大層なテーマですが、答えはまだありません。
数年前から、折に触れては頭をよぎって、考えてはいるんですが。
かつて自分に物語が必要だったのは、親の保護下にいた10代の頃。可能性だけがあって、何の経験もなく、好きと嫌いの感覚だけで生きていた頃、物語は私にとって、ご飯を食べる事と同じくらい私の心にとって必要だった気がします。
マンガでも小説でもドラマでも、いったん入り込んだ物語世界は、いつのまにか作られた部分を終えて、その後を勝手に自分で考えてはその世界で遊んでいました。
現実の世界より、自分にとっては本当の世界に思えたものもありました。
それが、20代になって社会に出てからは、物語世界で遊んでこっちの世界に戻ってくるのに要するエネルギーが大変なので、なかなか物語世界に入り込む事がなくなり、現実世界でいかに生きていくかということに気持ちが向いて行ったような気がします。
結婚、子育ての時期は物語より現実世界のほうで手一杯という感じでした。
そして、何年か前から、子どもも、保護すべき対象というより私とは違う1人の人間という気がするようになってきて、その頃から、また小説やドラマの物語世界に興味が湧いてきました。
生活の中にドラマを感じられなくなると、人はそれを物語に求めるのでしょうか。
登場人物に感情移入して、一緒に一喜一憂するのは、違う人生をもう一度体験しているような楽しさがあります。
その中で、自分はこういう時、こんな発想をするんだという新たな発見があったり、魅力的なキャラクターとの出会いに心ときめいたりする楽しさがあります。
「小説というのはしょせんウソなので、長くなると段々ボロが出てくる。短ければボロが出にくいので、自分は短編が好き。」と、以前新聞に誰かが書いていて、誰がどういう状況で書いたのかすっかり忘れてしまったあとも、何故かこの言葉だけが心に残っています。
小説でもドラマでも、設定が甘くてつじつまが合わなかったり、リアリティがないと、なんだかすごく腹が立つものですが、丸ごとその物語世界に浸りたいと思っている身にとっては、ボロが見えると途端に現実に引き戻される苛立ちがあるんだなあと思います。
と言いながらも、この頃は、小説やドラマや映画より、井上さんという人物にハマってしまって、その周りをウロウロしているのですが、私はこの人に、物語世界を求めているのかもしれないなあと、この頃感じています。
「井上聡」という物語は、一旦読み始めたら、いつが始まりとも終わりともつかず、突然中断したり、またふいに再開したりと、奥行きのある不思議な読み物ではあります。
そして、これの面白い所は、いつか本人の手を離れて、この物語に魅せられた人たちが、今度は自分達の手で、いろいろな物語を作り上げているという事です。
また、4月から新しいドラマもスタートするし、この頃、TSUTAYAや図書館にもご無沙汰なので、新しい物語も開拓したいなとは思っています。
最後に、これを読んでくれた人にも問いかけてみましょうか。
あなたは何故、物語を必要とするのですか?