久方ぶりの更新となりました。
本日の内容は、様々なことがあった去年を乗り越えーーその割に別段性質は相も変わらず愉快にやっているご報告の記事となります。
いや、愉快というよりも相も変わらず阿呆をやっているだけか。

此の度の入院騒ぎでリハビリも始め、すっかりスマートな体型に突き進んでいる母上様も、いかんせん、阿呆は変わらず、
その間、それなりに苦労はしたであろうわたくしも、何故か阿呆からの脱却はなく、
更に不可思議なことに新入り弟猫のギフト君がやんちゃなひょうきん者の道をひた走り、我が家の第四の阿呆となる可能性が出てきている今日この頃でございます。
因みに、第一の阿呆とは母上様、第二の阿呆とは私ちぃ、第三の阿呆がなるぽんさんとなっております。(詳しくないが何となくエヴァンゲリオンのような喩えになった気が…あれ、第三の使徒とか言ってなかったっけ?最近また放映されておりましたが、特に見ることもなくうろ覚えとなっております。何かから兎に角逃げちゃダメだって必死に言い聞かせているのが主人公なのは存じております(笑))

さて、兎にも角にもその阿呆を増やさない為にも、かの学問の神様、且つ天神様と名高い菅原道真のお力を借りよう、と今月は画策することとなりました。
梅花祭は毎年、個人的にも道真公が好きなため、しっかりと偲ぶ日とし、縁があれば梅ヶ枝餅も食しておりますが、今年は幸いにも既に梅ヶ枝餅を入手し、美味しくいただくことができました。
その際、尚の姫君である祖母(長女)に父(長女の長男)と私(長女の長男の長女(笑))も食したのですから、まあ少しは効くでしょう、うむ。
きっとギフトは阿呆にはならぬ。いや然し、既に賢い子ではあるのだが、なんとも絶妙な阿呆さを垣間見せるのよな…否、彼を信じましょう。
あと道真公、頼みます!(笑)

さて、そろそろ本題に入りましょう。

今回の記事はまたもや母上様からの唐突な疑問から生まれた内容となります。

忘れる前に、新入り店長ギフト君となるぽんさんを載せておこう。


アグレッシブなやんちゃさ故に、大抵の写真がブレるギフト君ーー
なんとも飛び跳ね方が特徴的で、ウサギとテンとシャム猫を足して2で割って3余ったような変わった仔がまたもや新しい家族となりました(笑)
兄猫になったなるぽんさんも、ヤマネコと犬と鳥と菩薩を足したような仔だものなあ。


うむ、やはり半眼が似合いますね、なるぽんさん。



こちらは常に覚醒している阿修羅のようなーー或いは仁王像並みの目の見開きの可能性もございます。
ギフトは明王か天寄りかね。


しかし時には、如来のような表情をすることも…。



はてさて、ずっと載せそびれていた写真も無事載せられた為、今度こそ本題に入りましょう。

実は今回は流行のフレーズについてのお話となります。
だが待て暫し、我が家の流行とは基本出遅れているから先を行き過ぎているもの。
しかし今回ばかりは最近よく使われるフレーズだそうでした。
私もニュースで耳にし、「なんじゃそりゃ」と思ったものですので、珍しく存じております。

そのフレーズがこちら。

ずばり「意識高い系」

ですが、案の定、母は意味を知らず、勿論私もよく知らずーー
そんな無知を知る親子の会話から、今回母上が気に入ったばかりに不可思議堂の個人的解釈による「意識高い系」のご説明をすることと相成りました。

ことの発端はこのような会話でした。

母上様から唐突に尋ねられた「意識高い系ってどういうヤツ?」との質問に、即答で「え?自分の価値を過信してるヤツ」と言い放ったのは私でした。
そして、何故かその返答がお気に召した母上様に『意識高い系について書いて、私に読ませなさいよ!!』というような詰め寄り顔で頼まれた為、何故か私も理由はわからないままに、意識高い系についてご説明することとなったのです。

しかし悲しいかな。
気圧変化が激しかったり気温差で疼痛が悪化したり負傷したり、と忙しなく、なかなか文章に起こさなかった為、或いはこの話題そのものを母上様がお忘れになられている可能性もございます(苦笑)

ただ、まあ、頼まれたらやっておこう。
取り敢えず、ね、と軽い気持ちでまとめた当不可思議堂による「意識高い系」のご説明がこちらとなります。

注意・再度お伝えいたしますが、こちらは不可思議堂による不可思議堂スタッフのための不可思議堂的勝手な解釈となります。


【意識高い系とはーー】

 自身の魅力や才能、力量、その他センスや趣味などを現実の能力よりも過信してしまっている人々の総称。
 又、そのような人々が行なってしまう行動。
 当人は他者からの承認欲求以外での自分の価値を見出せないことが多い。結果、正当な自身の能力を見極めることができず、失敗しやすい。
 総じて実力以上に自身を見せようとする(実際にそう思い込んでいる)ことで、身の丈に合わない行動や発言をしやすい。
 危機察知能力と客観的な視点が低下するが、代わりに裏付けのない謎の自信で、自分の立場をも地に落とすことがある。
 但し、立場が落ちたことにも基本的には気づかない為、鋼鉄の心を持っているとも言える。

 他者からの非難を軽減させる為に、敢えて自称する者も居るが、こちらは自分の力量を理解した上での自虐的発言の為、実際には当て嵌まらない。

類義語「自意識過剰、自己承認欲求、自意識高い系」


だから何だ、という内容でもありますが、つまりは母上様のお嫌いな安い洋服で高く見せようとする流行も、そんな工夫をするよりも、初めから内面を磨けば良いだろう、というのが不可思議堂の個人的な考えということになります。

しかし人とは他者と違うことをしようとしても、自分らしくあろうとしても、どこかで他者と比較し、無意識に模倣、或いは模倣しないことを意識してしまうことがあります。

自分の道は自分しか進めも立ち止まれも引き返せもしないのに、いかんせん身近過ぎるものほど見落としやすい。
意識の高いという表現も、そんな人生の道に迷った人々が扱う言葉のひとつでもあるのでしょう。(勝手に決めつけました(笑))

最後に本日2月22日といえば、猫の日。
ということで梅花祭の前に、我が不可思議堂の猫祭りも開催しなければなりませんが、折角なので先の内容にも猫にもまつわる名言をひとつ、ご紹介いたします。


"もし道に迷ったら、一番良い方法は猫について行くことだ。
猫は道に迷わない。"

Charles Monroe Schulz(チャールズ・M・シュルツ)


かなり有名な話ではありますが、実は猫派だったSNOOPYの作者、シュルツさんのお言葉です。

心や気持ちを持て余して置きどころに困ったら、猫について行くように歩いてみましょう。
家に居れば寄り添うのも良し、外に出てひと気のない場所で猫を探し、寄る辺なく歩いていればいつの間に、何故か孤独も心地好さとなり不安もいつしか期待と変わるでしょう。
すると自身の価値は決して他人がつけるものではないことにも気付けることでしょう。

とたまには占い師らしい口調で言ってみよう(笑)

兎にも角にも、猫のように行こう。
ゆるりと、しなやかに、したたかに。


以上!

不可思議堂