こちらの記事で母上様が先に書いてくださいましたが、かなり今回ばかりは見えてしまうこともあり精神的に参ってしまっております。


この度、久方ぶりの更新で、且つ父上様の誕生日前であるのに、このような記事となって申し訳ない……。

しかし、社会が曖昧とされてきた問題にメスを入れ出した今のご時世だからこそ、敢えて記事にさせていただきます。



まず、私が負傷したのは簡潔にいえば夜中に起きたベッドからの片足落下によるものです。
その際に腰が捻れてはいけない方向に捻れ、麻痺した足を自力で持ち上げることもできず、朝方に母上様に助けてもらったところ、全身が捻れていたとのことでした。
いやはや、全身でずり落ちてなくて良かった。もし落ちていたら、腰部のヒビじゃあ済まなかったもの……。

ということで結果、現在まだ厳密には痛みが酷すぎるあまりレントゲンも撮れていないまま、腰部・骨盤のヒビの疑いがあるまま、安静指示を出されております。
しかも父上様の誕生日はもちろんのこと、私の誕生日頃までの安静指示……そもそも座るのも、寝ていても何をしていても痛いレベルなので仕方ないのですが、なかなかの精神的なダメージとなっております。

さてさて、この上記の記事にある、私の体制への怒りとは何なのか、それを具体的な今回の例を踏まえてまとめてみましょう。
もう何人もに説明するの大変だからわかりやすく書いて、関係者の皆様には読んでいただこうかな。

まず私が負傷した日は、いつも入ってくださっている年配のヘルパーBさんと、過去に数度、半年振り程のヘルプだという男性職員Aさんが来られました。
記憶にないながらに(興味がないと人の顔が覚えられないもので(笑))私からAさんに「ご無沙汰しております」とご挨拶したところ、そのまま部屋を見渡しながら『前来たのいつだったっけなー!』と大声で一人言を言われました(笑)まさかの無視からのスタートです(笑)

その尊大に見える態度に、天然なのか或いはアスペルガー的なご病気なのか?と疑問を抱いていた後、今度は私のコルセットや薬の支度を手伝ってくださるヘルパーBさんに場所を教わりながら
(ヘルプが久しぶりだから教わりにきたのだそうです。実は薬の支度はこちらのAさんにはしていただいたことはなく……それというのも指麻痺もあるため頼もうとも思ったのですが、余りにも作業が遅い上に伝わらないため、前回は私がリハビリを兼ねて!と言い訳をしてやらせなかったのでした……こんなことで以前入られていたことを思い出すとは……)
説明するBさんに対し『前は違いましたよねー?こんなのやってない。はー、ふーん、へぇ〜』といった態度のみで年配のヘルパーBさんの手伝いは全くせず……余り年功序列等は気にしない人間な方なのですが、それは教えてもらう側の態度ではなかろう、と呆然としてしまいました。
私よりもかなり年上のそこそこのいい歳をされている男性には思えない言葉遣いに、つい警戒をしつつ、(違いましたよね、の言い方も中学生か?という口調で、どんどん事業所の信頼をたった一人で落とされていきます(笑))

今度は信じられない発言を……

『あっれ?腰痛ベルトって今からつけるんでしたっけぇー?』

ーーーまさかの!!コルセットの取り外す時も見ていない!!!!

さっき外してたろ!!そういや、お前さん、なんか一人で喋ってたもんな!?
そりゃ見てねーわ、というか何しにきたん!?本当に!?
そもそも腰痛ベルトじゃねーよ!それはあなた方が使うやつ!!こっちのは医療用胸腰椎コルセット!!!!大きさ違うわ!!
胸部から腰まで覆ってるでかいやつを見逃すやつ居るか!?お前何しに来た!?!?マジマジって一人言でなんか繰り返してたけども、あなたこそ本気で何しにきた!?邪魔しにきたんか!?

という心の声を抑えていれば、いつものBさんが戸惑われたように「一番初めに外してたやつですね……?」とお答えするという……。
『あっ、あ〜?』と軽い疑問系で述べたこのAさん、多々私の私物の机の上のものを勝手に触ったり、介護に関係のない話をしてきたりと、とにかく気が散っていらっしゃる。
Bさんと私、どちらが返事をすべきか迷うような大声の一人言(疑問系)に普段のヘルパーBさんが振り回されないように、と私が対応しつつ、もう余計なことはしないでくれ、と願っていたら、今度はAさん、徐にノートを取り出されました。
どうやら根は真面目で作業をノートにメモしようと思ったらしいのですが……

わりとどうでもいいところばかりメモしてる!!!!というかそれも軽くは頭入れて欲しいけど、それ以前!!
障害の度合いや怪我に対しての介助の動きとか、衣類の着脱や寝返りを打たせるときとか、もっと根本的に大切なところをまずは勉強してくれ……!!

