ドライブ
「お邪魔します」
「どーぞー」
助手席のドアを開け、恐る恐る車内に身を滑り込ませた。
「何をそんなビクビクしてんねん」
亮介は笑いながら、まひろの頭をぽんぽんと撫でた。
「だ、だって・・私、こんな車に乗るの初めてやから」
まひろが言うこんな車とは、今二人が乗っている亮介の愛車、ベンツに他ならない。
「今時こんくらいの車誰でも乗ってるやろ」
亮介はなおも笑いながら、キーを回してエンジンをかけた。
「そうかもしれませんけど・・・私みたいな庶民にとっては、恐れ多い高級車なんですよ」
「俺も庶民~♪」
「社長さんが何ゆうてるんですか」
ふざけた調子の亮介に苦笑しつつも、こんなやりとりさえ楽しくてしかたない。
久々に会う恋人に、まひろは胸をときめかせていた。
「いいお天気ですねぇ」
「ほんまやな」
雲ひとつ無い晴天に、二人の心も知らず弾んでいく。
「佐々木さん、運転上手ですね」
「そうかー?普通ちゃう?」
そう言いつつも、褒められて悪い気はしない。
「羨ましいな。私、どうも運転が苦手で」
「うん、まひろちゃん、ヘタそう」
「ちょっと!それ失礼なんですけどー」
唇を尖らせて、上目遣いに亮介を睨むまひろは、無意識とはいえ、これまた壮絶に可愛らしかった。
この子、実は天然魔性かもな・・・と亮介が思ってしまったのも無理はない。
そうして、しばらく車内に穏やかな時間が流れた。
亮介の好みなのだろう、まひろが聞いたことのない洋楽の歌が小さく聴こえる。
二人は言葉さえ交わさないが、まるで空気で会話をしているようだった。
そのくらい、そばにいるのが心地よく、ごく自然だった。
軽快なハンドルさばき、ミラーを確認する目、時折前髪をかきあげる仕草。
その全てに、まひろは胸をドキドキさせながら見蕩れた。
ほんの数週間前に知り合い、二人で会ったのも数える程度。
それなのに、どうして自分がここまで亮介に惹かれてしまっているのか、まひろは未だに不思議でならない。
「なんか黙ってるけど、どうかした?」
「あ、えっと、いえ別に」
「ははっ。なんやねん。今更緊張してんの」
からかわれているはずなのに、亮介の無邪気な笑顔を見ると、否応なしに胸が締め付けられる。
好きの気持ちが今にもこぼれ出しそうな自分を、抑えられない。
「緊張・・しますよ」
赤くなった顔を見られないように、俯き加減に呟く。
「なんで?」
「なんで・・って。そりゃあ・・」
「俺のことが好きやから?」
ニッと人の悪い笑みを浮かべ、亮介はまひろの顔を覗きこんだ。
運転中に危ない・・と言おうとしたが、車はいつの間にかサービスエリアの駐車場に停まっている。まひろがぽーっと見蕩れいる間に、とっくに進路は変更されていたのだ。
「赤い顔のまひろちゃん、聞いてる?」
なおもからかい続ける亮介。
その表情は楽しそうにキラキラと輝いている。
「・・・・です」
亮介から必死に目を逸らし、ポツリと呟く。
「ん?」
聞き取れず、耳ごとまひろに近づけた。
鼻腔をくすぐる、清涼なコロンの香り。
亮介の香り。
いつしかこの香りを感じるだけで、心が揺れるようになった。
「好きです・・よ」
亮介にだけ聞こえる声で、小さく愛を囁いた。
そんな可愛い攻撃に亮介が耐えられるはずもなく・・・俯いているまひろの顎をくいっと自分の方に向かせ、躊躇いなく唇を重ねた。
それは、ラウンジでの触れるだけのキスとは比べ物にならない、激しさと熱を持ってまひろを乱していく。
性急で、噛み付くような口付けだった。
息をしようと僅かに開いた唇を、そのままぱくっと食べてしまうように覆いつくし、舌で歯列をなぞりながらこじ開けていく様はいかにも動物的で、亮介の中の雄をまざまざと見せ付けられている気分だった。しかしそれは、まひろを怯えさせるものではなく、むしろ好きな男に求められ、蹂躙されていく過程は女としてこの上ない悦びを与えていた。
「・・・っ、はぁ」
ようやく解放された唇は、お互いの唾液でしっとりと濡れていた。
キスの余韻で、とろんとした目を宙に彷徨わせながら、まひろは上がった息を整える。
「・・・ごめんな。いきなりがっついてもーて」
耳元で甘い声が申し訳なさそうに呟いた。
「いえ、そんな・・」
「まひろちゃんが可愛いことゆうてくれるから、我慢できへんかったわ」
