バス停🐾
さよならをいいに訪れた
この四月末でさいご
ありがとう‥なのだろうか‥
‥たぶん‥‥だね‥‥
とりあえず、さよなら、なんだ
あの夜から十五年
ながくてあっというま
この場所と「であってから」十五年
たいせつな場所が消えてゆく
置いてけぼりをくらった気がしてる
かなしい場所
近寄りたくない場所
みたくない場所
でも母とのかけがえない場所
ふたりひっしの時間を手をたずさえて紡いだ場所
‥母との時間がますますほんとうに遠ざかってゆく
‥置いてけぼり
この場所で、母と娘、たくさんたくさん‥たぶん地球のふかさよりもふかく‥涙をこぼした
母が自由をなくした場所‥すこしフジョウリな理由で‥
母はいのち、をいらないとなげきかなしむばかりになった
それでも
かけがえなくありがたいことなのだと
かなしみのなかでそう、わかっていた
どんなかたちであれ、母のいのちが還ってきた場所
そうして、いま、ふと
ここですごした二人のタイヘンな時間は、ひょっとしたら
「しあわせ」だったのかもしれない‥とさえおもう
このバス停を、何百回使ったことだろうか
当時、運転もできなかったので
1日にニ往復から三往復もっと
母が食べてくれそうなものを運んだ
食欲がまったくない母に、毎日三食
胃ろうを真剣に検討されるくらい、ほとんどなにも食べられなかった
食べることにはなんの医学的問題もなかったけれど、心が食べることをきょひしていた
あるときは、病室でお肉を焼いた〜ホットプレートで(←火気厳禁には違反しない)
看護師さんがやってきて!叱られるっ??
とおもったら
「とっても美味しそうなにおい♡みんなお腹が鳴ってますよ」って
母がクスッと笑った
なみだばかりの母の弱々しい笑顔
最高にうれしかった
スタバのラテかフラペチーノは、かならず運んだ
フラペチーノは、時間との勝負←溶けるから
バスの時間をみはからって、スタバのおねえさんに頼みこみ、ドンピシャの時間にテイクアウト〜信号待ちが長いと「とけちゃうよっ」とハラハラ
四ヶ月、通いつくした
夜中にもなんどもよびだされた‥「お母さまが不穏です」と‥
そのあと、リハビリのための転院
電車で通う日々がはじまった
この場所での四ヶ月のあいだに、指きりしたこと、ふたつ
転院先でも、繰り返し、指きりしたこと
かならず、我が家で一緒に暮らす
‥いずれの病院のドクターたちからも、施設での暮らしをすすめられた
かならず、モルディブに二人で行く
どちらの約束も、母は果たしてくれた
そんな場所が消えてゆく
この春には離れた場所へ移転
というだけではなく、名前もかわる
実質もかわる
すっかりさまがわり
母の知っていた駅も、駅周辺もすっかりかわり
街も姿をかえ
母と訪れていたお店や場所、デパートは、消えていった
なにより、お城も、平成の大修理をおえ
真っ白になり‥いまは、また、真っ白が、やわらかな色に落ち着いてきている
なんにもかも、おそろしく、ハイスピードで消えてく
それまでは、何十年まったくかわらなかったことが、あれよあれよ、とかわっていく
そんな時間が経った
あの日、あの夜から十五年
母がみえなくなってからでも、この六月で十年
母がいた時間がどんどん遠ざかる
母がみえなくなったとき、3歳だったちいさなふわふわは‥
もう13歳をはるかにこえた
時間は、ときとして容赦がない
それでも
時間、は、すべてを光にかえてくれる
あすもあさっても、いつも
笑っていよう
笑ってこちらの世界で歩いていよう
たよりなくとも‥あてどなくとも‥
母がいた時間のコンセキは、つぎつぎ消えていくけれど
自分のなかにだけ
けっして消えることなく、あるのだから
そうして
ちいさなふわふわ
は、母のなによりのコンセキ、なのだと
あの夜がなければ、いまも、母は
かたわらでお茶目に無邪気に笑っていただろう
それでも、あの夜がなければ
ちいさなふわふわと出逢うことはなかった
‥「母のかなしみをなぐさめるためのわんこ」だったのだから
そうだね
置いてけぼり、じゃない
あなたがいる
母の十五年
娘の十八年
そんな記念日がくる
たまたまのぐうぜんで
三年おいておなじ日のおなじ夜