昔、小学校の時にこんな子居たなぁ……テストだけできて実践と応用がダメな子……となかなかに失礼なことを思いつつ、私がやっと腹を立てたのはこの後の怒涛のBさんへの態度でした。
例えその男性職員が上司や職員という立場で偉かろうと、教えてもらうために、と頼んだ相手の年上のヘルパーさんに対してとにかくタメ口!!しかも利用者の目の前で!!運転までさせて!!ろくな敬語も使えんのか!?野球部かなんかか!?と思わず声をあげそうになりました(苦笑)

いや、今時『マジすかぁ?スゲ〜!スッゲェなあ。○○じゃないんっスか。へぇー』を連呼する大人に出会うとは思わなかった……チェンソーマンのデンジ君かよ。いや、あの子はまだ子供だし、義務教育受けてないし、その割にちゃんとした敬語使える時は使えてるし……デンジ君の無邪気さは皆無だったな、うん。
しかしそれで市内最大手のヘルパー事業所の職員……なんで正職員になれちゃうの……。

そしてその男性職員Aがお茶を取りに居なくなった途端、Bさんが小声で『ごめんね、本当にごめんね』と謝ってこられるという居た堪れなさよ……。
あなたは悪くないんだ……何故どこも一番問題なやつ以外が責任を感じて謝って、問題なやつらは人に謝らせてのうのうとしてるんだ……と世の中の不条理に頭を抱えていたその夜のことでした。
(なんとここまでが前置きです(笑))

その男性職員Aさんが勝手に一階に降りてしまったり関係ないことばかりすることでストレスが溜まっていたのか、Bさんの集中力も削がれ、
下半身の落下防止の為に介助の内容に追加させていただいている椅子の置き忘れ&深夜のカギのかけ忘れ&予備の紙おむつの用意し忘れ、というトリプルパンチを受け、
更にその日に最近調子が悪く痙攣を起こしていた足が見事に落下しーーー腰部にヒビが入った疑いで、痛みで夜も眠れない状態となってしまいました。
二週間ほど前から今現在進行形で痛みは悪化しており、今も涙目という情けなさです(苦笑)

そしてそのことを事業所に翌日すぐに話したところ、後日謝罪にきた女性職員Cさんがまたもや、なんの状況もわかっていない!!!!

『なんか〜すみませんねぇ、痛い思いをさせちゃって〜本人(男性職員)に確認したらそんなことはないと言っているのだけど〜』との言葉には呆れ返る他ありません。
まだ痛いとは思ってないのだろうか……。あと謝る時の言葉に『スミマセン』って利用者に大人が使う……?等と戸惑いつつそもそも、そりゃ心当たりがあろうがなかろうが、本人に確認すること程、無意味なことはありません。
何故なら、自覚がないのだから、やらかすのですから。心当たりがあっても良くはなく、心当たりがなければ尚更問題、というだけです。

更に要件を仰られないまま「私はいつでも行けるから〜」と断らせる気は皆無のゴリ押しで家まで見えたCさん(職員って暇なのだろうか……)は他でも起こす可能性に思い至っておられなかったらしく、母上様のお年寄りなら股関節が外れるか折れてた可能性、という言葉で驚いていたそう……(その間、私は痛みがひどく2階で寝込んでおりました)
私のことを、そこまで思い至るなんて私たちよりもずっと大人だ、と誉めてくださっていたのだそうですが、個人的にはこれは管理者なら思い至らなきゃいけない最低限かと……いや、組織なら思い至るのでは?いやいや、お年寄りや障害者のヘルプをしていれば、当たり前の発想では?と戸惑わされてしまいました。
しかしその女性職員Cさんは天然で有名……もう諦めるしかないか、と思っての次!!

関係ないヘルパーさんばかりが責任を感じてしまわれて謝ってくる!!
『ウチの職員がやったって!?大丈夫!?!?本当にごめんね!!』
と皆様本当に優しいのですが『あなたは悪くない!!あなたが尻拭いするのはおかしい!!』と、私にはむしろ罪悪感と申し訳なさ、情けなさが募るばかりです。

そして後日、ヘルプにも入れるマトモな女性職員Dさんが見えたのですが、この方はとにかく話が伝わる!!
そう安心したらDさんからお話を聞いたという、どうやらAよりも偉い方のご様子のEさんからお電話があり、丁寧な謝罪と労りのお言葉、通院の介助を手伝ってくださる旨や、かかった医療費や薬剤費を負担してくださるとのこと、Aへは指導し直してくださるとのこと、また手が足りない時は何でも言ってほしいとの優しいお言葉をいただけました。しかしそもそも通院できないし痛み止めはもう既に限界量まで入れてるのだよ。
もういっそ眠らせる為に気絶させてくれ。というか手しか貸さないのな。しかもこっちから言わんといけないのな。自分達で考えたりはしないのな?マニュアルか?マニュアル通りにやってるからもちろん誠意もなければ、心無いことばかり言うのかい……?

