俺は自分の気持ちの動きに素直に生きてるだけなんだけどな。
アリィは口癖のようにそう繰り返す。だけど、彼のこんな言葉を聞けるくらいの関係性があれば、その言葉の裏側での余念のない潤滑油の用意にも気付けるだろう。
とはいえ、とりわけ行動範囲の広い彼にはそういう相手だけを選んでいくことはできず、ゆえに無用な摩擦を生じることもしばしばあるのだった。

「シンジ、一本くれない?」
言われて、シンジは怪訝な顔でアリィを見た。昔はどうか知らないが、少なくともシンジの知るこの一年ちょっとの間には、アリィが煙草を吸うところは見たことがないからだ。
だが、見たことのない複雑な表情でいらいらしているアリィに気付いて、胸ポケットからマルボロを取り出した。ケースの口の辺りを2本の指でとんとん、と叩いて差し出す。アリィは悪戯を見つかった子どものような、なのにどこか諦め切ったような顔で、ありがとう、と言ってシンジを一瞬見た。そして、几帳面に四角く開けられた口から飛び出した煙草を摘み取り、タイミングよくシンジが差し出したジッポの火に顔を向けて、目だけで礼を言う。

シンジはその間、漠然とながらアリィに何か大事の部類に入るようなことがあったな、と確信していた。大体、アリィが他人にほとんど視線を合わせないこと自体、普段では考えられないことだ。そう考えながら、自分も煙草をくわえた。こういうときに黙って待ってくれるから、アリィが聞き手にシンジを選んだことを、まだシンジは知らない。

アリィは煙を肺まで吸い込んで、軽くむせた。参ったな、と笑って、天井を見上げる。もう、端だけを笑うような形に歪めているだけの唇で、また煙草をくわえる。
「…悪いな、黙りっパで。」
「いや」
紫煙の行方を目で追うシンジを、まだアリィは見ないままで壁にもたれ掛かった。話したいが、気は重い。
それで、指の間でくすぶる煙草の灰を落としては口に運び、軽く吸い込んではまた灰を落として、という動作を繰り返して自分を落ち着かせようとしていた。

そうしてようやくアリィが口を開いたのは、消した煙草をしばらく指先で回してからの事だった。
「参ったわ、今日は。」
シンジはアリィの方を見て、煙草を口から離した。
「オレは、本当にムリだと思って、それをオレの言葉でそのコに言っただけのことなんだけどさ。逆上されるとはねぇ」
力なく肩を竦めてみせる。
「逆上、か。恐えぇなぁ。」
シンジも軽く肩を竦めてから、もう短くなった煙草を灰皿に押し込んだ。じっ、と小気味よい音がして、煙が一筋上がった。

アリィの女絡みのトラブルがたまにあることは、今や周知の事実だった。決して変な関係の持ち方をしたりするわけでもなく、聞いてみると大抵本人が悪くないはずなのに事が大きくなりがちだ。なので、真剣さの行きどころのズレた損なヤツと言いながら周囲は面白がっていたりする。

実際、アリィはいい男だ。
丸っこくて少し目尻の上がった目が時々驚くほどの色気を放つのだ。背も結構高く、体を動かすのが好きで、がっしりした体付きをしている。見た目は遊び人でそういう側面もあるのだが、根は真面目で男気溢れるという表現がぴったりな性格をしている。
だからこそ、多少のオイタもまたか、くらいの反応で許されてしまうのだろう。
正直、シンジは初めふらふらした遊び人のイメージのアリィが苦手だった。だが付き合いが長くなって、良くも悪くも自分に素直な所と、徐々に見せる真剣な眼差しと男前さに、いわば惚れたわけだ。

とはいえ。
「その人は、何だってそんなに怒ったんだ?」
直球だなぁ、とアリィは苦笑いでシンジを見た。
「うーん、お断わりするのに嘘を言うのも気が引けて」
「好きな人がいるから、とか?」
そんな事は言えないって、とアリィは照れ臭そうに微笑んだ。シンジはいつも通りに無言で受け流す。
やっと、アリィの表情が少しやわらかくなった。
「いやね。オレは君のアクセサリーには向かないよ、って」
絶句するシンジの隣で、おかしいなぁ、そんなにひどいかなぁと首を傾げるアリィ。
何だか力が抜けて、シンジは煙草の箱を摘んだまましゃがみこんだ。
「あれ、シンジどうした?」
「…お前、いつか刺されっぞ。」
はぁ?と言いながら引きつり笑いをするアリィを見上げて、シンジは眉間の皺を深くしながら言った。
「せめて言葉選べ、内容を繕ってやれないなら」
不服そうにアリィが目を細める。
「だって実際そう思ってんのが見え見えなんだぜ?」
「…だから。いくらそうでもホントのことをはっきり言われんのはキツいんだって。」
シンジはフッと笑った。子供のように膨れるアリィを見ていたら、だんだん笑えてきたのだ。更に拗ねたアリィに、シンジはポケットから棒付きの飴を一本渡した。自分はしゃがんだままで煙草に火を点ける。
「お前にはこっちの方がお似合いだ。」
オレの方が年上だぁっ!と叫ぶアリィを見ながら、くっくっと笑う。
-世の中には、アリィのそういうところを気に入る酔狂なヤツだっているんだよ。おもしろいもんだ。
その飴をシンジに渡したのはアリィの思い人だったりするのだが、それは今は教えないことにした。
「まっ、呆れられないようにな。」
何がだよ、と不満げなアリィを見ていたら、また笑いそうになってしまった。
変わらなくていいから、無難な世の中の渡り方は覚えてくれ、相棒。
「しっかし、さすがに寒いよなぁ」
「…もう。文句以外言えないわけ?」
「はぁ、ココアうめぇ。
あれ、おまえ缶コーヒー? 珍しくね?」
「そういう気分なのっ。文句あるならそれ返せ」
「ないないない、全然オッケー」
「はいはい」
「うっわ、背中向けるか?
しかし寒いけど、星はサイコーに綺麗だなぁ。」
「でしょ。ここ、朝日もいーんだよ。」
「マジ?! じゃあさ、朝までいようぜ!」
「えー、それこそ凍えちゃうって。」
「大丈夫だって。こんな夜空見ながらなら、何時間でもへーきじゃん?」
「さっきは寒い寒い文句ばっか言ってたクセにさー」
「うっせ、オレはロマンチストなんだ。この一面の星空の下」
「ナルシストの間違い?」
「ひでぇ!」

「ところでさ、もうそろそろ14日終わっちゃうけど、チョコくれないの?」
「え、さっきうまいって飲んだじゃん、ホットチョコ。」
紙を扱っていたら、指先に切り傷を作ってしまった。
たかだか長さ1センチもないようなこいつが、何ていうこともないちょっとした動作で鋭く痛む。
大きな怪我やら病気の痛さとは質が違う、気がする。

案外、これは思い出の痛みと同じかもしれない。
小さな切り傷のような、ちょっとした思い出。
それは、何かの拍子に生々しい感触で痛んだりする。
なんてこともないはずのことが、あたかも大ケガのように感じられるような。

この痛みの名は、後悔?