あのー、お久しぶりってレベルじゃなくて

すんません_(:3」∠)_
このブログなんですがね、
大変突然なんですが
終わりにしようと思います。
理由は、これから書きます。
 
ブログ読んでくれた方は、
一番気になってた事だと思いますが、
就職は、無事に出来ました。
障がい者合同面接会で
トライアル雇用での合格を貰い、
今は、普通のスーパーで
障がい者枠で働いています。
(  一応まだ本採用ではありませんが。  )
 
なんだけど、
まあ当たり前かもしれないけど
仕事のことは、
書いちゃいけない事がたくさんあります。
それと、私自身が
最近仕事以外の趣味とかなんですが、
あまり何かに集中する事が
難しくなっています。
だから、
今は、ブログを続けるのもちょっと
難しいのです。
 
そして、1番の決定打は
先生に
「 発達障害じゃない」って
言われたことです。
発達障害じゃないなら、
このブログを続ける意味は?
読者様を騙す事になる?
色々考えてしまいまして。
 
先生は、ハッキリ
私に発達障害だと言いましたし、
テストの結果も出てます。
母もそれを聞いて怒っていました。
 
なんで今更、そんなこと
言うのか私にも分からないし、
じゃあ、自分のこの出来なさ具合は
なんなの?って行き場のない
感情を抱えています。
 
でも、歩いていくしかない。
ただ、ブログはもうやめよう。
自分はもしかしたら
先生の言うように
ただ、人より
不器用な人間なのかもしれないから、
という決断になりました。
 
同じ大人の発達障害を持つ人の
ケースとして参考にしたくて
読んでくれている人にも、
応えられなくなると思うから。 
 
と、いうのが理由です。
 
まあね、仕方ない。
色々な事が重なってしまってるから。
 
私自身は、とても元気です。
職場の人達も、とても優しいです。
スーパーの青果担当なんですが、
数字のことも理解してくれていて
フォローしてくれています。
 
だから、見守って下さった読者様、
安心して下さいね。
 
皆様、お元気で。
そして、今まで本当に
ありがとうございました。
また会う日まで(*^U^*)
 
 
 
しばらく放置でしたが、
すこぶる元気であります(・ω・)/

最近は、安定して週5で通えるように
なったので
午前中の清掃の後のランチタイムも
ちょいちょい出るように
なりました。

でも、まだまだ体力がないかな。
ランチタイムに、まだ週1日しか
入れてないヘタレっぷりです(´Д` )

金曜日になるとへとへとに
なっちゃう系です。

いかんですな。

でも、ランチタイムに出てみて
軽く接客もさせて頂いたんですが
お客様とお話しするのは楽しい!

楽しいんだけど、かといって
接客する職種についたら
大体ついて回るのがレジだよねw
って今日、スタッフさんと
先輩とお茶しながら話してました。

まだやっぱり、やりたい職種や
やれそうな職種が見えてこないかなぁ。
その前に体力作り!

って感じです。

一応、ちょっと書いていいのか
分からないからふせるけど
大きな機関の面接も受けたんですよ。
何枚も履歴書書いて、
何回も面接の練習をさせて頂いて、
人生初のスーツを着て!!

まあ、落ちたんだけど( ゚д゚)w

そんなこともあり、
面接の経験はさせて貰ったので
今後に活かそうと思う。
面接の練習は、バッチぐう頂いた!

まあ、落ちたんだけど( ゚д゚)w
なんとなく二度言いました。

ん~、色々あるけど
マイペースに頑張ってます。

と、いう生存報告&近況報告でした。

お久しぶりです。 
あの日から、5年なんですね。
私が沖縄に移住してから
1年後くらいだったはず。

あの日、あの瞬間、私は
拒食症と精神疾患が酷く、
フラフラしていたり、
倒れたりすることもあった為
部屋から出られないので、
ビーズのアクセサリーを部屋で
一人で作っていました。

突然、いつものようにLINEで
話していた親友のし~ちゃんから、
「地震大丈夫?  」と。
沖縄は、全く揺れなかったのです。
だから、何のことだかも分からないし
内地は地震が多いのであまり
気にもしなかったのです。

し~ちゃんには、
「地震があったの?
沖縄は揺れなかったよ。 」と
能天気な返信をしました。

し~ちゃんは、
あの時、名古屋にいました。
そして、「テレビをつけて!  」
という返信があり、
慌ててテレビを付けました。

テレビに映っていた光景が、
今でも目に焼き付いています。
それは、街が焼かれ、燃え上がる炎。
戦争でもあったかのような
異常な光景。

震源地は、東北と茨城?
何が起こってるの?

ただ、とにかく大変な事が
起こってるのは間違いない。
福島、宮城、仙台には
母方の親戚たちが居る。
東京には、弟と離婚した父方の
従姉妹と祖母が居る。
無事だろうか。

母が仕事から帰ってきて、
自分の実家や兄弟達、叔母達に
慌てて連絡をとっていたのも
覚えている。
すぐに全員の安否は分からなかった
けれど、結果的に身内は本当に
幸いな事に全員無事でした。

東京に居た弟には、
兄がツイッターで安否を確認して
くれて、弟も無事でした。
従姉妹からも、兄にメールが届き
無事を確認出来ました。

本当に、幸いだったんだと思う。
あの大地震の中、
あの恐ろしい大津波の中、
自分の周りの人達は、
たまたま無事だっただけだと思う。
どれだけ多くの方が犠牲になっただろう。

自然災害にだけは、逆らえないし
何を、誰を恨む事も出来ない。
その上、追い打ちをかけるように
原発事故で汚染される大地。

今でも、その地に残り続け、
必死に生きている人達がいる。

大切な人達や故郷を奪われる
痛みをずっと胸に抱えながら
それでも、
必死に生きている人達がいる。

3月11日は、
決して、忘れてはいけない日。

何が出来るわけでもないけれど、
生きていられることは、
決して当たり前じゃないんだ。
いつ何が起こるか分からないんだ。
そう、深く深く、
胸に刻んだ日。

いつだって、
失って気付く。 
奪われて、気づかされる。
たまたま、生きることを許された
私たちに出来ることは、
きっと、とても些細なことで、

普段当たり前のように
傍にいる家族に、友達に、
恋人に、ちゃんと言おう。

行ってらっしゃい。
おかえりなさい。
ありがとう。
ごめんなさい。
愛してる。

いつ言えなくなるのか、
いつ奪われるのか、
誰にも分からないのだから。

生きてるから、出来ること。
掴んで、離さないように。