通院介助はもうこの事業所には頼みたくないな、怖いな……と思いながら感謝を述べ、信じた私ーーーが馬鹿だったとしか言いようがありません(笑)

昨日、炎症が悪化し痛みも悪化している為、固定の必要が出てしまい、マトモなDさんに腰痛ベルトのお古でもよいから貸してもらえないか、と電話してみたところ、心配してすぐに上に確認してくださって……その結果のお返事が「ない、と言われてしまって……」とのことでした。
Dさんは対応してくださろうとしたのに、上が面倒がってろくに代替品の提案もせずに「ないと言っとけ」と返したとしか思えない返答に、もうお電話の返事をするのも不毛に感じてしまい、そのまま痛みで気を失って半日を終えてしまいました。

もしもマニュアルで検査結果がないと動けない等だとしたら、私以外にも泣き寝入りをするおじいちゃんおばあちゃんが多いのでは……本当に身体不自由なお年寄りや私などは本気で痛い時は移動できないからね。
だから訪問医入ってヘルパーも入ってるんだからね?病院気軽に行けるのは軽い怪我の時だけだよ?と呆れ返ってしまいます。


さて、この度、私が問題視したことは、こちら。

1、利用者と教えを乞うた相手に敬語をろくに使えない大人がいること

2、そんな大人が正社員になれる大手ヘルパー事業所

3、取り敢えず謝っとけば何とかなる、の態度で、これからのリスクを軽減させようという努力のない対応

4、マニュアル通りにしか動かず、謝罪も結局は口先ばかりの大手

5、現場の無関係のヘルパーに責任と謝罪を負わせ、自身はのうのうとしている上司

という事業所の体制に腹が立ってしまいました。
これで給金ができないやつの方が高いとか、世の中あり得ますからね……こっちは眠れないで歯ぁ食いしばって痛み堪えてるのに、痛み止めも限界量まで入れてるのに、私の怪我は無駄骨なんか、と悔しさと情けなさに打ちひしがれてしまいました。

母上様にもトイレに行くにも介助をお願いし、アイシングも手伝ってもらい……
優しくケアして方法を考えてくださるのは他の事業所さんばかり、という現状に申し訳なさを抱えております。

取り敢えずAさんよ、他の利用者さんにも怪我させる要因になったら許さんぞ?
いやもう、そういった体制に甘んじてる職員を許さんぞ?
取り敢えずもう二度と来んな☆

と、少々涙目で本気で念じて毒づいてしまいました。

まあやったことには相応のバチは当たるとしても、体制がそのままなのだとしたら利用も考えないと危険なのかもしれません。
しかしなあ、よいヘルパーさんも居られるから……いやそもそもその方々とお給金どうなってるんだ?あの立派な方々にはボーナスとか出てるんか?ダメなやつらから削ってでもそっちに出そう?とどうしようもないことに思いを馳せてしまいました。

どうしようもないことは、考えない。
どうしようないことは、どうしようもない。
良くなろうとしない人は、良くならない。
助けようとしても、助かろうとしない人は助けられない。
幸せになりたくない人を、幸せにすることはできない。

そんなどうしようない現実に、占い師も時折、悲しくなるのでした。

占い結果でなぁ、アドバイスが詳しく出ても、やる気も変わる気も助かる気もないと出ている時の諦念ったらないよなあ……。

以上!!

不可思議堂の珍しい愚痴でした(笑)
今度、またお祓いしっかりやっとこ……(笑)

久方ぶりの更新はご依頼人様へのご注意・ご説明となります。


本日母上様が気付き、心ある読者様やご依頼人様に要らぬ不安を与えてしまわないよう、はっきりと申し上げさせていただきます。


当、「 占い 不可思議堂 」はAmebaブログで「 ちぃのメモ箱 」のみで更新しております。


似通った名前や「不可思議堂」と名の付いたブログやサイト等とは全く関係がございません。


また、決して未来を断定するような予言と言った行為はいたしません。

特定の地域の不安を煽る発言、災害を軽視した発言も決していたしません。

今後も決していたしません。


と、大切なお知らせをさせていただいたところで、私が未来を断定しない理由について折角なのでお話しさせていただきます。


よくご依頼人様に訊かれる質問に、「未来が見えているのか」「自分のやったことも見られているのか」と言ったものがあります。


結論から申し上げますと、他の方の視点のような映像が見えることはございます。

それらは俯瞰した視点やその方の目線、或いはその方の周囲の方の視点、様々です。

ただし、見えるもの自体は、私が相当見たかった(思い出したかった)もののみです。

具体的には、とある方がよいリハビリに使える市販のものをどこかで買ったと仰ったのですが、当人もどこで買ったか思い出せない、と言った時にその方の購入時の映像が見え、「もしかして◯◯ですか!?」と喜んで確認する程度です。

