修業時代 第66話 遂にパティスリー銀座レカン厨房へ | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997


私の修業時代 第66話 
遂にパティスリード銀座レカンの厨房へ配属!


*ここまでのあらすじ*

1987年に高校を卒業し横浜の調理師学校に入学
スペイン料理店で働きながら調理師学校を卒業
サテライトホテルヨコハマへ入社。
サテライトホテルヨコハマを1年ほどして退社。
神戸へ放浪の旅(姉のアパートに居候)
パティスリー銀座レカンに入社(ギャルソン)
パティスリー銀座レカン新宿三越店へ(半年間)
パティスリー銀座レカン厨房へ配属


遂に夢に見た
パティスリード銀座レカンの製造部門に!
配属が決定しました。

横浜石川町駅から品川へ
品川で山手線に乗り換え池袋へ

池袋から西武池袋線に乗り換え、
富士見台駅で下車。

富士見台駅から徒歩15分程の静かな住宅街の中に
パティスリードレカンの菓子工房が有りました。


売り場はなく、パティスリー ド レカンのセントラルキッチンで名称はパティスリードレカン練馬工房。

クリスマスも1ヶ月ほどに迫り、日に日に忙しくなっているタイミングで厨房に配属されました。


厨房には15名前後の職人が働いていました。
私と同い年ぐらいの2、3名が仕事を教えてくれました。


朝は8時出勤でしたが、私達若いパテシィエは1時間前ぐらいに出勤するのが習わしのようでした。

私はヨコハマのホテルで1年程の製造経験が有りましたので、経験者という事で多少優しく扱われました。

朝一の仕事は、
イチゴのヘタを取り網に綺麗に並べ、沸騰させたナパージュを1番艶の出るタイミングでイチゴにドロッパーを使いかけいく作業でした。ナパージュをかけたイチゴをケーキに飾ったり、ミルフィーユにサンドするイチゴをスライスしたり、、あっちを手伝い、こっちに呼ばれたりバタバタと走り回ります。


各店舗分のケーキが全て揃い、
デリバリースタッフが銀座本店、三越、高島屋などに配送ルートごとに積み込むとひと息つけます。


私と同世代の4.5人は交代で全製造スタッフの朝食を準備します。カフェ・オ・レとトースト、スクランブルエッグなどを作ってケーキの朝出し(各店舗への朝一番の注文分)が終わったら先輩達から順に朝食を立ったまま食べて済ませていきます。。


パティスリードレカンで最初に任された仕事が
【クレームパテシェール】カスタードクリーム作りでした。

シューアラ クレームはメニューにない高級フランス菓子店のレカンですが、一番の人気商品がパテシェールを使うミルフィーユ ・オ・フレーズでした。



クレームパテシェールは毎日牛乳4リットルを2鍋同時に炊く若手職人の登竜門的仕事でした。


牛乳を4リットル入れ銅鍋を火にかけ、沸騰するまでの間に卵黄40個を2セット割り、卵黄を白っぽくなるまで混ぜ、コーンスターチを加える作業を終わらせるスピードも要求されました。


サテライトホテルでは
スパテラで炊いていたカスタードクリームも、レカンではホイッパーで炊くんですね。バニラもサテライトホテルはエッセンスでしたが惜しげも無くバニラビーンズを2本入れますし、、。砂糖もサテライトホテルでは上白糖。レカンではグラニュー糖ですし、、『さすが高級フランス菓子だわ…』と嬉しくなりましたね。


平成になったばかりの頃で、まだまだ本物のバニラビーンズを惜しげも無く使ってるお店は少なかったと記憶します。今では誰でも使える時代に成りましたね。