サレ妻のあんじゅです。



3月中旬から10日間の船旅をしてきました。


☆客室やサービスは👇



☆食事は👇


☆総支出費は👇





今日は寄港地についてです。



横浜港を出発して 次の日は丸一日 就航日。

3日目の朝に 鹿児島港に着きました。





☆鹿児島は少し離れた マリンポート鹿児島という場所に到着しました。

ここから ワタシは知覧へ。母は霧島温泉へ。

ドル建てツアーに入りました。

結果的に、中心地より離れてるのでシャトルバス25ドル払って中心部まで行くか、ツアーに入るしかないと思いますが 歩いて行く人やレンタカーを事前に予約して迎えのバスに乗る人もいたようです。予約タクシーも大人数ならアリかも。




☆ワタシは知覧へ。



☆知覧は終戦間際の沖縄へ 特攻した闘いでの

特攻隊が出撃直前まで暮らした場所です。

若い兵士の日常(寝泊まりした三角宿舎や食堂等)や、出撃の前夜に寝床で書いた遺書などが保管されていて 一部展示されてます。

全ての遺書が保管されていて観覧できるようになってます。


コチラは☝️ 後に制作された映画のレプリカです。 館内は撮影禁止。

不時着して海に沈んだ零戦の一部を引き上げて展示してました。


三角宿舎で書かれた遺書を読むと まだ若い兵士がどんな気持ちで逝ったのか 痛いほど分かります。 兵士達の母親の気持ちになってしまいました。

若い女性なら 旦那様や恋人と思うでしょう。

大切な人や国を守る為に命をかけてくれて今がある。そう思って感謝しかありませんでした。

道端にズラリと並んだ慰霊塔にありがとうございました。と唱えながら館内に入り、遺書を読みながら 又 ありがとうございました。と。

皆様が繋いでくれた命を大切に生きます。と

誓って記念館をあとにしました。


コチラは修学旅行生のコースになっているという事ですが、北国の学校ではなかなか行きません。

沖縄戦の跡地や鹿児島知覧には 是非 若い学生

を連れて行って欲しい。

うちの息子は小学生4年生の時に 沖縄へ行った際

沖縄戦で激戦だった場所やひめゆり隊、ガマやバンザイクリフに行きました。

ひめゆり隊で生き残ったお婆さんの話を聞いて

すごいショックを受けたようで、帰ってから

作文でその事を書いて 当時の担任の先生に提出してます。

そのやり取りが今でも息子の部屋に残ってます。

息子は3才からアメリカに行き アメリカの教育を受けたので考え方がアメリカ人。なので

日本人アイデンティティを持って欲しくて

日本の歴史として沖縄戦を見て欲しかった。

息子は小さい時に ワシントンD.C.へ毎年行きました。桜🌸の名所なので。

ワシントンD.C.では 日本に原爆を落とした

エノラゲイが展示されています。

それを見て ワタシが毎回 泣くのを不思議そうに見ていました。

若い時に見たものや体験したことはとても貴重です。だから是非とも 沖縄や鹿児島へお子さんを連れて見せてあげてください。

必ず心に響くものがあります。