ニッと男性的な笑みを浮かべ、吐息を混ぜながらまひろの耳に注ぎ込む。
それを聞いて、体の芯がかぁっと熱くなるのを感じ、小動物のように肩をピクンと震わせた。
「嫌やった?」
潤んだまひろの瞳を見つめた。
何と言っていいかわからないまひろは、ぷるぷると首を横に振った。
「そっか、よかった。
さっき、少しだけやけど、舌に応えてくれたもんな」
直接的なその表現に、まひろの頬が赤く染まる。
「・・・あの、ごめんなさい。私、キス下手で」
「そんなことないで。俺気持ちよかったもん」
照れることなく、はっきりと言ってのける亮介に、まひろはあっけにとられる。
「これからいっぱいキスして、まひろちゃんをキスの達人にしたるわ」
満面の笑みでそう言われ、促されるままに、
「よ、よろしくお願いします」
と見当違いなお願いをしてしまったのは言うまでもない。
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電話
火曜日
PM10:40
亮介から突然のコールに、読んでいた雑誌をパタンと閉じる。
名前と番号が点滅する画面をドキドキしながら見つめていたまひろが、意を決して通話ボタンを押したところからこの話は始まる。
「そうだ、京都に行こう」
他愛もない会話の中、亮介が突然口にしたそのフレーズは、昔見た旅行だか鉄道だかのCMを真似ているらしく、どうもセリフっぽかった。
「どうしたんですか。急に」
まひろは首を傾げる。
「次のデートやん」
話の流れにイマイチついていけていないまひろをよそに、亮介は何だか楽しそうだ。
「デート・・」
そのワードにはまひろも反応を示す。
「そうそう。俺らの初デートやからな。気合い入れて行かな」
「あはは、気合って・・」
もう30歳にもなる大人の男とは思えないその言い方に、まひろは苦笑しながらも同じ気持ちでいてくれることをどこか嬉しく感じていた。
「なんやねん。まひろちゃんは俺と遊ぶの楽しみちゃうんかいなー」
「すごく楽しみですよ。早く会いたい」
「・・・・」
予想外の返答に、亮介は思わず言葉を詰まらせた。
「・・・佐々木さん?」
沈黙に戸惑ったまひろは、窺うように名前を呼ぶ。
「まひろちゃん、今のはヤバイ」
「へ?」
「電話じゃ我慢できへんようなるわ」
「それって・・」
「今からまひろちゃん家に車飛ばしたくなったってこと」
どうやらまひろのさっきの言葉は、彼にとって相当な破壊力をもっていたらしい。
「・・・そ、そうなんですか」
亮介の声色がどんどん甘さを帯びてきていることに気づいたまひろは、わずかだが体に力が入る。
「そうなんです」
亮介はふざけたようにそのまま返した。
まひろの受け答えがいちいち真面目なので、面白くてしかたない。
「今週末は空いてるんやっけ?」
「は、はい!どっちも空いてます」
「いいねぇ。ほな、土曜にしよか」
「はい」
まるで少女のように心が躍ってしまう。
今まひろにとって、世界の中心は間違いなく亮介だった。
「京都に美味い精進料理の店あるから、そこ行こう」
「わぁ。いいですね!」
声が一気に弾む。
「まひろちゃん、食いもんの話なったらテンション上がるな」
「あ、えへへ。食べるの大好きなもので」
まひろは照れたようにはにかんだ。
彼女のこういう飾らない素直なところを、亮介はとても気に入っている。
「ええやん。俺もや。
ほな、土曜空けといてな」
「わかりました」
そして、二人の間に心地よい沈黙が流れた。
「まひろちゃん」
低めのテノールが甘く響く。
「・・はい」
「おやすみ!」
「お、おやすみなさい」
突然威勢のいい声が受話器から聞こえ、圧倒されるまひろ。
それに対して亮介は、何だかニヤニヤと含み笑いを浮かべている。
「今、”愛してるよ・・”とか言われると思ったやろ」
「なっ、思ってないですよ!そんなこと・・」
期待をしていたわけではないが、改めて言われるとなんだか恥ずかしくなってきた。
「えーほんまにー?」
当の亮介は完全に楽しんでいる。
「もう、からかわんといてくださいよ」
拗ねたように唇を尖らせた。
「ごめんごめん。まひろちゃん可愛いからついイジリたなんねん」
そんなことを優しく耳元で囁かれた日には、例え電話越しであろうともまひろが平静でいられるわけがない。
