修業時代 第32話 先輩と待ち合わせ | シェトミタカ通信

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patisserie opened in beppu in 1997



私の修業時代 第32話 先輩と待ち合わせ


あらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
サテライトホテルヨコハマの菓子部門に入社し、時に悩みながら少しずつ成長して行くのでした。



ベーカー部門で仕事を教わりだして二ヶ月余り、そろそろ夏を迎えようとしていました。

相変わらず浜田さんから叱られる事も有りますが、カスタードプリンやクレームパテェシエール、チーズスフレケーキなど少しづつ作るのを任される仕事も増えてきました。

チーズスフレなど、よく失敗して膨らまない時も有りましたが、最近は上手く上がるようになり、

『これならチーズケーキ屋さんが開けるよ。』と永江チーフが褒めてくれたりする日も出てきました。


休日や仕事が早く終わった日は横浜駅まで電車に乗り、本屋さんを覗いては菓子の本を探したり、立ち読みしたりしていました。料理の本も見るんですが、製菓の本を見る方が多くなっていました。

この頃から少しづつケーキ作りに興味が出てきたのかも知れません。今はインターネットで検索して直ぐ何でも調べられますが、あの頃は書籍か直接教わるしか方法は有りませんでした。


サテライトホテルの調理部では辞令が交付されました。



チームを組んでる浜田さんが、ベーカー部門からレストラン部門へ戻る事が正式に決まりました。

しかし、浜田さんがレストランに帰るまでに私達に引き継ぎを終わらせるのが条件のようです。


浜田さんは夏が終わったらレストランに戻れ、ベーカーは1人減って四人体制。クリスマスや忙しい時は手伝うそうですが、要は浜田さんの抜けた部分を新入社員の私達三人、草刈さん、伊南さん、冨高で埋めなければなりません!



永江チーフがチーズスフレを褒めてくれたり、浜田さんの指導もさらに厳しくなったのも今思えば納得です。



浜田さんの作業の始め方は特徴がありました。


まず、作る時に使う器具を全て準備させられます。


次に材料の計量や型の準備です。


以上のものが全て揃ったら仕込みがはじまります。

そして、すべての作り方をメモに書かされました。


《*カラク*〜チョコレートのケーキ》

◯ 準備する道具

・ボール 大 ① ボール 中 ②

・ホイッパー 中 ①

・20コートミキサーのミキサーボール①

・20コートミキサーのビーター ①

・ゴムベラ 大 ① 中 ①

・ …………

※1コートは約1リットル。20コートは約20リットルのミキサー。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◯ 作り方

①チョコレートを湯煎にかけて溶かす。

②常温で柔らかくなったバターをミキサーに入れ、クリーム状になるまでビター1速で回す(約5分)

③ミキサーの回りや底の部分をよくゴムベラで払う

…こんな感じで、全ての作り方を全部メモをさせられます。



『よし、じゃあ カラクを仕込んで焼くぞ!』と浜田さんが言うと、

『はい!』と私が返事をしてボールや必要な器具を準備してテーブルに並べるのです。


『オーブン(スイッチ)入れたか?』

『湯煎(ガスの火を)つけたか?』

『じゃあやってみろ。』と浜田さん。


ここで本当に作るのではなく、作る手順を動作だけで演るんですよね、エアーでのケーキ作りです!


それが流れ通りうまく出来たらはじめて実際に材料を触って作り出すのです。完全にアタマの中でイメージできないとやらせて貰えないんですね。


そんな浜田さんが

『冨高、今日終わったら何するん?』伊勢訛りで聞かれました。


『あ、別に…』と私が答えました。


『じゃあ、ちょっと付き合え…。』


その日は仕事が終わると浜田さんと従業員出口で待ち合わせしました。


『 着いて来い。』と浜田さんは言い、山下町から横浜駅方面へ歩きはじめました。



浜田さんが先を歩き、私が2、3歩後を歩きました。友達でもない先輩と並んで歩けないのが料理人や職人の上下関係でした。


20コートのミキサー