この際も、その方に「今見えたの!?見えたんでしょ!!」と食い下がられた為、認めたのであり、自分からひけらかすことはありません。


何より、これらの映像を私は幻覚と相違ないものと捉えております。

その為、決して占いにも利用いたしません。

何故なら、見えた未来と過去が本当だとして、私は見えるだけなのです。


私は見えても、何もできません。

過去の見方を変えるお手伝いはできますし、未来を変えるお手伝いも可能です。

しかし、それらはご本人の協力なくしては起こり得ません。

そのための"占いを使ったアドバイス、忠告、お手伝い"なのです。


また災害前や大きな出来事が起きる前に、酷く体調を崩すことが多々ある為、周囲の方には目安にされやすいことは認めます。

ただし、その見えたものを言葉にすることは決してありません。


何故か。

それは、私は"見えてしまうだけ"だからです。

どんなに起きてほしくない、気のせいだと思っても、私はその未来を止められません。

ただ、家族に「何もできない、止められない、怖い」と言葉をもらし、寝込むのです。

私はそのどなたかの視点らしき映像を、幻覚だと未だに信じております。

ただ、その映像を見た後、本当にそういったことが起きてしまった時、心から情けなさと無力さを抱きます。


無力さを感じること自体が烏滸がましいことだと理解はしておりますが、実際に私のように多少勘が鋭く、何かしらが見えてしまう人々は、こういった自然への恐怖と無力さを感じ、言葉を発することなどできないと思っております。


何もできないのなら、見えていても見えていなくても同じ。

ならば、幻覚でよい。徒に人を恐れさせる必要はない。


見えて、且つ何か影響を及ぼせるのなら、言わなくていい。

代わりに被害を最小限にしてください。

起きてしまうことはなくせなくても、スピリチュアルな力とやらがあるなら抑えてください。

できないのなら、ただただ祈ってください。

どうかただの夢であれ、と。


「どうだ、予言が当たったぞ」と誇る暇があるなら、先に動いてください。

それだけの力があるなら、止めてください。

止められないのなら、起きる前に被災地に支援の準備をしてください。


これが、私がスピリチュアル、オカルトと言った表現を毛嫌いする理由となります。


と、多少きつい内容になりましたが、以上!


久方ぶりの更新でした。


またずっと更新できていなかった理由は、我が家の店長候補生だったギフト君がセザンヌ先生のもとへ旅立ってしまった為でした。


可愛らしく面白く優しく美しい子は、死の間際、朦朧とした目で確かに私を見つめ、腕を必死に掴み亡くなりました。

流星の如く現れ、かつてないほどの量の悪戯と痕跡を残し、流星の如く去ったギフトは、現在第二のカミマヤァ〜として我が家でやんちゃに働いております(笑)


不可思議堂 ちぃ


あれ?ちゃんと説明になったかね?

まっ、いっか。

ルパン三世 「ダイナーの殺し屋たち」


 久方ぶりの今年最後の更新は大好きな押井守監督が脚本に携わったルパン三世 Part6 の第5話「ダイナーの殺し屋たち」についてのお話です。

 こちらはヘミングウェイの短編、「殺し屋」から着想を、というよりもオマージュしたお話となっており、映像のそこかしこにもヘミングウェイを彷彿とされる絵が溢れている、大変好みの作品でした。

 ご本人の雰囲気はむしろ宮崎駿監督のお話に出てきそうな優しい話し方なのに、作品は素晴らしく鋭く真剣な押井監督に惚れ込んだのは小学校高学年の頃でした。
 何を思ったのか、攻殻機動隊アニメシリーズから、イノセンス、GHOST IN THE SHELLに流れ、映像美と世界観、哲学的な思考回路に魅了されたのは懐かしい記憶です(笑)

 その押井監督のルパンを録画予約をして楽しみにしながら、いつも通り夜に読書に勤しんでいたところ、なんとピンポイントに「殺し屋」を読んだ日に「ダイナーの殺し屋たち」が放映されておりました!

