ここまで何度か書いてきたように、息子の勉強にはかなりAIを使っている。


最初にメインで使っていたのはChatGPT。

習った範囲や、今どこまでできるようになっているのかを伝えて、

「この範囲から問題を作って」
とお願いする。

朝と夜にやる問題も、
最初はほとんどChatGPTに作ってもらっていた。

これがものすごく便利だった。

普通なら、その日の勉強に合わせて問題集から問題を探したり、プリントを用意したりしなきゃいけない。

でもAIなら、

「昨日ここを間違えたから、似た問題を入れて」 
「これはまだ習ってないから出さないで」
 「この単元を少し多めに」

みたいなこともできる。

息子専用の問題集を毎日作ってもらっているような感覚だった。

これは使える。
そう思って、普通に信用していた。

ところが、
しばらくすると変なことが起き始めた。

息子が問題を解いていて、
「これわかんない」
と言う。

見ると、文章がおかしい。

「もう一回考えてみたら?」
「これ前にやったやつじゃない?」

なんて言いながら一緒に考える。

でも、なんかおかしい。
よくよく問題を見てみる。

……あれ?

これ、絶対問題がおかしくない?

答えを確認してみる。
答えもおかしいじゃん。

息子じゃない。
AIが間違ってる。

最初はたまたまだと思った。
でも、これが一度じゃなかった。

問題として成立していなかったり、
答えが違っていたり。

そのたびに息子は、
「???」
となる。

しかも息子には、AIが作った問題がおかしいのか、自分がわかっていないのかなんて判断できない。

当然、
「自分がわからない」
と思う。

そして私も最初はAIを信用しているから、
「ちゃんと考えてみて」
なんて言ってしまう。

いや、考えてもわからないよ。
問題がおかしいんだから。

これが何回か続いた。

せっかく少しずつ「できる」を増やしているのに、こっちが出したおかしな問題で息子を混乱させている。

これはまずい。

そこから、AIが作った問題をそのまま息子に渡すのをやめた。

問題がおかしくないか。 答えは合っているか。 習っていないものが混ざっていないか。

一度私が確認してから出す。

AIを使って楽になっていたはずなのに、結局私が問題と答えをチェックする。

これ、地味に面倒くさい。
めっちゃイライラしてAIにクレーム。

そして、あまりにも続くから
この頃から別のAIも試すようになった。

そこで使い始めたのがClaude Codeだった。

息子の学習状況や、これまでやった問題、
間違えた問題なんかを入れて問題を作ってみる。

すると私の場合、問題作成はClaude Codeの方が使いやすかった。

問題の精度もこっちの方がいい。

じゃあ、
全部Claude Codeにすればいいじゃん。

と思うんだけど、それはそうでもなかった。

例えば息子が同じところで何度も間違える。
「これ、なんでだと思う?」

国語の説明がどうしても伝わらない。
「どう言えばこの子に伝わると思う?」

勉強の進め方に迷う。
「今こんな感じなんだけど、次どうしよう?」

こういうことを、あーでもない、こーでもないと話しながら考えるのは、私にはChatGPTの方が合っていた。

ChatGPTは壁打ち。
Claude Codeは問題作成。

結局、今はそんな感じで使い分けている。



最初はAIなんてどれも似たようなものだと思っていたけど、実際に使ってみると全然違った。

ただ、どっちを使うにしても、息子に渡す問題だけは一回私が見る。

というか、今でも普通に疑って見る。
だって一回どころか、何回か痛い目みてるから。

でもクロードコードはあまり間違えないね。

AIが便利なのは間違いない。
でも、AIが作ったから合ってるでしょ、
はもうやめた。


AIは普通に嘘をつく。



算数と並行して、国語も少しずつやっていた。

国語は算数みたいに、公式を覚えれば解けるというものでもない。私も最初は、間違えた問題をどう教えたらいいのかよくわからなかった。

