1人になるまでのカウントダウン -2ページ目

甘い味。

チョコレートを食べている。
こうなったら吐くまで食べてやろうと思う。
アイスも久しぶりに食べた。
また太って父に「トドが」と罵られても食べよう。
いつか家中のお金を食べる物に遣ってやる。
いいんだ。そうやってでも生きていけるなら。
長生きはしたくないけど、母の年齢は超えたい。
それまでに、なるべく死なないようにしよう。
今でもよく死に方を考えるけど。
でも頑張ろう。死ぬのはまだ先でいい。
食べよう。

止まらない。

昨夜、父が怒った。怖い。怖くて怖くて堪らなくなった。
少しでも落ち着くために、また食べることに意識がいく。
駄目だと思うと余計に食べたくなる。
一日中、食べ物のことばかり。
気を紛らわせようと本を読み始めても、すぐ冷蔵庫に手が伸びる。
太りたくない。これ以上太って馬鹿にされたくないのに。
なのに部屋にチョコレートを持ち込んで寝る直前まで食べる。
太りたくない。怖い。

過食症。

高校生のころが一番食べていた気がする。
とにかく食べてないと不安だった。食べて食べてお腹一杯になってないと駄目だった。
毎月、お小遣いは少なかったけど全部食べる物に遣っていた。
朝御飯を食べて学校へ行く途中でパン屋へ寄ってパンを3個買う。
お昼にお弁当とそのパンを食べる。
放課後、学校の近くのタコヤキ屋に寄る。帰る前に、またパンとお菓子を買う。
でも母にバレルと怒られるから、クラブの道具を入れる袋に詰め込んで帰った。そして夕飯までに、ひたすら食べる。
夜中も、コッソリ起きて食べていた。
食べていれば良かった。どんどん太ってしまったけど、そんなのどうでも良かった。

細さへの憧れ。

小さい頃、とても貧乏だった。
父がいきなり仕事を辞めて、何日も家で寝てるかパチンコへ通う。
お金は出ていくばかり。食べる物も、ろくになくて。
近所で食べさせてもらったりもした。
インスタントラーメン一袋を、母と私と妹で分けて食べたこともある。
1日それだけの日もめずらしくなかった。
でも幼かったから、それが当たり前なんだと思ってた。
1日3食を食べられるなんて、とても幸せなことだと。
その反動なのか母の虐待のせいなのか。
私は食べることに執着するようになった。

先生のイジメ。

忘れられない先生がいる。小学3年生のときの担任。
ものすごく贔屓する人だった。
クラスに市議会委員の娘がいた。彼女のすることはなんでも許し受け入れていた。
そして私は「貧乏人の子が」と、みんなの前で罵られた。
貧乏なのは私のせいじゃないのに。
自分が気に入らないという理由だけで、私に授業を受けさせてくれなかったこともある。
どうしてだろう。大人は言うこと聞く都合のいい子供を「良い子だ」と言うから、不本意でも言いなりになっていたのに。
私の意思など簡単に踏み潰したくせに。
未だに動けない。
人の顔色ばかり窺ってしまう。

重い憂鬱。

「ネグレクト」を読んだ。沢山の私が、母がいた。
私が小さい頃に、今のように幼児虐待に世間が注目していたら。
そしたら母はどうなってただろう。
私は救われてただろうか。護られてただろうか。
何を言っても、もう母はいないのだし、私は毎日誰かに叩かれることもない。だけど、いつまでも痛みは記憶している。
私は子供が産めない。それを哀しいとか不公平だと思ったことは一度もない。
むしろ嬉しかった。
もう1人の私をつくらなくて済む。
自分の子供を憎らしいとか死ねばいいのにとか、そんな煩わしいことを考えなくてもいいんだ。

どうして、と。

漫画家になりたかった。漫画は読んでる間だけでも
心を落ちつかせてくれた。ホッとすることが出来た。
母は毎日、私の頬をぶった。顔が腫れて口の中を切って
血を流す毎日。自分が悪いわけでもないのに
私は「ごめんなさい、ごめんなさい」と、ひたすら謝った。
身体中、傷だらけになって、ろくに手当てもせずに布団に横になる。
それから眠りに入るまでの少しの時間に、人から貰った漫画を読んだ。
そこにしか逃げ場がない。なのに、妹は「また漫画読んでる」と母に告げ口した。
私は眠りの前の時間さえ奪われてボロボロになった。
この先、生きていても何も良い事なんかない。
漫画家になりたくて、ノートに内緒で描いていた。
ある日ノートは全部捨てられてしまった。

膨らむ。

一度、殺意を持ってしまうと広がるばかりで。
でも母に、そんな思いを持つこと自体が怖かった。
どんなことをされても、どんなヒドイ人でも母親なんだから。
母が言ったことがある。
「早く死ねクソババアって思ってんだろ」と。
「そうだ」と言ってやりたかった。言えたら、どんなにスッキリするか。
でも我慢した。その頃の母は、もう病気になっていたから。

ともだち。

友達のお母さんは、みんなとても優しかった。
母親というのは、子供を叩いて蹴って怒鳴るのが当たり前だと思っていた私は、とてもビックリした。
遊びに行ったら、ジュースやお菓子をニコニコしながら出してくれる。
ウチでは買ってもらえない高いお菓子。
妹しか買ってもらえないお菓子。
美味しかった。毎日、おやつの時間に食べてるという友達が
心の底から羨ましかった。
怒らない母親がいるんだと知った日、私は初めて母親に殺意を持った。

ネグレクト。

ネグレクトというルポものの本を買った。
5年前、名古屋で起きた事件。3歳の女の子がダンボールに放置されて
亡くなってしまった。私は他人事とは思えない。
実際、母の機嫌が悪い時に食事をさせてもらえなかったりした。
夜中にコッソリ台所へ行って、冷蔵庫の残り物を漁ってた。
でも必ずバレて、余計に怒られることになった。
真冬に下着だけで外に放り出されたこともあった。
横殴りの雪のなか電柱にくくり付けられたこともあった。
もっともっとヒドイことされた。
でも私は生きてきた。どんなことをされても、死ぬよりマシだと
思ってるところがあったから。
ある時「死のうと思えば、いつでも死ねる」と思ったから。
いい意味でラクになったのかもしれない。
だけど、母から受けてきた虐待の記憶は死ぬまで消えない。