 「この世に偶然なんてないわ。あるのは、必然だけ。」

 というxxxHOLiCの侑子さんの台詞を思い出してしまったのは、私の都合の良い思考回路かそれとも……。

 さて、そんな嬉しいタイミングでのルパン×押井守×ヘミングウェイとなれば、記事にしない訳にはいきません。

 例によって例のごとく、私にしか需要のない記事になろうとも本望!と開き直ってまとめさせていただきます。

 まず、第5話の題名の「ダイナーの殺し屋たち」はそのままにヘミングウェイの短編「殺し屋」のオマージュです。

 ルパンと次元が扮する男二人のやり取りも、そのまま原作に忠実に、且つユーモアを混ぜそこかしこにヘミングウェイの台詞が隠されておりました。

 「殺し屋」では"ジョージ"という名のカウンターの店員は、アニメでは少女に変えられ「"嬢ちゃん"」に、頼んだメニューがないところもそのままに「それはディナーでして」という返答。

 そして作中の会話に垣間見えるヘミングウェイの話題たち。
例えば台詞には、「"10人のインディアン"」やら「"簡単な質問"だろ?」やら「"今日は金曜日"です」「ここから先は"追い抜きレース"だ」「一人頭"五万ドル"」「まさに"敗れざる者"」「まさに"陳腐なストーリー"」「やつにとっちゃ、あらゆる場所が"アナザーカントリー"」といった単語が登場するのですが、こちらの""内ははどれもヘミングウェイの短編の題名となります。
(大して詳しくなかったというのに、ちょうど読んでいた為、驚くばかりでした(笑))

 街の名前を尋ねられた店員は(このシーンもそのまま「殺し屋」にあるのですが)原作ではサミットと答えるところをヘミングウェイの出身地「オーク・パーク」に変更されており、
その店員が読んでいた本は正にそれらの短編が載っている短編集の題名「男だけの世界」

 更には背景に飾られた絵には「アルプスの牧歌」の風景画らしきものに、ダイナーが飼っている鳥は"カナリア"(こちらも短編の題名に"贈り物のカナリア"というものがございます)
 背景に書いてあったイタリア語もChe Ti Dice La Patria?(短編の題名です)
 更にはダイナー名は、"White elephant "
 白い象、と聞いてヘミングウェイの物語とくれば、もう思い出されるのはヘミングウェイ自身が最も愛した短編のひとつとされる「白い象に似た山々」でしょう。

 メタファーを大量に詰め込んだような作品の中でまた語られるのは、そのオマージュされた物語の「殺し屋」の裏話となり、ルパンが殺し屋の物語を踏襲しているようで、同時にその内容に触れるという、メタ発言にも思え、実に面白い。

 そして、この原作の「殺し屋」は一夜にして書き上げられたという話があるのですが、実は初稿では殺し屋が退散する前半部分しかなく、後半は後から書かれたものとなります。
 その為か、原作を読むと滑らかな流れが少し途切れてから繋がったようにも思えるのですが、そこに押井守監督らしい銃撃戦が起き、そこからルパン達の物語へと変化します。
 書き足された部分への導入部にルパンと次元、そして不二子ちゃんの種明かしを入れるところも印象的でした。

 そして一番好きなラスト、「殺し屋」を踏襲していながら、ニック(ヘミングウェイ自身を投影しているとも言われる短編に多々登場する人物)の台詞が、
「原作でも死を覚悟して"身を横たえて"いた男の消息はわかっていない」
 まるで原作を踏襲していることを意識しているような、物語の中から半分こちら側(視聴者側)に片足を入れたような発言に、初めて空想上のルパン達にまるで本当に生きている存在かのような"リアリティ"を感じられました(笑)

 ハードボイルドでありながら現実と空想の狭間を繋げる作品を描く押井守とヘミングウェイの雰囲気と初期ルパンのデザインがここまで違和感を与えないとは……
期待以上の脚本と、物語に合うやや固めの作画に頬のにやけが隠せませんでした(笑)

 何より、今まで見たこともないルパンなのに、まるで懐かしいようなルパン達だったというのが不可思議で興味深い。

 やっと、見たかったルパンが見れた。そんな気分になりました。

 意味があるようで意味がないような、暗喩に秘められた意味に答えがあるのかすらわからない世界観も、ヘミングウェイと押井守監督の作品に混在するもので、私はそんな"メタファーに溢れた世界"が現実だとも思っています。

 小さな出来事にも大きな意味があったり、大して意味がなかったり。
 しかし、その小さな事柄を突き詰めていくと、時に不思議なほど様々な繋がりが現れる。

 たとえば、私が読んでいた日に放映されたこと。
 リハビリの先生にホットアイピローを勧められた直後、それが届いたり、探そうと思ったものをプレゼントされたり、買った収納棚がピッタリに収まったり、そんな素敵な偶然をセレンディピティと呼ぶらしいのですが、最近、これが非常に多い!

