悪名高き牢獄・コンシェルジュリー~パリ・シテ島にて~ | ♪ IN MY LIFE ♪〜ドイツ・フランクフルトの窓辺から〜

♪ IN MY LIFE ♪〜ドイツ・フランクフルトの窓辺から〜

ドイツ生活早数年。
楽しく奮闘しております。
メゾソプラノ歌手です。

ドイツ・旅行・音楽・オペラ・グルメ•ときどきビートルズ&サウンド・オブ・ミュージック便りをお届けいたします♪



その後はメトロでシテ島へ。

{86E0C92A-4AF7-4ECB-8EC1-BA0B7981A7FA:01}

革命でマリーアントワネットなどもかけられた最高裁判所。


随分迷って人生2回目のコンシェルジュリーへ。
ここはマリーアントワネットやロベスピエールなども幽閉されていた牢獄です。
ここに幽閉されたひとは生きて戻った者はいない、と言われる場所で、2600人以上がここからギロチン行きへとなったのでした。
ロベスピエールたちが処刑前夜に宴会をした場所や、マリーアントワネットの冷たくて暗い独房も再現されています。


あまりにも非情で惨い歴史を、ここにくると肌で感じます。



12年前に来たときにはあまりの建物内外のおぞましさに息ができなくなり、
気分が悪くなり、ずっと憂鬱が続くという状態になりましたが(何かに取り憑かれたのでしょう。。。)
今回はそこまででもなく。。。
ただ一緒に行ったひとが入った瞬間から頭痛と首と肩の痛み、関節痛を訴え、
外に出たら平気になったと言いつつ、しばらく別人みたいな目つきをしていましたが。

それをみて私は笑っていましたが、
大変だったのはドイツに帰ってから。

同じように頭痛(頭痛持ちじゃないのに)、首と肩の痛み、関節痛に苛まれ、
原因不明の高熱がでてきて1週間寝込むという自体。
本当に大変でした。

風邪の症状はまったくないんだもの。

{BC2BC484-0D17-493E-9ECE-7489F2FD8844:01}


そんなわけで恐ろしすぎるので、
コンシェルジュリーの写真はなしです。
(写真大好きな私がここだけはまったく撮る気にならなかったし。)
お土産コーナーのこの本の写真だけ載せておきます。


パリの楽しい部分だけじゃなく、
歴史の闇の部分も知るべき!!!
もっと革命について考えるべき!!という思いと、半分肝試しのような気持ちでコンシェルジュリーを再び訪れましたが、
あまりにもヘビーです、この建物。


生半可な気持ちで行ったらダメですね、ここは。
パリはただただ華やかでオシャレな場所ではないんです。

そんな現実を教えてくれる場所です。









⚫⚫以下、後日追記⚠️閲覧注意⚠️⚫⚫






コンシェルジュリーについて、
旅行記を残すことを生き甲斐としている私が
当時あまりにも書く気にならなくて
テキトーな投稿になってしまったので、
ここに補足します。


(大学生の頃に、当時持っていた自身のホームページにコンシェルジュリーの詳細を書いたところ、深夜だったせいもあって、うなされたり体調不良になったり鬱になったりで大変でした。(苦笑)だからこの記事はサラッと流したのだろうと。)



※前述したように、写真に残したくなかったため
自身の撮影はなし。ネットから画像拝借させていただきました※


パリの中心部、セーヌ川に浮かぶシテ島。
そこに悪魔的な物々しい雰囲気の影を落とすコンシェルジュリー。


2015年当時はこんな感じで塗り替えでもしたのか?綺麗になっててどす黒い感なかったけど。
2003年当時はもっとめちゃくちゃススっぽくて
黒々とした重々しい雰囲気で、
いかにも魔女の建物みたいでした。

それともまとってるオーラを私は当時みてたのか??


