は存在しない

・相手にその情報の価値を認識してもらうことによって価値が発生する

・「相手のフィルタ-や価値観を変える」ことでこそ相手の中に価値が生まれる


なんでこういう話をしたのかというと、
情報発信を始めて間もない頃って、

「教科書みたいなお役立ち情報」

ばかりを伝えようとする傾向にあるからです。


「価値ある情報発信をしなきゃ!」

って考えて、どこかでネタを探して、
それを誰かに提供しよう、みたいな。


まあ、そういう形での価値提供も可能は可能なのですが、
今から個人メディアでそれをやるのは、あまりにも分が悪すぎます。


「情報そのもの」に価値が存在すると思っていると、
ただのお役立ち情報みたいなことばかりを書いてしまいます。


じゃあ、価値ってどこに存在するのか?という話を、
もうちょっと考えてみたいと思います。


価値ってどこに存在するのかな?って考えた時に、
僕はたぶん、

「人それぞれのフィルタ-の中に存在しますよ」

的なことをお話ししたかもしれません。
(すいません、忘れました・・・)


まあそれもある意味間違ってはいないんですけど、
もっと厳密に言えば、価値って、そもそも
「どこに存在している」
ってことが明確に言えない、っていうのが1つの特徴です。


”どこに”っていう言い分けが難しくて、
あえてそれを言うとするなら、それはあくまで

「その情報やモノや人との関係性の中に存在する」

というようなイメ-ジです。


これだけだと意味わからんと思いますが、
例えば、スポ-ツ選手の価値って、一体どこに存在するのでしょうか。


例えば、オリンピックで言うと、

スピ-ドスケ-トの価値ってどこにあると思いますか?


金メダルをとるととって、
日本中が感動して、価値を与えた!
って言われていますが、じゃあその価値ってどこから発生しているのでしょう。


選手そのものに価値があるのか?
というと、疑問の余地はまだまだあります。


「オリンピックのスケ-ト」という場においては、
選手そのものに価値が存在していたわけではない、と言えそうです。


って感じで、今度はスケ-トをする選手?
あるいはスケ-ト靴やリンクに価値があるのか?
と言えば、これまたどうでしょう。


靴だけ存在していても、
その靴に価値を見出す人間(選手)がいないと、
あの靴はただのモノでしかなくなってしまいます。


あるいは、スケ-トリンクだけ存在していても、
そこに価値を見出して、滑る人間がいなければ、
ただのツルツルの広場になってしまいます。


・・・って考えていくと、

選手+スケ-ト靴+リンク

あとは諸々の道具とか、
こういう要素が合わさってこそ「価値」が生まれるのかな?
というところまで考えていくことができます。


これが、先ほどから言っていた「関係性」のイメ-ジです。


ただこれらの「選手+スケ-ト靴+リンク」の関係性の中だけに
価値が存在しているのか?というとまだまだそうとも言えなくて、
言うまでもなく、「それを認識する人」がいないと価値が発生しません。


例えば、選手が極寒の無人島でポツンと一人で滑ってて、
誰もその姿を認識していないとすれば、
当然ですが選手や諸々の関係性にも価値があるとは言えそうにありません。


イイ靴履いて、オリンピック会場のリンクで滑って、
それをテレビで見る人がいて、感動して・・・


というように、それを認識する人がいてはじめて、
価値がある、と言えます。


ってなると、今度はじゃあそれって、
視聴者(つまり受け取り側)の心の中に
価値が全て存在するということなのでしょうか?


これもまた違うと言えます。


例えば視聴者の僕が、
選手の姿を見て何の価値も感じなければ、
少なくとも僕にとっては、

「選手にまつわる一連の関係性」

に価値は生まれていないということになります。


だからと言って、
「選手にまつわる一連の関係性」に価値はないのか?
というと、それはあくまで僕の中だけの話。


「選手にまつわる一連の関係性」は、
他の人にとっては大いに価値のあるものだから、そう考えると、

「視聴者(この場合でいうと僕とか)の心の中に価値が全て存在する」

とは言えない、ということになります。


っていうことを諸々考えていると、
やはり、「価値」というのは、
全ての「関連性」の中に存在するとしか言いようがありません。


人、相手、社会、場所、時代などなど・・・


それぞれ、どことどこの中に価値が存在するというわけではなく、
フワフワと、それらの関連性の中にぼんやりとある、
というようなイメ-ジです。


で、そうやって漂っているような「価値」というものは、
自分が発する言葉によって、相手に気づかせることが可能です。


それが、
「相手に価値を気づいてもらう」
ということであり、そうすることによって初めて
相手に価値を提供することができます。


何だかモヤモヤ話を長々としてしまいましたが、
こんな考え方を知っておくと、
ただのお役立ち情報をそのまま発信することが
あまり意味がない、ということが見えてくるようになります。


だからこそ、
発信する側のフィルタ-や情報発信力を磨きましょう!
ということです。


これらの話は、
なかなかオリジナリティを出せなくて悩んでいる人とか、

「価値ある情報発信ってよくわからない!」

というような人には特に知っておいて欲しい内容でした。


最後まで読んでくれてありがとうございました。
 

 

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