 頑張っている人にしか起きないという説もあるらしい為、都合よく捉えてしまいましょう(笑)

 まあ、しかしなんだ。父上様が実は10月頃より脳梗塞で倒れ、入院中であったりもする不可思議堂ですので、わりと頑張っているのかね。

 さて、今年も残り僅かとなりましたが、拝見してくださった皆々様、母上様、父上様、おばあちゃん、更にお優しい様々な人々へ御礼申し上げます。
 今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

 心ある人々が、よいお年をお迎えくださいますように……♪

 画面に突如寄ってきたニャンズから始まりーー



最近お気に入りのお洋服をお召になったなるぽんさんとーー



色違いをお召しになったギフトくん。



こちらはリボン付きとなります。


 


不可思議堂 ちぃ


P.S.ついでの誕生日ケーキとご馳走、クリスマスケーキの写真はこちらです。ついでのついでに久しぶりのラーメンも載せておこう。


 実は連載時から好きだった呪術廻戦のピックをいただき、そちらを容赦なくグサグサと刺した誕生日ケーキから載せましょう。


間には毎年恒例の缶詰のフルーツとゆず茶を挟み、さっぱりとしたフルーツケーキ風に仕上げました。



 2枚目のこちらは、非常に美味な母上様手作りミートローフとローストポークのせサラダ。

 最早、美味しくないはずがない!



 そして、三枚目。

途中ニャンズにいちごを狙われるという事件にあいながらも、死守いたしました。大変だった……そして何故いちごを狙った(笑)

 こちらはバンホーテンのココアを混ぜたホイップにより、更に甘さ控えめで食べやすく仕上げることができました。

 間にはたっぷりのナッツとやはりゆず茶を挟みました。



 美味也美味也。



 最後は特に関係なく、私がなんとなくリクエストしたラーメン!

 大変美味でありました。


 さて、本日はとうとう大晦日。大祓をしなければねえ。

 年越し蕎麦も楽しみだなあ。


 以上!

 不可思議堂


早いもので、明日4月1日はセザンヌ先生の一周忌となります。


より厳密に言えば、一年前の今夜こそが、私の足を両のてのひら(肉球)でしっかと掴んだまま、お休みになられた時となります。


なんとはなしに、やはり淋しく哀しく、しかし同時に愛おしく優しいぬくもりを、不思議と掴まれていた左脚に感じております。


スピリチュアル等クソ喰らえという占い師でありながら、個人的に見えるもの、感じるものは別な上、自分の感覚は信じるようにしております。

取り敢えず、お金を取らず、見えているものを人に押し付けたりしなければ問題なし。

信仰心ももちろんですが、人のこころに他者が意図的に介入することを単純に嫌う生き物の為、明日はいわゆる一周忌なるものは行いません。


強いて言うならば、私なりの供養と感謝をする日とします。

祖父母の命日も同じなのですが、供養という漢字は、供に養う、と書きます。

その文字通り、私は明日、セザンヌ先生の好きだったことを共に行う所存です。


ということで、納豆を買わねば!!


野良時代が比較的長かった為か、セザンヌ先生は何故か納豆のネバネバが大好物だった為、明日は私が共に納豆の容器を念入りに舐めーーーいや、それは流石に品がない(笑)

ネバネバが残らないよう上手く掬って、先生の満足のいくように食べ尽くしましょう。

芥子入りのが好きだったようだから、アレルギー起こさない程度に入れて食べるかね(笑)


あとは彼が亡くなる前、食も落としていたのに異様に食べたがった豚肉の梅大葉巻きか、トンカツ。

あの二つもどうにか食してあげたいなあ…トンカツはまあ、後日になるかもしれんが。


母上様の体調が芳しくない為、私自身もなかなかの炎症具合ですが、多少は明日くらい無理をしてみようかと考えております。

作り方を教わって作ってみようかね…朝、ヘルパーさんに材料を頼んで、痛み止めと炎症止めを調節すればーーーいけるかな?


母上様の疲労もあることだし、明日は夜ご飯をラクさせてあげられるだろうか、等と欲張りに考えつつ、同時に私が無理をしすぎることで先生が悲しまないよう、適度にリハビリとしてやり、何よりも楽しむことを第一にいきましょう。


安心してくれたまえ、先生。

楽しむのは得意中の得意だし、君の面白エピソードは尽きないから皆を笑わせる一日にするよ。

おや、機嫌がよろしくない?自分の格好悪い話をするなって?いやいや、可愛らしいお話なのだから勘弁してくださいな。

例えば、ほら父上様の部屋の網戸にーーー


おっと失礼、セザンヌ先生に怒られそうな為、詳しくは述べられません(笑)