もともとは14世紀の美王、フィリップの建てた中世の王宮だったらしい。



初めて来たとき、
中からもうここの回廊から黒々とした渦巻いた
オーラがみえてしまい、直視できなかった。
2回目に来た時は全然平気だった。
私の感覚が鈍ったのか?
分からない。



フランス革命当時の牢獄がそのまま残されている。


ここに入ったら全員ギロチンで斬首刑。
でもこの牢獄も、払ったお金によって独房のランクが違ったよう。

このように、お金の払えないものは藁葺き独房で
複数人で雑魚寝。


ちょっとでもお金が払えれば、このようにベッド付きの場所を与えてもらえる。


高貴な貴族などは一人部屋。


2015年当時はこの囚人の蝋人形のマネキン?は
あったかな??
記憶にない。
2003年当時は確実にあり、
これがお化け屋敷のようでめちゃくちゃ怖かったです。
一人旅だったし。
天気もどんよりしてて。怖すぎだろ、おい。



コンシェルジュリーに収容されていた当時の
マリーアントワネット。⬆️ 37歳。
ここでは王妃ではなく、囚人280号と呼ばれていた。


(※ちなみに初めて来た時はこの後数々の変なおばさんに付きまとわれたり、夜中の深夜電車で金縛りに遭ったり、目を閉じても異国の寝台車の暗闇の中でこの絵が浮かんできて離れなかったり…⬆️散々でした。)




あの煌びやかな宮廷生活から一転。
喪服に身をまとい、
トレードマークであった美しいブロンドの髪は
死刑宣告を受けて一晩で真っ白な白髪に。
(37歳には見えない風貌ですよね。)
ここではストレスで出血がずっと続いており、
とてもじゃないが健康状態は良好であったとは言えなかったみたいです。



ここコンシェルジュリーの現在の
1番の見どころといえば、この
マリーアントワネットが囚人280号として
実際に数ヶ月を過ごしていたこの独房。



最愛の8歳の息子とも引き裂かれ、
泣き叫んで拒否したけれど、子供も奪われてしまったそうです。
考えただけで地獄ですよね。


このようにマリーアントワネットの蝋人形が
いて机のロザリオに向かって祈ってる風が
また痛々しくて…怖い。



このように常に2人体制で監視され続けていたんだそう。


蝋人形のリアルさ怖さにドキッとさせられるのは
さることながら、
感じやすい体質の私は、
(決して霊感があるわけではないと思ってますが。)
このつめたーい部屋の壁、
空間の重々しさから、
尋常ではない気の重さを感じ取ってしまいました。

感じやすい体質の人には
苦しい場所なのではないだろうか。


それから、マリーアントワネットの気持ちなど
他人の気持ちに共感しやすいタイプの人は…
マリーアントワネットのように鬱状態入るかもしれない。




1973年1月。
夫であるルイ16世の死刑判決、ギロチンでの処刑。

数ヶ月後、マリーアントワネット自身にも死刑判決。


8月に自身がここコンシェルジュリーに収容。



10月16日に処刑。


処刑当日の朝。
朝ごはんは食べますか?と
コンシェルジュリーの世話係に聞かれ、
「何も要りません。全て終わりましたの。」
と答えたというマリーアントワネット。

これがもし私だったら…?
処刑の日の朝、どんな気持ちで迎えただろう?
何かお願いして作ってもらって食べたのかな?

それとも食事も喉を通らなくなるのかな?

この世の最後の日、
お願いするとしたら何を食べたいだろう??


なんて考える。

マリーアントワネットが最期の日に履いたとされる靴。

民衆から罵詈雑言を浴びせられながら護送されるマリーアントワネット。
髪は短く刈られ、白い衣装を身に付けさせられている。


ちなみにコンシェルジュリーには、
処刑前夜に祈りを捧げる小さなチャペルもあります。


マリーアントワネットの処刑。37歳。
11月2日の誕生日を待たずして、断頭台の露へと消えた。




個人的にはベルサイユ宮殿の豪華絢爛さのみならず、
フランスに行ったら是非ともここを見学していただきたいなと思います。


フランスの気高き王妃が
どのような末路を辿ったか。





…ただし何度も申し上げるとおり、
感じやすい体質の方は覚悟を持ってください。
※私無理だな、って方はもしかしたら控えた方が良いかもしれません。



私は初めて来た時は、夜のお墓の肝試しよりも
重いものを感じてしまいました…。
(2回目はあれ?そうでもない?って感じでしたが…前述したようにやはり体調不良になってた😅)


私の中では、
パリのコンシェルジュリーと
アムステルダムのアンネの隠れ家は
二大うなされスポットです。


(だからアウシュヴィッツ収容所などの見学は全然行く覚悟が出来ない。)