赤い頬を手で押さえつつ、「・・え、と。どうも」とだけどうにか返すことができた。
「あ、結構ええ時間やな。まひろちゃんそろそろ寝なあかんやろ。」
「ほんまですね。もうこんな時間やったんや」
「遅くまでごめんな」
「いえ、楽しかったです」
「俺も。
ほな、また連絡するわ」
「はい。待ってます」
「おやすみ~」
「おやすみなさい」
携帯の電源ボタンを押して、パタンと二つに畳む。
耳にはまだ亮介の低い声が残っていて、胸はしばらくトクトクと鳴り続けていた。
約束の日まで、このときめきは消えそうにない。
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恋のチカラ
キーボードを打つ音。
時折鳴る電話。
ざわざわと聞こえる話し声。
何もかも、今までと変わらないのに、まひろにはまるで別世界のように感じられていた。
昨夜、恋人が出来た。
佐々木亮介。
ルックス、経済力、性格、全て申し分のない男。
出会ってまだ1週間と少し。
お互いのことはあまり知らない。
まひろにとって、久しぶりの恋だった。
あのラウンジでの出来事からもう3日も経つというのに、未だ地に足が着いていない。
あんなにいい男が、自分の恋人だなんて、夢のように感じられてならなかった。
「山ちゃん、これFAX頼むわ」
目の前に書類が差し出される。
「・・・あっ、はい」
まひろは慌ててそれを受け取った。
「どうしたん?今日なんかいつもと違うな」
「え、そうですかね」
「うん、ぼーっとしてる」
からかうようにそう言いながら、男は席についた。
ありのままを言い当てられてしまい、恥ずかしさがこみ上げる。
「落ち着け、わたし」そう心の中で言い聞かせるが、しばらくすればすぐに意識は恋へと飛んでいってしまうのだった。
「・・・・うん、ええ感じやな。これで一回提案してみてくれ」
「はい、分かりました」
「中原常務は甘いもん苦手やから、手土産は煎餅とかにしてな」
「はい」
企画書を入れたファイルを、男性社員に手渡し、
「絶対大丈夫や」
と、にこやかに亮介は言った。
「ありがとうございます!」
年若いその男は、感極まったように目を輝かせる。
「ほな、行っておいで」
「はい!行ってきます」
社長のお墨付きをもらえたことで自信がついたのか、意気揚々と男は部屋を出て行った。
それと入れ違いに入ってきた井澤が思わず苦笑を浮かべる。
「えらくご機嫌ですね」
「ん?そうか~?」
とぼけているが、口許はニコニコと笑ったままだ。
「昨日何かいいことあったんですか」
持ってきたファイルを机に並べながら、理由を何となく分かりつつも一応尋ねる。
「ふっふっふ」
「何ですか。気持ち悪い」
「お前のイヤミなど、今日の俺には聞こえんぞ」
若干芝居掛かった言い方に眉を顰める井澤にも、亮介は屈しない。
「まひろちゃんと付き合うことになったから」
ふふん、と顎を反らして自慢げだ。
「よかったですね」
「それだけ!?」
あまりにあっさりとした井澤の言葉に、亮介は椅子からずり落ちそうなる。
「俺はいずれそうなるだろうと思ってましたよ」
ファイルの中身をパラパラとめくりながら、井澤は事も無げに言う。
「今まで亮介さんが、狙った女落とせなかったことないでしょ」
「いや、そんなこともないけど・・」
きっぱりと言い切られ、逆に調子が狂った亮介はポリポリと頭を掻く。
「まぁでも、まひろちゃんのことは珍しく本気みたいでしたから、一応、おめでとうございます」
「お、おお。ありがとう」
改めて言われると、どうも照れる。
「仕事人間の亮介さんが、まひろちゃんに愛想尽かされないことを祈ります」
井澤はニッと人の悪い笑みを浮かべた。
「おまえっ、縁起でもないことを言うな!」
「忠告ですよ。同じ失敗を繰り返さないための」
「・・・ぐ」
思い当たる節があるのだろう、亮介は言葉に詰まる。
が、しかしそれも一瞬のことだった。
「・・・あ!そや、お前さっきまひろちゃんて言うたやろ。山本さんと呼べと言うてるのに」
「・・・・」
この男の相変わらずの能天気ぶりに、もう相手はできないと、井澤はファイルに目を落とした。
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