死に向かい合う時間 | 甲羅に似せて

甲羅に似せて

蟹は甲羅に似せて穴を掘るそうです。私も日々の想いを
蟹が穴を掘るように綴っていけたら・・・。

また、随分とさぼってしまいました。なんだか、仕事の締切が迫るたびに、ブログが手つかずになってしまい、反省しています。遠ざかるとなかなか戻ってこれないものですね。


先週の土曜日に母の一周忌をしたんですが、落ち着いていた気持ちがまた掘り起こされて波立ってしまって、母のことを思い出したり、テレビのニュースを見ては、変な風に気持ちがシンクロしてしまって、少しメソメソした感じになっていました。


母は四姉妹の三番目でした。3人の叔母に法要で会って久しぶりにゆっくり話したのですが、やはり一緒に育って血もつながっているから、当たり前なのですが、表情やしゃべり方や雰囲気が、とても母と共通するものを持っていて、話を聞いているだけで懐かしくなってしまって、胸がつまりました。


遺影の母の姿は1年前と変わらないのに、遺された者は日々の生活に追われ、少しずつ歳を取り、記憶も心の奥の方へとしまわれて行くんだなあと、なんだかしみじみとしてしまいます。


緒形拳さんが、亡くなりましたね。倉本聰さんの作品が好きで、「風のガーデン」も楽しみにしていたのですが、クランクアップして数日後に亡くなられたと聞いて、きっと思い残すことなく、最後までやりたいことをやりきって亡くなったんだろうなと、その逝きかたをうらやましく感じました。


8年も闘病していて、死というものと、いつも隣り合わせで静かに闘っていたのでしょうね。死への心の準備をしながら、役者という、自分の一番やりたいことに最後まで取り組む時間があったというのは、ある意味幸運なことのように感じます。


そして、亡くなった後に近しい人たちが口にする言葉も、とても印象的なものが多くて、亡くなって初めてその人柄に触れたような気持になることも多かったです。


母もこんな風に、体の自由が利くうちに、訪れる死と向かい合う時間があったなら。


人の死はそれぞれ、いろいろな形で訪れるものだなと、このところ、ふと考えることが多いです。