雪は好きだけど、とのテーマ。
さて、大変ご無沙汰しております。
不可思議堂ちぃの更新です。
お覚えでしょうか?記憶にございますか?
記憶になければ、それはまた結構。
只今、背後で映画『記憶にございません』が始まり既に笑っております、年末も身体はともかく心は元気な不可思議堂です。
無事、誕生日にクリスマスと恙無く終え、のんべんだらりと言うほどではありませんが作為なく過ごしております。
さて、まずは本日のテーマのお話をーーー
雪は好きだけども、車椅子がスピンするのは困る。
雪は好きだけども、寒さで癒着(もちろんニュースで度々聞く方の意味ではなく皮膚のです)は痛む痛む。
けれども、雪にまつわる詩は大好物となります。
例えば私の大好きな犀星の詩、といいますか詩集の序文(序詞、否ここは敢えて序詩とでも申しますか)です。
" 雪のしたより燃ゆるもの
かぜに乗り来て
いつしらずひかりゆく
春秋ふかめ燃ゆるもの "
【 室生犀星 『叙情小曲集』より引用】
雪、というテーマでありながら、ありきたりな寒さや凍えではなく、その下にひそんでいる、その先に待っている温かさ、力強さを見出す若き犀星の詩です。
瑞々しさすら感じられる雪の詩となります。
さて次にはうってかわって、雪の切なさをこれでもかと告げた、有名どころの酒乱の詩人よりこちら。
" 汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
(中略)
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…… "
【 中原中也 山羊の歌 『汚れつちまつた悲しみに』より引用】
本来、心の芯まで冷えてしまった悲しい詩なのですが、何故か私は小学時代からしょっちゅう「汚れっちまった悲しみに……」とふざけて言っておりました。
今思うと当時、間違えて覚えてたなぁ。
確か「汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りそそぐ」と言っておりました。
思いがけず、雪の勢いを増してしまっておりました。何故だ。
最後は捉え方によりあたたかくも切なくもなる、私の幼少期に愛読していたこちらの詩を。
" 海にふる雪は、海になる。
街にふる雪は、泥になる。
山にふる雪は、雪でいる。
空にまだいる雪、
どォれがお好き。 "
【 金子みすゞ 『雪に』より引用】
初めて読んだ時は、同じく金子みすゞさんの雪を兄弟に喩えている詩を読んでいた為に、兄弟の雪達は皆バラバラになってしまうのか、彼等は海や街など自身の行く先を選ぶことはできるのか、と切なく捉えていたのですが……いやはや不思議。
1年後に読んだ頃には、まずは私は雲になり、そこから雪になって海になって、また雲になりたいなぁ、とワクワクする詩として捉えておりました。
と、真面目にここまで話したところで、折り返し地点です。
深い意味もなく、最近入手したミニチュアを載せてからーーー
おふざけ話題と先祖の話題も久方ぶりですし、話しておきましょう。
先程、可愛らしいトトロのようなご近所さんご夫婦がおうちで採れたお野菜をこれまた可愛らしく包んで、こっそり扉の前に置いてくださっておりました。
それを見てまたほっこりしながら、包み紙に使われていた新聞を見て父が笑って見せてきたものがこちら。
いや、見出しよ!!
「琉球国王からの招待状」!?!?
いや、曾祖父の曾祖父から招待来たん!?
もうそこで国王制度は終わっとるぞ!?
そして自称・王の使者さん、初見だわ!どちら様!?
祖母の弟さんが現当主だけども、王ではないぞ?
王の使者やってた様子のお方の子孫さんからいただいた琉球→沖縄→アメリカ→日本という時代変化を学べる切手の差出人名は全く違ったしなぁ。
嘉数と聞くと嘉数の戦いを思い出してしまいます。
高台がこちらにもあるため、何とも切なく悲しく、やりようのない気持ちになるものです。
あ、よい印象もあった。声優のかかずゆみさん。ぬらりひょんの孫の毛倡妓は大好きでした。
そしてこちらの新聞紙を見た前当主の長女の長男である父君の台詞といえば……
「見て見て。パチモン中のパチモン(笑)」
でした。
パチモン中のパチモンで、なんか知らん賞とっちゃってるがな!とパチモン方言でツッコミながら、まあ観光なんてものは幻想を見せる憂さ晴らしのようなものなのでしょう。
本当のことを知ると、夢はなくなるかもしれないし、つらくなるかもしれない。
まあ、子孫な時点である意味、夢は最初からないのが我が家でもありますが。
しかしよく考えたら、「織田信長からの挑戦状!」とか言われても、先祖からの挑戦状なのか、女系だけども。
いっそキャッチコピーで先祖騙るなら「徳川家康からのシフト変更!」くらいの意味不明さが欲しいものです。何故か家康がシフト変えたがってることになるが。まああの立場なら影武者なりとシフト変えたかったと思いますが。
はてさて、まあ笑ってはおりますが、子孫としてこのキャッチコピーは如何か、という問題。
正直ね?正直な気持ちは微妙ですよ?
稼ぐのの謳い文句に利用されてる感ありますからね?
けれども同時に、擬人化とかの方はそれで名前が知られ、様々な方に先祖の刀が更に手厚く扱ってもらえたりすると、ひいおじいちゃんが必死に状態を保った努力が実ったような気持ちもいたします。
(先祖の刀の付喪神のグッズを見た時に昔の私に似た子が居て驚いたのはまた別の話)
要は、嘘っぱちを恰も史実や事実のように話されるのが嫌なのだな、うん。
こちらの記事の方がどうかは知らないけども、どの歴史家さんも、その子孫の存在と歴史上の人物であろうと総て生きていた人々であることと、曾祖父や祖母、その前の人々も何をされたかを知った上で、様々な歴史を語っていただきたいものです。
まあ、このタイムスリップは昨今流行りの異世界転生もの(読んだことはありませんが)みたいなものなのだと思いましょう。
取り敢えず、どのようなツアーであろうとも、歴史を愛するものであればしっかり自分でも学び、情報を鵜呑みにしないように。
歴史以外もね。
情報は受け取る前に、誰かが手を加えている。
その誰かが純粋かはわからない。
言葉を咀嚼する時は、五感を研ぎ澄ませましょう。
言葉の調理人は敢えて貴方に不快な味を与えているかもしれません。
或いは、貴方が欲しいような甘い情報に事実を変えているかもしれない。
情報収集の際は、その言葉のメリットとデメリットも考えてみましょう。
誰が得をするか、或いは損をするか。
何もかもを知ったつもりの道化にならないよう、情報に思考の手綱を掴まれないよう……。
あれ?最後また真面目になったな?
まあいいや。以上!!
汚れつちまつた者も
悲しみ疲れた者も
泣き疲れた者も
笑い疲れた者も
阿呆しからしむる楽観者な私も
ほどほどに良い年を迎えたまえ!
不可思議堂 ちぃ
















