韓国釜山広域市には
15世紀頃から日朝交易の為の

日朝両政府が対馬藩に交易特権を与え
日本側は銀、硫黄、金、その他南方物産。
朝鮮側は朝鮮人参、トラ皮、生糸、
絹織物などの中国産品などが流通しました。




そして陶磁器貿易の為の倭館窯も作られ、
対馬の陶工が朝鮮人陶工を雇い,
日本側の注文に応じ朝鮮各地の土を使って
高麗茶碗や茶道具を作り、日本へ輸出されました。

そして400~500年の時を経た現在でも
日本の茶道界では国宝を含む
最高格の茶碗として
高麗茶碗は大切に扱われ
日本の茶人を魅了しています。
現在、法基里(ぼっきり)窯跡の残る
釜山の街は高麗茶碗の聖地となっています。

そんな🇯🇵🇰🇷日韓の美の感性の融合から
生まれた高麗茶碗の歴史的な背景を
韓国陶芸界の巨匠である
申 翰均シン ハンギュン先生が中心となり
韓国政府や地元行政機関と共に
法基里窯跡発掘調査、研究をまとめ
これまで5回のシンポジウムが
開催されてきました。

そして今回、
第一回 法基里国際公募茶陶展覧会が開かれました。
・日韓茶陶の招待作家展
・茶陶コンペ入選作家展
・発掘出土品の展示報告
・第六回シンポジウム
が盛大に行われました。

私は今回、🇯🇵日本の茶陶作家として
招待を賜りました。


主催者挨拶  申 翰均シン ハンギュン先生

●申先生の著書
通訳&コーディネーターの吉原李華さん

発掘品からの調査研究報告


韓国国営放送KBSの取材を受ける
申 翰均先生



地元市長、議長に申先生が発掘した陶片の説明
やはり陶芸の町は、日本も韓国も
地元の行政の支援や関心が大切です。

日本総領事の大塚さんと谷先生









井戸茶碗や高麗茶碗は知られていますが、
日本の茶人に日韓の陶工の美の感性が
コラボレーションした
倭館窯の存在はまだまだ知られていません。
豊臣秀吉公が朝鮮陶工を無理やり拉致をして
日本へ連れてきて萩や唐津、有田の窯の
ルーツになったような負のイメージを
ここで出会った韓国の老若男女の皆さんからは
全く感じませんでした。

むしろ、日本の国宝にまでなっている
井戸茶碗や珍重されている高麗茶碗に
皆さん誇りと愛着を持っていました。


また全国の窯業地にも窯跡があると思います。

今回のシンポジウムでは、
法基里(ぼっきり)窯跡合唱団がありましたし、
地元文化人による講演もありました。

このように明るく楽しく
発掘研究成果発表されると
陶芸が分からなくても関心を持つ方が増え
故郷を愛する人々がさらに増えると思います。

市町村が大合併して、歴史を無視した
わけのわからない名前の町ばかりに
なってしまった日本には
古(いにしえ)を稽(考)るエンターテイメントが
必要です。

近日公開
→後編 /第一回 法基里国際公募茶陶展覧会へ