あと、君のためではあるけれど、君のためだけではなく、君のために私がやりたいだけなのです。

もしくは、君にやってあげたいことを、私がやりたいだけ。

君がやりたかったであろうことを、私がやりたいだけ。

このような感覚は所詮は自己満足の域を出ませんが、存外そのくらいが良いことも多々あります。


誰かのためにやってばかりでは、つまらないし満足もできない。

満足できない人は、足るを知らない。

足るを知らない人が、人を笑顔にできるはずがない。

そして私は人を笑顔にさせたいのではなく、人が笑っているのを見たいだけ。

ついでに心からの笑顔を浮かべられる時、人はパフォーマンスが良くなる。

最大限の能力を、無理なく適切に活かせる。


とことんの心の利益追求の信念が、存外、生者も死者も、己をも救うと信じている不可思議堂でございます(笑)


と、偉そうに単なる阿呆の自己満足の自己完結的意見を述べながら、更に本音を言えば豚の梅大葉巻きを単純に私が食べたくなりまして…もう無理してでも作って食したい謎の意欲が湧いております(笑)

もしやセザンヌ先生の気持ちが流れ込んできたかな…仕方ない、乗って差し上げましょう、先生の企画に(笑)


明日から数日は、春のなる祭りの前のセザンヌ週間に入るかね。

君の好物や君が私から掠め取ろうとしたご馳走を共に食しましょう(笑)

今なら身体にも悪くないだろう?遠慮なく食べたまえ。食べたいものも遠慮なく言いたまえ。出来る限りは用意致しましょう。あ、でもあんまり高いのは無理だぞ?予算的にも、私の味覚的にも(笑)


という記録記事で、久方ぶり更新は終えさせていただきます。

うん?オチてない?

何、ブログなんてものは日常の連鎖のごく僅かを切り取っただけのもの。

終わりも締めくくる必要もなく、いつだってTo be continuedでいいのです。

勿論、セザンヌ先生、君もですよ?


人は誰もが、To Be Concluded.と結末へ向けていくものですが、宇宙規模で言えば結末など誰も知らない。


と突然主語を大きくして誤魔化したところで、以上!!


不可思議堂 ちぃ

久方ぶりの更新となりました。
本日の内容は、様々なことがあった去年を乗り越えーーその割に別段性質は相も変わらず愉快にやっているご報告の記事となります。
いや、愉快というよりも相も変わらず阿呆をやっているだけか。

此の度の入院騒ぎでリハビリも始め、すっかりスマートな体型に突き進んでいる母上様も、いかんせん、阿呆は変わらず、
その間、それなりに苦労はしたであろうわたくしも、何故か阿呆からの脱却はなく、
更に不可思議なことに新入り弟猫のギフト君がやんちゃなひょうきん者の道をひた走り、我が家の第四の阿呆となる可能性が出てきている今日この頃でございます。
因みに、第一の阿呆とは母上様、第二の阿呆とは私ちぃ、第三の阿呆がなるぽんさんとなっております。(詳しくないが何となくエヴァンゲリオンのような喩えになった気が…あれ、第三の使徒とか言ってなかったっけ?最近また放映されておりましたが、特に見ることもなくうろ覚えとなっております。何かから兎に角逃げちゃダメだって必死に言い聞かせているのが主人公なのは存じております(笑))

さて、兎にも角にもその阿呆を増やさない為にも、かの学問の神様、且つ天神様と名高い菅原道真のお力を借りよう、と今月は画策することとなりました。
梅花祭は毎年、個人的にも道真公が好きなため、しっかりと偲ぶ日とし、縁があれば梅ヶ枝餅も食しておりますが、今年は幸いにも既に梅ヶ枝餅を入手し、美味しくいただくことができました。
その際、尚の姫君である祖母(長女)に父(長女の長男)と私(長女の長男の長女(笑))も食したのですから、まあ少しは効くでしょう、うむ。
きっとギフトは阿呆にはならぬ。いや然し、既に賢い子ではあるのだが、なんとも絶妙な阿呆さを垣間見せるのよな…否、彼を信じましょう。
あと道真公、頼みます!(笑)

さて、そろそろ本題に入りましょう。

今回の記事はまたもや母上様からの唐突な疑問から生まれた内容となります。

忘れる前に、新入り店長ギフト君となるぽんさんを載せておこう。


アグレッシブなやんちゃさ故に、大抵の写真がブレるギフト君ーー
なんとも飛び跳ね方が特徴的で、ウサギとテンとシャム猫を足して2で割って3余ったような変わった仔がまたもや新しい家族となりました(笑)
兄猫になったなるぽんさんも、ヤマネコと犬と鳥と菩薩を足したような仔だものなあ。


