元ハードル選手の為末氏が書いた本「熟達論」を読んでみて、クライミングでは熟達にどのようなプロセスがあるのか考えてみたくてこの記事を書きました。熟達論は本当にすごい本だと思うのでぜひ読んでみてください。
【はじめに】熟達の構造(為末氏の説)
氏いわく、熟達には以下の段階があるとのこと。
①遊(不規則さを身に付ける) ②型(無意識に出来るようになる)③観(部分、関係、構造が分かる)④心(中心をつかみ自在になる)⑤空(我を忘れる)
本にはこれらそれぞれの段階がどのようなものか氏の体験を交えながらかなり具体的に述べられていました。ここから先は私なりの解釈とクライミングではどういうことが言えるのか述べて行きたいと思います。
【第一段階 遊】
文字通り、「遊んで」色々な感覚、刺激のインプット、アウトプットをする段階。「遊び」なのでやっている内容は不規則でどんどん変化していく。
クライミングにおいて言えば、初心者がどんどん手当たり次第に課題を触るイメージか。初心者にいきなり「クライミングのフォームとは…」と語り始める人は居ないと思うが、この段階ではそういう正しさを考えることよりも、とにかく色々な課題に触り、経験を積むことが大切である。その中でホールディングや体の動かし方を学ぶ。力を思い切り出し切る経験も後々に生きてくるであろう。
【第ニ段階 型】
第二段階になると、ただがむしゃらにやるだけでは対応出来なくなるので、壁にぶつかった時に技術を学んでいく。「こういう時は(ヒールフックなど)このムーブをするといい」ということを先人たちから教わったり、人が登っているのを見てマネしたりしてムーブを習得する。
ムーブを練習する時は体を意識してコントロールしようとするので脳は抑制する働きになる。(よってあんまり楽しい感じにはならない)第一段階の「遊」では脳は興奮する働きになるので、そこの違いもある。脳は興奮系から先に発達し、その後抑制系が発達すると言われているので、「遊」の後に「型」が来るのは道理であろう。
型が段々と染み込んでくると無意識にムーブを起こせるようになり、意識を別のところへ向けることが出来る。同じ課題を繰り返し行うサーキットトレーニングは熟達的には型の段階に該当すると思われる。
現代のクライミングにおいてはコーディネーションの動きなど次々と新たなムーブが登場してきているが、私のような古参クライマーがそれらの動きを獲得するためにはまず、易しいものからとにかくやってみて、徐々に体の動きのコツを型として習得していくプロセスになる。やらない限り習得は出来ない。
【第三段階 観】
型(ムーブ)を習得した後、今度はそれらの「部分、関係、構造が分かる」段階に入る。クライミングでは、ムーブとムーブの関係や何故そのムーブを選択するのか、といったことを理解し、実際に課題に応じて自分なりの正しいムーブを選択、実行することが出来る段階と言って良いのではないかと思う。
例えば、ヒールフックは体を上げ、伸び上がって次のホールドを取るのに対し、トゥフックは体を下げ、体を安定させる動きになる。同じフックでも体の動かし方は異なるため、どちらのフックを使うことが有効かは、その人の体格にもよるが、理論として説明することはできる。そのような体の動かし方を知っているのと知らないのでは、どのように課題に対峙していくのかに差が出てくる。「何故その人はそのムーブをするのか」が理解出来ないと、他の人の体の動かし方やムーブを闇雲に真似し、最悪の場合スランプに陥ることも考えられる。
このレベルになってくるともうネットや教本などには載ってないし、自分にとってのムーブの最適解を考えるのは他人には出来ない。そのように考えると「観」の段階は自分に対する理解を深める時期なのではないかと思う。
【第四段階 心】
「中心をつかむ」とは要点を押さえ、その他の部分は無意識でも問題ないような段階である。要点を押さえれば応用は効く。クライミングにおいては、ムーブを応用してイレギュラーな動きでも自在に対応することが出来る段階であろう。
昨今のワールドカップのような大会の課題は毎回どのように登るのか素人目には皆目検討が付かない課題も多いが、選手たちはそれを攻略してくるのは本当に凄いと思う。
