お久しぶりです。 
あの日から、5年なんですね。
私が沖縄に移住してから
1年後くらいだったはず。

あの日、あの瞬間、私は
拒食症と精神疾患が酷く、
フラフラしていたり、
倒れたりすることもあった為
部屋から出られないので、
ビーズのアクセサリーを部屋で
一人で作っていました。

突然、いつものようにLINEで
話していた親友のし~ちゃんから、
「地震大丈夫?  」と。
沖縄は、全く揺れなかったのです。
だから、何のことだかも分からないし
内地は地震が多いのであまり
気にもしなかったのです。

し~ちゃんには、
「地震があったの?
沖縄は揺れなかったよ。 」と
能天気な返信をしました。

し~ちゃんは、
あの時、名古屋にいました。
そして、「テレビをつけて!  」
という返信があり、
慌ててテレビを付けました。

テレビに映っていた光景が、
今でも目に焼き付いています。
それは、街が焼かれ、燃え上がる炎。
戦争でもあったかのような
異常な光景。

震源地は、東北と茨城?
何が起こってるの?

ただ、とにかく大変な事が
起こってるのは間違いない。
福島、宮城、仙台には
母方の親戚たちが居る。
東京には、弟と離婚した父方の
従姉妹と祖母が居る。
無事だろうか。

母が仕事から帰ってきて、
自分の実家や兄弟達、叔母達に
慌てて連絡をとっていたのも
覚えている。
すぐに全員の安否は分からなかった
けれど、結果的に身内は本当に
幸いな事に全員無事でした。

東京に居た弟には、
兄がツイッターで安否を確認して
くれて、弟も無事でした。
従姉妹からも、兄にメールが届き
無事を確認出来ました。

本当に、幸いだったんだと思う。
あの大地震の中、
あの恐ろしい大津波の中、
自分の周りの人達は、
たまたま無事だっただけだと思う。
どれだけ多くの方が犠牲になっただろう。

自然災害にだけは、逆らえないし
何を、誰を恨む事も出来ない。
その上、追い打ちをかけるように
原発事故で汚染される大地。

今でも、その地に残り続け、
必死に生きている人達がいる。

大切な人達や故郷を奪われる
痛みをずっと胸に抱えながら
それでも、
必死に生きている人達がいる。

3月11日は、
決して、忘れてはいけない日。

何が出来るわけでもないけれど、
生きていられることは、
決して当たり前じゃないんだ。
いつ何が起こるか分からないんだ。
そう、深く深く、
胸に刻んだ日。

いつだって、
失って気付く。 
奪われて、気づかされる。
たまたま、生きることを許された
私たちに出来ることは、
きっと、とても些細なことで、

普段当たり前のように
傍にいる家族に、友達に、
恋人に、ちゃんと言おう。

行ってらっしゃい。
おかえりなさい。
ありがとう。
ごめんなさい。
愛してる。

いつ言えなくなるのか、
いつ奪われるのか、
誰にも分からないのだから。

生きてるから、出来ること。
掴んで、離さないように。