ちょうど29年前の今日になります。
UWFインターナショナル、両国国技館大会、格闘技世界一決定戦。
高田延彦vsトレバー・バービック、ビリー・スコットvsジェームズ・ワーリングの二大格闘技戦が開催されました。
ボクシング同様にUWF系の団体にも思い入れを持ってたのでこの年に3派に分かれたU系団体をよく観に行ってました。ただ、一番推してたのはリングスで次いで藤原組、Uインターは3番目でしたけど。
それでも旗揚げ以来、後楽園4大会、静岡、そしてこの大会の公開スパー(有料)とインターだけでも結構、観に行ってたので立派なファンではあったのでしょう(笑)。
プロレスvsボクシングを謳った試合は大概がプロレスのフレームの中で進行していくことになります。現役のボクサーは一定の役割を演じなければならないリングにはまず上がらないし、大体が引退状態で金に困った選手が担ぎ出されるのは歴史が証明してます。例外は猪木戦のアリでしょうが、あれも騙し討ちでしたからねえ。
さて、プロレスの枠を何とか抜け出さんとする運動体でもあったUWFの系列だし、違ったものが観られるのではないかと期待してました。
後楽園の公開スパー(91・12・15)は入場料500円徴収されたものの、高田とバービックは手の内を見せたくないとリング上でインタビューのみ。ワーリングは何故か、リング下で軽くミットを蹴っただけ。
真面目にスパーを披露したのはビリー・スコットのみ。相手は田村でしたが、軽く流した印象でした。500円とはいえ、この内容は詐欺同然と今でも思ってますよ。
さて、当日、チケットは2Fの一番安い席でしたが7000円・・・
当時のU系の入場料金としては結構高額でしたが、バービックやワーリングのギャラに直結してると思えば仕方ないと自分を説得。
そして、この大会は宮戸が後に自著で述べてる様にリングを照らす証明や会場の雰囲気などは昭和新日本の異種格闘技戦の会場を意識した作りでした。試合はシングル・バウトのみでとにかく多く、観ていて辛い試合もあった。
金原のデビュー戦や垣原のKO劇、大江のスタンディング・バウトでのKO負けなどは楽しめましたが、安生vsボブ・バックランドに大湧きする館内に違和感がありましたよ。キーロック上げなんかやらせんなよと当時は思ってましたね。
そして問題の二試合。
試合前にシーザー武士、ガッツ石松、大橋秀行が二試合とも激励でリングに上がります。ワーリングは現役の世界王者でしたが、当時はJBC非公認のIBFの王者だから別に良かったのか?
1.ビリー・スコットvsジェームス・ワーリング
1Rにワーリングがパンチでダウンを奪取。スコットはこの後、有効な攻撃にまでは至らないもののアグレッシブに攻める姿勢を見せる。ワーリングがノラリクラリと流す展開で10R。判定は2-1でスコット。
採点基準が良くわからんが、外敵を撃破したことで場内爆発。
何だかなぁと思ってましたが、試合後にワーリングが「フルラウンド持たせれば、自分の勝ちか引き分けにしてくれるという約束だった。」と暴露。(当時の格通より)
少なくともスコットはガチで真剣に戦ってただけにこれはなぁ。
対する宮戸は「もう一回、ここでやってもいい。」とか反論してたみたいですが、これは話のすり替えで問題はそこではないだろう。
2.高田延彦vsトレバー・バービック
そして問題はもう一試合。
まず最初に言いたいのはこの時代の高田はプロレスラーとしても一格闘家としても最盛期であり、単純な強さは備わっていたことだ。
93年位まではベイダーや北尾が結末に渋っても「じゃ、シュートで!」と言えるだけの裏付けと自信があったので最初からヨーイドンでやっていても結果は同じだったかもしれない。
しかし、問題はそこではない。ローキックの有無というのはおそらく表面的なもので、バービックはエキシのつもりだったという話を聞いたことがある。当時、前田がタイソンと面会したときに自分がやってること、やろうとしてることを説明してもプロレスという言葉が出た瞬間に「あの猿回しみたいなやつか?」と返されたらしい。
MMAが無く、WWEも確立してない時代、競技をやってる人の認識はこんな感じだったのだろう。とすれば、バービックも似た様なものではないか。ロベルト・デュランは翌年、藤原組参戦を決めた時にルチャリブレのリングに上がるつもりだったらしいし。
そこの説明をしなかったのか、出来なかったのか、バービックが理解出来なかったのかはわからないが、試合のつもりではなかったのかもしれない。
そして、とりあえず足に防具代わりのサポーターを巻いてリングに上がったバービックは訳がわからないうちに蹴られ、リングから降りて罵声を浴びた。場内は当然、怒号の嵐。物も投げ込まれる。
そして高田の「タイソンでもホリフィールドでも・・・」というアピールにはU信者だった自分も嫌気が指した。ボクサーを舐めすぎ。
こんな感じでなく通常のボクシングでバービックを観たかったな。
そして6年後に高田はヒクソン相手に自分が悲哀を味わうことになるわけですが。
ワーリングはキックのリングにも来日してたのであまり、有難みを感じませんでしたが、今思うと贅沢でしたね。