
春に父が亡くなり、
四十九日法要のついでに実家で遺品整理をしていました。
遺品を整理するのは、手伝いも含めて今回で3回目。
終活をしてくれていたので、遺品は少ない方だったけれど、
残すもの、もらうものなどを分類しながらやっていると、たっぷり3日かかった。
北海道に帰る日の前日夜になってやっと終了。
もらう側としては、思い出の品が1-2品あればいいので、
故人が大事にしていたものが大量にあれば、本当に処理に困る。
一番処理に困るのは、なんといっても趣味に関するモノ。
本人にとっては大事なので、捨てるのはしのびない。しかし、残された我々は趣味が違うので価値が分からない。
父の趣味は囲碁と将棋だったので、盤が2つずつある。
碁や将棋はささないけれど、一つはもらってやるか。しかし、やっぱ2つは無理。
17年前に他界した兄の遺品処理には本当に手を焼いた。
鉄道ファンだったので、毎月3-4冊ずつ購入していた時刻表、鉄道雑誌のたぐいが20年分溜まっていた。
そのほかに鉄道車両カタログ、切符、写真、鉄道アイテムのコレクション、自らの記した鉄道旅行記が部屋にあふれかえっていた。
大事にしていたからと、捨てるに忍びなく、オヤジが古本屋に引き取ってくれないかと頼んだけれど、ダメ。
では、と今度はおいらが丁寧に包装してかたっぱしからネットオークションにかけてみたけれど、全く反応なし。
故人がこの上なく愛し、大事にしまいこんでいたものは、実は市場に大量にあふれており、タダでも引き取ってくれる人がいなかった。
結論。
おカネを出してモノの所有権を手に入れても、永遠に自分のものにしておけるわけではない。
棺桶に持って入れるのはほんの少し。蔵でも建てる甲斐性がない限り、よけいな物欲なんぞ持たないがよろしい。
引き継ぐ人が価値観を共有していなければ、どんなに価値のあるものもゴミになるからね。
今回も、9割以上がゴミとして片付けられてしまいました。
反対に、意外ともらって役に立つのが、実は消耗品。
病院や施設で使っていたタオル、ハンカチ、濡れティッシュ、靴下、文具などが大量に手に入った。
あと、男物のベルト。
こういうの、出かけるときはもちろん、農作業やDIYに使える。
塵も積もればでひとつひとつ買っていると結構お金かかる。数年は買わなくていいから助かる。
使うだけ使って捨てても、良心の呵責もあとくされもない。
だけど、自分が発した言葉が今度は自分に返ってくる番。
家には大量の書籍や雑誌、翻訳の資料に加え、今まで鬼籍に入った人たちから引き継いだものがあふれている。
引き継いだのは主に全集などの稀少本(読む暇もないのに)と、手紙や日記の類。あのときは実はああだったんだと家族の思い出を蘇らせることができる。
とはいえ、息子が引き継ぐときには、「オヤジのやつ、こんなに大量にため込みやがって」と小言を言われるんだろうなあ。