大殺界における平穏な日常
ものは考えよう。そういえば、大殺界という言葉が流行ったのはいつだろう・・・今日、例の如く細木数子のテレビを観ていて、古館一郎とのやりとりで思い出す。初版本の帯で思い出した。たしか、そういう本を読んだ記憶がある。その本と細木数子のイメージが今まで合致しなかったことが不思議。なんというか、あまりよくない内容だったので、その本のことを覚えている。わたしは、25歳から20年間大殺界に相当すると書かれてあった。人生の大切な時期が大殺界だなんて!・・・・・・・それなりにショックを受けた。おそらくは25歳よりもずっと若い時期だったはず、読んだのは。それ以後を考えると、26歳で父を亡くして以来、数々の不幸な出来事があった。そうやって考えると、当たっているのかもしれないし、それが45歳で終わるのならばわたしはその手の不幸な出来事から解放されるのだろうか?わからん・・・・それでいて、そういうことがすでに自分にとってはどうでもいい出来事になってしまっており、自分が不幸かと問われればさほど不幸でもない気もするし、たしかに大変な時期だったのかもしれないけど、逆に考えればいたって平穏な日々を過ごしていた気さえする。大殺界・・・そういう時期には何もしないでいるしかないらしい。とは言うものの、結婚して以来、わたしは家の中で静かに暮らしているだけ。それが不幸を避けて生きる知恵だったのかもしれない。30年後には、日本がなくなる?まあ、もともと資源のない国だし、資本も技術も途上国へ向かい、あと30年もすれば経済的繁栄も資本も食糧さえも不足するようになるかもしれないと言われればそうかもしれない。というより、世界が今のアンバランスな状況をバランスの取れたものとしたとき、たしかに日本は単なる小さな島国になり、現在のような繁栄は欠如してしる可能性は高い。が、しかし・・・それが何だと言うのだろう?今より静かな国になるのなら、それも悪くないような気がするのはわたしが甘いのだろうか?なんか、こう、ね、なんか、こう、うまく言葉にならないけれども、どうして大国でいなければならないのか、そちらのほうが唯一バランスの欠如した社会という気がしてならない。イギリスはかつて世界中に植民地が存在し、やたらと大きな国だったけど今は小さな国。今のイギリスは不幸なのだろうか?一つわかったのは、まだこの国は未熟だということ。一生懸命に国の繁栄を願う気持ちにはなれないわたしがバカなのかもしれない。が、しかし・・・なんか、そういうのに疲れている。