本日は初めての新潟・燕三条!!の巻をお送りいたします。
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4/20〜5/11の3週間の日本滞在でやったことリスト
④原宿と新宿という、昔東京在住だったときに働いていた場所に行く。
⑥ナレーターのプロの先生に「話し方」レッスンしていただく。
⑦GWど真ん中に新潟、燕三条に1泊2日の旅。
(しかも一旦名古屋に帰って2日後に再び東京経由。)⬅︎今ココ!
⑧岐阜の祖父母に計3回会いに行く。(2年以上ぶりにいとこにも会う。)
祖父は今年で90歳!!!!!!
⑨3週間で本を8冊読む。
⑩本を15冊以上買い込む。
(もらった本もあり。スーツケースがまずいことに‥)
11.温泉三昧
12.母の和食食べまくり(一切作らず終わってしまった‥)
13.やらなきゃいけなかったパソコン作業がドイツにいるときよりずっとはかどる(しかし結局未完成。)
14.やらなきゃいけない譜読み&暗譜がドイツにいるときよりずっと進む。
(しかしこいつも最後が中途半端。)
15.かなり素晴らしいドイツ語の参考書get!
16.ずっとやらなきゃと思っていた英語の参考書もget!!
17.美容院にいく
18.UNIQLOでジーンズ&パンツを5本買いだめ。
19.日本のお菓子などを買い物に買い尽くす
21.お墓参りも完了。
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そんなわけで5月3〜4日と、
GWのど真ん中にはるばる北上してきました。。。
2日前に東京から名古屋に戻り、
翌日パーソナルカラー検定やボーカルレッスンを名古屋で受けた後、
その翌日に再び東京を経由して北上‥
4時間近く。
たるかったーーーー!!
‥というかと思いきや、思いのほか早く着きました。
職人の街、燕三条。
毎年2月にフランクフルトの見本市・アンビエンテメッセに街をふるっていらっしゃる、燕三条の皆様。
世界に誇る燕三条の伝統工芸には、
フランクフルトで出会いました。
そして何より、愛ふかーく懐の大きな、
我らのボスが愛する街!!
すべてドイツで出会ったご縁です。
急な訪問にも関わらず、あたたかく迎えてくださり、
我らがボスのプロデュースされた和食屋さんに連れて行っていただきました。
特別なものに溢れるその空間に始終感動しっぱなし!!
贅沢なぐらいに美味しい山菜のおひたしに天ぷら、
のどぐろ、麒麟山の日本酒にワイン!
玉川堂で入れていただいたカクテルは我が人生でかつて味わったことがないぐらいに冷たく、
マルナオの繊細なお箸の使い心地も、特別感がハンパない。
全部うちのボスにお世話になりました。。。
そのあとの酒場カンテツさんの美味なサバサラを囲んでのマスターのキレキレトークに笑いっぱなしでした。
新潟・燕三条の素晴らしさをこれでもかと味わいつくしました。
翌日は、
念願の燕三条のものづくりを巡るツアー。
フランクフルトのアンビエンテメッセ(見本市)のブースで
世界に誇るTsubame Sanjoクオリティに出会い、
その社長様方と実際にお話し、
その職人スピリットに毎年感激させられている私ですが、
今回ついにその本場に足を踏み入れることができました!!
スノーピーク。
マルナオの素晴らしいお箸。
↑クリスチャンディオールにも出荷されたスプーン。
フランクフルトでもご挨拶させていただきましたが、ここでも社長様にもお会いできて嬉しかったです。
高級爪切りのSUWADA。
銅は熱伝導なので、冷たいものはとことん冷たいまま飲むことができます。
燕三条という緑豊かな静かな地で、
ものづくりに何十年と魂込めた職人たちが、
先代からの伝統を今につなぐため、
0.01ミリの世界に命をそそぎ、
こだわり続け、生み出されたものたちが、
今世界中に評価されているということ。
その重み、凄みが自分の腹わたにズシンと来て、
「日本の本物を世界に伝えたい」と潤さんが常日頃私たちに語りかけてくださっていた言葉は、
私が思っていた以上に深いところから来る想いで、
燕三条の歴史や、そこで暮らし、そこで道を極めるたくさんの人たちの想いを背負った言葉だったのだと、
改めて気付きました。
ものに愛情を込められる人は、人に対しても優しく、
何気なく発せられた言葉にも愛が溢れており、
そしてこの地元を誇りに思っていらっしゃるんだなと、短い会話を交わす中でひしひしと感じられ、
私の気持ちがほぐれていくのを感じました。
そして自分でもオドロキだったのが、
私には無関係だと思っていたものづくりの世界が、
皆さんの想いを聞いて
そうだ、私の物心つく前に死んだ祖父は、
彦根のものづくりの職人だった!!
と、なぜか急に気付いたこと。
私が2歳の時に60歳で死んだ祖父は、
愛情深く本当にいい人で、
私も大好きだったと周りから聞かされていました。
残念ながら私は覚えていませんが。。。。
でも昔から、かわいがってくれていたという祖父の話を聞くと
私はあたたかい気持ちになるのです。
しかし祖父が何十年も一筋で作っていた木の折り箱は、
祖父の死とともに誰も受け継ぐ人がおらず、
作業場は何十年もそのまま。
私たちは作業場はただの廃墟、
祖父が作ったであろう箱の数々は足の踏み場のない廃棄物だと、子供の頃から今の今までずっと簡単に考えていたのです。
(探検してましたもの。)
そんな祖父がどんな風な思いで
ものづくりと向き合っていたのか、
誰も汲み取ることはしませんでしたし、
私自身も考えたことすらなかったのに、
この燕三条に来て、皆さんの言葉を聞く中で、
祖父と話してみたい
どんな思いでものをつくっていたのか聞いてみたい
と思ったのでした。
そして、
そのことを
今まで気付かなかったことに、
祖父に申し訳ないと思ったのでした。
きっとここで出会った皆さんの愛に溢れる言葉は、
私の命のなかに今も生きている祖父の言葉だったのでしょう。
燕三条のものづくりツアーは、
私の深く眠る自分自身に語りかけてくる時間でした。
ものごとが足早に移り変わる中、
流れ流されていく人や物が多い中、
本物を追求する
こだわり尽くす
伝統を守り続ける
しっかりその地に腰をおろし、
ぐっとそこに根を張る、ぶれない強さ。
重みと深み。だけど頑なではなく、しなやかさ。
魅力を感じました。
新潟、燕三条の水田にうつる夕日。
新幹線からみえるこの夕方の光景は噂に聞いた通り美しく、まさしくAbendrot(夕暮れ)でした。