30年前の思い出。新生UWF最終興行観戦記 | リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

マニアの隠れ家を目指します。
中津の生渇きの臭い人はお断り。

 

12月1日は毎年、元UWF信者にとっては特別な日です。

あの長野県松本市で観た試合後の万歳三唱、そして年明け間もなくの三派分裂は多くのU信者の心に深い傷跡を残しました。

あれから30年。あの時、会場にいた方々は今どこで何をしてるのか。

旧UWFから新生UWFを足しげく追ってたあの時代。大阪、名古屋、札幌、博多に足を運び一喜一憂してたあの頃。

ダウンの応酬、ロープエスケープの多発、似通ってきた試合展開。超満員神話を継続するリング外と違い、リング内では停滞してた頃、そんな時期に風穴を開けたのが船木と鈴木であり、特に船木の掌打や後にボクシングを取り入れた技法はUWFに新風を吹き込みました。

 

その船木が藤原や鈴木と新興のプロレス団体SWSに移籍するのではないかと疑念を持った1年間。それを裏付ける様な神社長達フロント陣と前田の対立、そして前田の出場停止処分。

いろんなモヤつきがあった中での松本大会観戦。試合前のワクワク感がまったく無く、今日で終わってしまうかもしれないという気持ちでの観戦はノレないものでしたね。

当時の観戦仲間2人と連れ立って2階の前列から観戦。

試合前の入場セレモニーにやはり前田の姿は無かったものの、他の観客の会話で前田を見かけたという話が聞こえてきたので、何かが起こるのではないかと予感。

 

・田村vs垣原、89年10月の前田戦以来の田村の復帰戦。

先輩らしく稽古を付けるが如く、前半ロストポイントを稼いでいく田村が優勢でしたが、ブランクからか後半はスタミナ切れ。

垣原も猛追したものの、最後は田村がアキレス腱固めでエスケープを奪い、ロストポイント・オーバー。

5ノックダウン制で最後がダウンでなくエスケープはこのとき初めてだったはず。しかも残り2秒。

 

・安生vs鈴木、この日のベストバウト。とにかくコンディションの良さが伝わるというか動きがいい。当時は一番、勢いがあったんではないか。

最後は互いに4ダウンずつの中、下になった安生が鈴木に左脚を掴まれて中央に持ってかれようとしたところ、そのまま右脚で後頭部を蹴り込んで5度目のダウンを奪ってTKO勝ち。

最後、ロープを握ってたと知人は言ってましたが・・・

 

・藤原vs宮戸、確かこの日から成夫から優光へ改名したのではなかったのかな。あちこちから「優光~」という茶化した声が飛んでました。

藤原が横綱相撲を展開し、スタンディング・アキレスで決着。

 

・山崎vsベイル、初来日時にはアレな評価しかなかったベイルがブレイクしたのがこの年の4月の博多大会。この日も自信に溢れたベイルと怪我もあって斜陽の山ちゃんという趣き。

それでも山ちゃん勝利は堅いと思ったが、ベイルが逆片エビでまさかの勝利。この日の歓声からするとMVPだったはず・・・試合後の万歳三唱でその印象がかき消されたのが残念でしたが。

 

・高田vs中野、試合後に高田がまったく練習してなかったと言ってた様に動きの悪さが際立つ。それにも増して中野も良くない。

最後は高田が腕十字で決着も場内はやや緩慢な雰囲気に。

 

・船木vsシャムロック、そしてメイン。当時はシャムロックへの期待値がまだそれほどでもなかっただけに予想外の好勝負に。最後は逆水車落しからの逆エビ固めで船木勝利も、シャムロックの健闘が光った1戦。

そしてマイクを取り、リング上から叫ぶ船木。

「前田さん、リングに上がってきてください!」

当時の人間関係を考えると高田や山崎でなく、船木が前田を呼び入れた事が重要だったんですよ。そして万歳三唱。何故かベイルも一緒に。

 

これでUWFは大丈夫だ!と会場の誰もが確信。皆が熱くなって会場を後にしたが駅までのバスは既に出てしまった後(笑)。

バスで30分位の道程だったが、興奮したU信者には関係ない。

自分達も含めてズラズラと駅まで真っ暗闇の中を歩いていく。途中、別のバスが通りがかり、結局、駅まで乗せて行ってもらいましたが車中は皆がUのパンフを持ってました。

そして駅に着くや、宿を取ってる知人と別れて自分は翌日の極真の全日本大会(2日目)を目指して一人夜行で帰路につきました。

※そして年明け、三派分裂の報道に天国から地獄へ突き落された気分を味わったのは自分だけでは無かったはず。

歴史を振り返ってみればUWFの解散は必然だし、あそこで分裂して良かったとは思いますが当時はそんな心の余裕が無かったですね~。

すべては懐かしいあの頃。