誰も信用できない | 障害児の母になりました

障害児の母になりました

育てにくかった息子。ついに診断名がつき、障害児になった。そして、私は障害児の母になった。

ドロドロした気持ちを吐き出すブログ。

息子はもうじき5歳になる。

 

はっきりとした診断がついたのは4歳半。療育を始めたのもその頃から。

 

ものすごく遅い出だし。これにははっきりとした原因がある。

 

 

 

息子は赤ちゃんの頃からとにかく寝ない、泣き続ける子。いわゆる育てにくい子。

 

離乳食も受け付けず、栄養失調になったこともある。

 

子育てが本当に大変すぎて、健診のたびに私は訴えてきた。でも結果はいつも様子見。

 

 

 

それでも3歳児健診はしっかり引っかかった。今すぐ、発達検査をと。

 

 

私はすぐに検査の予約をしようとした。すると、個人ではできず、医者や保育園を通さなければならないと言われる。仕方なく、病院の予約を取り、保育園にも相談をする。

 

すると、またもや検査の必要はない、と言われる。こんなに障害の特徴が出ているのに?

 

発達相談、発達検査にたどり着けない。

 

4歳を目前にしたある日。私は息子のパニックに限界を感じ、個人で無理やり予約を取った。

 

そこから初めて、発達相談、発達検査、診断、療育。

 

 

あまりにも遅すぎた。

 

 

相談先でも療育先でも、どこでも、なぜ今頃になってと聞かれる。なぜこんなに遅いのかと。

 

私はずっとずっとずっと訴えてきたのに。息子が1歳になる前からずっと。

 

 

言い訳のように、私はこれまでの経緯を伝える。

 

でも、診断と療育が遅れたことの非難の視線を浴びるのは必ず私。

 

他の人が責任を負ったり、かばってくれたりすることはない。

 

信用した私がいけなかったのだ。誰も信用せず、ルール違反と言われても、自分でもっと早く発達検査を受けるべきだったのだ。

 

 

私は周囲の人を信用しすぎていた。もう誰も信じてはいけない。