そんな中で、早い段階でひとつ気づいたことがあった。

息子は、登場人物の気持ちを答える問題が苦手だった。

「このときの○○の気持ちとして正しいものを選びなさい」
みたいな問題。

なんでこれ選んだの?
と聞いてみると、

「だって俺だったらこう思うから」

……。
いや、君の気持ちは聞いてない。

問題で聞かれているのは、登場人物の気持ち。

でも息子は、その登場人物の立場に自分を置いて、「自分だったらどう思うか」で答えを選んでいた。

本人はちゃんと考えている。適当に選んでいるわけでもない。
ただ、考える方向がちょっと違う。

息子はどちらかというと、恥ずかしがり屋で引っ込み思案。

何か初めてのことがあったり、人前に出たりすると、不安とか恥ずかしいという気持ちが先に出やすい。

だから登場人物の気持ちを考えるときにも、

「自分だったら恥ずかしい」
「自分だったら不安」
「自分だったら嫌だ」
と、自分の気持ちをそのまま登場人物に当てはめてしまう。

でも、その登場人物が同じように思っているとは限らない。

本文を読んでみると、むしろそんなことはどこにも書いてなかったりする。

ここで最初に教えなきゃいけなかったのが、
「自分だったらどう思うか」と「この人がどう思っているか」は別。
ということだった。

つまり、客観的に見ること。
これが最初の難関だった。

「あなたならどう思う?じゃないよ」
「この人がどう思ってるかだよ」
「なんでそう思ったのか、文章の中から探してみて」
そんなことを何度も言った。

ただ、これも言っただけですぐできるようになるわけではない。

そもそも登場人物が置かれている状況自体を、息子がうまくイメージできていないこともあった。

そんなときは、同じような状況を息子の生活の中に置き換えて質問してみた。

「じゃあこれが学校で、友達にこう言われたとしたら?」
「バスケで同じことがあったら?」

みたいな感じ。

すると、文章の中の登場人物のことではよくわからなかったのに、自分が知っている場面に変わった途端、

「あー、それならこう思う」
と普通に答えられたりする。

そこで、
「そういうこと。この人も今、それと同じような状況なんだよ」
と、もう一度文章に戻す。

すると、さっきまでわからなかった登場人物の気持ちが、急にわかったりする。

これを何度かやっていて、
息子は人の気持ちがわからないわけではないんだなと思った。

文章の中で起きていることを、頭の中で具体的な場面にするのが難しい。
だから、まず私が息子のわかるものに置き換える。

そこでイメージできたら、もう一度文章に戻す。
そうすると理解できることが結構あった。

ただし、ここで終わってしまうと、
結局また「自分だったらどう思うか」になってしまう。

最終的に答えなきゃいけないのは、自分の気持ちではなく登場人物の気持ち。

だから最後は、
「じゃあ、この人は?」
と戻す。

自分が知っている世界に一度置き換えて考えて、
そこからもう一度、登場人物の立場に戻る。

国語を教えているはずなんだけど、最初にやっていたのは読解のテクニックというより、視点を変えて物事を見る練習に近かったのかもしれない。

そしてこれは、国語だけではなかった。

算数でも、説明してもなかなか理解できないとき、
息子がよく知っていることに置き換えると、

「あー!そういうこと?」
となることがある。

前回、ケアレスミスをバスケのシュートに例えて話したのも同じ。

難しい説明を何度も繰り返すより、
息子が頭の中でイメージできる形に変えた方が伝わることがある。

それから私は、息子が「わからない」となったとき、
どう説明したらわかるんだろう。
この子がわかるものに置き換えられないかな。

と考えることが増えた。



同じことを説明しているのに、言い方や例えを変えただけで突然わかる。

さっきまでの「わからない」は何だったんだ、と思うこともある。
でも、息子にはこのやり方が合っているらしい。

私の説明を息子のわかる言葉に変換する。

最近は、そんなことばかりしている。

 