うむ、やはり半眼が似合いますね、なるぽんさん。



こちらは常に覚醒している阿修羅のようなーー或いは仁王像並みの目の見開きの可能性もございます。
ギフトは明王か天寄りかね。


しかし時には、如来のような表情をすることも…。



はてさて、ずっと載せそびれていた写真も無事載せられた為、今度こそ本題に入りましょう。

実は今回は流行のフレーズについてのお話となります。
だが待て暫し、我が家の流行とは基本出遅れているから先を行き過ぎているもの。
しかし今回ばかりは最近よく使われるフレーズだそうでした。
私もニュースで耳にし、「なんじゃそりゃ」と思ったものですので、珍しく存じております。

そのフレーズがこちら。

ずばり「意識高い系」

ですが、案の定、母は意味を知らず、勿論私もよく知らずーー
そんな無知を知る親子の会話から、今回母上が気に入ったばかりに不可思議堂の個人的解釈による「意識高い系」のご説明をすることと相成りました。

ことの発端はこのような会話でした。

母上様から唐突に尋ねられた「意識高い系ってどういうヤツ?」との質問に、即答で「え?自分の価値を過信してるヤツ」と言い放ったのは私でした。
そして、何故かその返答がお気に召した母上様に『意識高い系について書いて、私に読ませなさいよ!!』というような詰め寄り顔で頼まれた為、何故か私も理由はわからないままに、意識高い系についてご説明することとなったのです。

しかし悲しいかな。
気圧変化が激しかったり気温差で疼痛が悪化したり負傷したり、と忙しなく、なかなか文章に起こさなかった為、或いはこの話題そのものを母上様がお忘れになられている可能性もございます(苦笑)

ただ、まあ、頼まれたらやっておこう。
取り敢えず、ね、と軽い気持ちでまとめた当不可思議堂による「意識高い系」のご説明がこちらとなります。

注意・再度お伝えいたしますが、こちらは不可思議堂による不可思議堂スタッフのための不可思議堂的勝手な解釈となります。


【意識高い系とはーー】

 自身の魅力や才能、力量、その他センスや趣味などを現実の能力よりも過信してしまっている人々の総称。
 又、そのような人々が行なってしまう行動。
 当人は他者からの承認欲求以外での自分の価値を見出せないことが多い。結果、正当な自身の能力を見極めることができず、失敗しやすい。
 総じて実力以上に自身を見せようとする(実際にそう思い込んでいる)ことで、身の丈に合わない行動や発言をしやすい。
 危機察知能力と客観的な視点が低下するが、代わりに裏付けのない謎の自信で、自分の立場をも地に落とすことがある。
 但し、立場が落ちたことにも基本的には気づかない為、鋼鉄の心を持っているとも言える。

 他者からの非難を軽減させる為に、敢えて自称する者も居るが、こちらは自分の力量を理解した上での自虐的発言の為、実際には当て嵌まらない。

類義語「自意識過剰、自己承認欲求、自意識高い系」


だから何だ、という内容でもありますが、つまりは母上様のお嫌いな安い洋服で高く見せようとする流行も、そんな工夫をするよりも、初めから内面を磨けば良いだろう、というのが不可思議堂の個人的な考えということになります。

しかし人とは他者と違うことをしようとしても、自分らしくあろうとしても、どこかで他者と比較し、無意識に模倣、或いは模倣しないことを意識してしまうことがあります。

自分の道は自分しか進めも立ち止まれも引き返せもしないのに、いかんせん身近過ぎるものほど見落としやすい。
意識の高いという表現も、そんな人生の道に迷った人々が扱う言葉のひとつでもあるのでしょう。(勝手に決めつけました(笑))

最後に本日2月22日といえば、猫の日。
ということで梅花祭の前に、我が不可思議堂の猫祭りも開催しなければなりませんが、折角なので先の内容にも猫にもまつわる名言をひとつ、ご紹介いたします。


"もし道に迷ったら、一番良い方法は猫について行くことだ。
猫は道に迷わない。"

Charles Monroe Schulz(チャールズ・M・シュルツ)


かなり有名な話ではありますが、実は猫派だったSNOOPYの作者、シュルツさんのお言葉です。

心や気持ちを持て余して置きどころに困ったら、猫について行くように歩いてみましょう。
家に居れば寄り添うのも良し、外に出てひと気のない場所で猫を探し、寄る辺なく歩いていればいつの間に、何故か孤独も心地好さとなり不安もいつしか期待と変わるでしょう。
すると自身の価値は決して他人がつけるものではないことにも気付けることでしょう。

とたまには占い師らしい口調で言ってみよう(笑)

兎にも角にも、猫のように行こう。
ゆるりと、しなやかに、したたかに。


以上!

不可思議堂