1年間ずっと、13日のことは書けなかったなぁ・・・。


書いてみようかな・・・。覚えてる範囲で・・・。


日中のことは、思い出せないんだけどね。








5月13日


夜、保育園が終わって、アヤと父ちゃんが面会に来た。


私は充分、翔太と一緒にいることが出来たので、


父ちゃんに「男同士の話、したら?」と言って


翔太と二人きりの時間を作ってあげた。



アヤと私は自分の病室に戻り、ドラえもんを見ていた。





しばらくすると、看護士さんに呼ばれた。


なんとなく、予感はしていた。翔太とのお別れがきたこと。



翔太とのもとへ行くと、父ちゃんが翔太の手をにぎっていた。


周りには、先生や看護士さんがいた。


先生が「心拍が少しずつ落ちているので、最後の時間を家族で過ごしてください。」と言われた。


いろいろなところにつながれた管が抜かれ、初めて普通に翔太を抱くことができた。


「翔太、よくがんばったね、ありがとね。」とギュッと抱きしめ、おでこにキスをした。



数分後、翔太は息を引き取った。



翔太はこの日、父ちゃんが来るのを待っていたのかもしれない。


父ちゃんと初めて二人の時間を過ごせて、満足したんだね。男同士の楽しい時間を過ごせたんだね。








そのあと、父ちゃんと二人で最後の沐浴をさせてもらった。


体を綺麗に拭いて、父ちゃんが用意した水色の服を着せた。




その夜は、家族4人で私の病室で眠った。


とても幸せだったぁ。




翔太を空に還してからもうすぐ1年。


いろいろなストレスもあり生理不順ぎみショックおやじ。


年齢も年齢だし、やっぱりもう一人ほしいので、不妊外来で有名な病院に通院することにしました。


問診の時に、過去の出産のことも聞かれるため、答えられるようにしておこうと思って只今、まとめ中えんぴつ




今、去年のことを書こうと思って書いていたんですが、いろいろなことを思い出してしまい


止まっちゃいましたaya


そんなに詳しく書かなくてもいいのに・・・って思いながらも、亡くなった理由、何だっけ。


あの時は、あーだったな、こうだったなって思い出したら書けない・・・。


ブログも翔太のとこはまだ書けてません・・・。って、たぶん書けない・・・。



忘れたわけじゃない。忘れるわけない。前に進まなきゃいけないけど、心の中はあの時から少しずつしか進んでいません。


もう1年経つから、みんなを困らせたくないから、翔太のことは心に閉まって、早く忘れてしまいたいけど、無理ですね涙


あーーー、今日は天気も悪いから余計に調子悪いんだわ傘


早く書いちゃって夕飯準備しよう食事

あ~ぁ、せっかくの年女なのに、年賀状が出せない・・・。


なんでこの年で喪中ハガキ探してんだろ・・・。


故人・・・、故人だけど、みんな知らないし・・・。


享年・・・、享年かぁ・・・。




赤ちゃんの写真の年賀状は、もらいたくないし、ちゃんと喪中はがき出しておくかぁ・・・。


翔太のために、ちょっとセンスのいいハガキ探そうっとハガキ