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甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

ブログネタ:新聞、自宅でとってますか? 参加中
日経新聞を取っています。ほんとは他の新聞も読んでみたいのですが、ダンナさんの仕事の関係で、ずっと日経です。

よく読むのが最後のページの文化欄。それぞれのコラムや小説は、結構、読み応えがあります。
でも、数年前、最終ページだったテレビ欄が、中の方に追いやられて、毎日録画予約する身には、とても不便で腹立たしいです。毎日、「あーもうっ。」と、文句を言っています。

独身時代は、実家で、朝日、読売、産経をとっていたので、3紙とも読んでいました。一番好きだったのは、朝日新聞です。「天声人語」と「声」が特に好きでした。産経は、書いている人のものの見方に偏りがあるような気がして、あまり信用できないなと思った覚えがあります。カラーのお料理のページは愛用していました。

ネットの新聞も、すぐ見られて便利だとは思いますが、紙の新聞が廃れてしまうとは、私は思いません。

ネットの記事を見てよく感じるのは、「こんな事、記事にするようなことかな?」ということです。読む人の興味を惹くという視点でしか、記事のチョイスができていないように思えて、「これで大丈夫なのかなあ。」という不安を抱かせます。

アナログ人間だからかもしれませんが、紙の上で、全体を見渡せる形で、しっかりと何を伝えたいかを考えながらニュース作るという作業は、やっぱり大切な気がします。そこで、使命感や誇りを持って働く人があってこその報道だと思うからです。

そういえば、3月末に、教員の異動の欄を見たくて、1日だけ朝日新聞を買いました。
字が大きくなってびっくり。私の目にはちょうどいい大きさですが、字数が減って損したような感じがしたのと、意外と読みづらいと思いました。

そのうち、教科書みたいに写真だらけにならないことを祈ります。

今日はしとしと雨降りです。バス通学の娘は、先に出て駅に着いた夫から、「バスすごく並んでるぞ。」という電話をもらって、あわてて出かけていきました。

お兄ちゃんもその後、大学へ出かけていきました。この雨の中、スポーツ大会・・・何するんだろう。


というわけで、久しぶりに静かな時間が戻ってきました。ゆっくりしたいところですが、テープ起こしの宿題が。先延ばしにしてここまで来てしまいましたが、なんとか今日中に終わらせないと・・・憂鬱。お昼食べてからやろっと。


昨日は「羞恥心」のCDの発売日だったようで、朝の「めざましテレビ」、「いいとも」、「ヘキサゴン」と、録画予約に忙しい娘。「ぷれミーヤ、あんまり井上さん映ってないからいいよね?」と有無を言わさず、消されてしまいました。CDを捜し求めてあちこちまわったけれど、すでに売り切れていたようで、肩を落として帰宅しました。


相手は違えど、親子で似たようなことやってるなあと思ったりして。


井上さんは、またモンハンの世界に行ったっきり戻って来ませんね。ハリセンボンの桃太郎のネタの「おばあさんは川へ洗濯に行ったっきり。」というのを思い出しながら、「井上さんはモンハンに行ったっきり。」とつぶやく日々です。

ネゴさんの記事には出てくるのにね。


お菓子ばかりじゃ、元気出ないのになあ。

大層なテーマですが、答えはまだありません。

数年前から、折に触れては頭をよぎって、考えてはいるんですが。


かつて自分に物語が必要だったのは、親の保護下にいた10代の頃。可能性だけがあって、何の経験もなく、好きと嫌いの感覚だけで生きていた頃、物語は私にとって、ご飯を食べる事と同じくらい私の心にとって必要だった気がします。

マンガでも小説でもドラマでも、いったん入り込んだ物語世界は、いつのまにか作られた部分を終えて、その後を勝手に自分で考えてはその世界で遊んでいました。

現実の世界より、自分にとっては本当の世界に思えたものもありました。


それが、20代になって社会に出てからは、物語世界で遊んでこっちの世界に戻ってくるのに要するエネルギーが大変なので、なかなか物語世界に入り込む事がなくなり、現実世界でいかに生きていくかということに気持ちが向いて行ったような気がします。


結婚、子育ての時期は物語より現実世界のほうで手一杯という感じでした。


そして、何年か前から、子どもも、保護すべき対象というより私とは違う1人の人間という気がするようになってきて、その頃から、また小説やドラマの物語世界に興味が湧いてきました。


生活の中にドラマを感じられなくなると、人はそれを物語に求めるのでしょうか。

登場人物に感情移入して、一緒に一喜一憂するのは、違う人生をもう一度体験しているような楽しさがあります。

その中で、自分はこういう時、こんな発想をするんだという新たな発見があったり、魅力的なキャラクターとの出会いに心ときめいたりする楽しさがあります。


「小説というのはしょせんウソなので、長くなると段々ボロが出てくる。短ければボロが出にくいので、自分は短編が好き。」と、以前新聞に誰かが書いていて、誰がどういう状況で書いたのかすっかり忘れてしまったあとも、何故かこの言葉だけが心に残っています。


小説でもドラマでも、設定が甘くてつじつまが合わなかったり、リアリティがないと、なんだかすごく腹が立つものですが、丸ごとその物語世界に浸りたいと思っている身にとっては、ボロが見えると途端に現実に引き戻される苛立ちがあるんだなあと思います。


と言いながらも、この頃は、小説やドラマや映画より、井上さんという人物にハマってしまって、その周りをウロウロしているのですが、私はこの人に、物語世界を求めているのかもしれないなあと、この頃感じています。


「井上聡」という物語は、一旦読み始めたら、いつが始まりとも終わりともつかず、突然中断したり、またふいに再開したりと、奥行きのある不思議な読み物ではあります。

そして、これの面白い所は、いつか本人の手を離れて、この物語に魅せられた人たちが、今度は自分達の手で、いろいろな物語を作り上げているという事です。


また、4月から新しいドラマもスタートするし、この頃、TSUTAYAや図書館にもご無沙汰なので、新しい物語も開拓したいなとは思っています。


最後に、これを読んでくれた人にも問いかけてみましょうか。


あなたは何故、物語を必要とするのですか?