昔、かの有名な安間氏がロクスノのインタビューか何かで、「課題に自分を合わせる感覚というより、課題を自分に合わせる感覚になってきた」というようなことを述べていた気がしたが、これはまさにこの「心」の段階を表現しているのではないか。自分というものを理解し、自分が登りたいように登るためには自分の中心を持っていることが不可欠である。
【第五段階 空】
「型」~「心」までは体の動かし方について意識的な部分も多くあると思うが、「空」になると、もはや全自動・オートマとなる。クライミングでもしばし言われる「ゾーンに入る」という感覚である。
皆様は感じたことはあるだろうか。すべてがまるで予定されていたかのように流れる感覚である。私がぱっと思い出せるのは2回程度か。1個目は、ジムでひたすら高強度の課題たちをトライして精も根も尽き果てたとき、最後にトライした課題で、体の取るべき軌道が見えるくらいに明確に感じられたときである。クライミングしている時間はゆっくりしているように感じた。
もう1個は外岩で過去最難の課題を述べ11日にも及ぶ壮絶なトライの末、最後に完登したときである。「頑張っている」というよりかは淡々と作業をこなして気づいたら岩の上に立っていた。
ゾーンには意図して入ることはできない、とのことだったが、確かに狙って入るというよりも、トライ数を重ねてその課題に対する練度を高め、ゾーンに入るのを待つ感じだった気がする。他のクライマーからもゾーンに入る話を聞いたことがあるが、いずれもかなりその課題を打ち込んだ末のものであり、初見のトライではなかった。その課題に対する熟達のレベルが低いために、初めてのトライではゾーンに入ることは難しいのであろう。裏を返せば、クライミングは自分のレベルに合った課題を選んでトライし、その課題ごとの熟達が発生するため他のスポーツに比べゾーンに入りやすいのは間違いないであろう。
クライミングはプロクライマーではない一般の人でもゾーンを体験することができる希少なスポーツである。
【各段階の関係について】
為末氏も著書で述べていたが、各段階に移行したからといって、その下の段階には戻らないかというとそんなことはない。それぞれの段階を含みながら昇っていくイメージである。
クライミングにおいていえば、仲間同士で課題を作りあって行うセッションは第一段階「遊」に属する行為だと思われる。とにかく色々な動きや強度を楽しみ、フォームなど細かいことを気にせずにどんどん課題を消化していく。「遊び」なのでとても楽しく、興奮しながら力いっぱい登る。あまり第二段階「型」を意識した登りを続けていくと、体の動きを意識するあまり力を思いっきり出すことができなくなることがある。そのような場合は一度「遊」に戻り、思いっきり力を出すことを行うと出力が戻ることが多い。
私は強傾斜のクライミングが得意だが、スラブやコーディネーションについてはとても苦手で3、4グレードは下がってしまう。強傾斜は時折最初のトライが最高到達度になるほどに練度が高まってきているときもあるが、スラブやコーディネーションについてははっきり言って初中級者レベルである。私が苦手分野の熟達を進めようとするならば、まだそれらについては「遊」の段階にいると思うので、とにかく経験を積むことが近道であろう。
クライミングで有名な言葉「最も弱い環を鍛える」にも表されているが、行き詰まったときや自分の可能性を広げたいときには、一度初期の段階に戻ってみるのも大切なことのように思う。
【おわりに】
これだけ熟達について私なりの意見を述べてきたが、残念ながら「熟達のレベル≠クライミングの強さ」の真実はあるだろう。熟練したクライマーでも若いイケイケな子のパワーには勝てない、なんてことはよくある話である。
では、熟達するとどのような良いことがあるのか、という話になってくるのだが、私の意見では「より自分らしく登るための芯が得られる」ということだと思う。良くも悪くも今日の自分の延長が明日の自分である。どんなに頑張っても人は自分以外の人になれない。身長も、体重も、柔軟性も筋力も、一人として同じ人はいない。自分というものを受け入れられれば他の人に惑わされず、自分にとってそのクライミングがどれだけの価値があるのかが理解できるようになってくるだろう。