前回書いたように、毎日の問題を見ているうちに、
息子の間違い方には癖があることがわかってきた。
 

じゃあ、その癖がわかったところでどうするか。
 

これについては、今でもそうなんだけど、

結局、本人に言い続けるしかない。

 

「また数字写し間違えてるよ」

「問題最後まで読んだ?」

「これ、二つ答える問題だよ」
 

同じことを何度も言う。
 

でも、またやる。
 

はぁ~またかよ。

正直、そんな感じ。

 

ただ、私が「またやってる」と気づいているだけでは意味がないので、
本人にも、

「自分はこういうミスをしやすい」

ということは、なるべく伝えるようにしている。
 

だってテスト中に私が横から、

「数字違うよ」

「問題ちゃんと読んで」

言えないんだから自分で気づくしかない。
 

そして、息子の場合はもうひとつ、
毎日勉強を見ているとすごくわかりやすいことがあった。
 

字の汚さ。

 

問題の解き始めや調子がいいときは、比較的きれいに書く。
 

ところが、わからない問題が出てきたり、
やる気がなくなってきたりすると、
 

どんどん字が小さくふにゃふにゃして汚くなる。
 

まあ、わかりやすい。

数字も雑になるし、途中式も雑になる。
 

そしてそういうときは、だいたいミスも増える。
 

最初は単純に、

「字きたなっ!」

と思ってたんだけど、

毎日見ていると、
 

あ、今こいつやる気ないな。

とか、

この問題で心折れてたな。

みたいなのが、字を見るとなんとなくわかるようになってきた。
 

なので、

「今、字めっちゃ雑になってるよ」

「こうなってくるとミス増えるよ」

ということも本人に伝える。
 

もちろん言ったからといって、
きれいな字で丁寧に継続して解くようになるわけではない。
 

普通にまた汚くなる。

そのたびにまた言うの繰り返し。

 

もうひとつ、ケアレスミスについては、
実際に何点落としているのかも本人に見せるようにした。
 

「ケアレスミス多いよ」

と言われるだけだと、

「はいはい、気をつけます」

くらいで終わる。
 

でも実際に答案を見ながら、

これは転記ミス。

これは計算ミス。

これは問題の読み飛ばし。

これは解き方わかってたのに最後に間違えた。
 

と、間違いを細分化して見ていくと、

いや、これ全部取れてたら結構点数違うじゃん。

となる。
 

本人にも、

「これ、本当はできた問題だよね」

「ここで何点落としてると思う?」

と見せる。

 

この話をするとき、息子にはよくバスケに例えていた。

どれだけいいドリブルで相手を抜いても、最後のシュートを外したら点にはならない。
ハンドリングや技の練習をどれだけ頑張っても、最後のシュートだけ適当に打っていたらもったいない。

実際、スクールのコーチからも
「最後までやり切る」ということはよく言われている。

いつも相手はいるのを想定して練習をしなさいと。

勉強もそれと同じじゃない?と。
解き方がわかっていて、途中まで全部合っている。

そこで満足してあとを適当に流す。
最後に数字を写し間違える。
問題を最後まで読まずに答えを一つ書いて終わる。

それで点を落としたら、バスケで最後のシュートだけ適当に打って外しているのと同じ。

「ここまでできてるのに、最後で点になってないよ」

そうやって話すと、ただ「ケアレスミスしないで」と言うより、
息子には伝わりやすかった。



一つひとつは小さなミスでも、
実際に何点落としているのかを見ると結構大きい。

だから私は、「ミスするな」と言うだけじゃなくて、
自分がどういうミスをしやすいのかを本人にもわかってもらうことを
意識するようになった。

とはいえ、わかったからすぐ直るわけでもない。
シュートだってね、意識したら全て入るわけではないしね。


ここは根気強く伝え続けるしかないと思っている。
 

朝と夜に問題をやるようになって、
当然、間違える問題もたくさん出てくる。

 

新しく覚えた問題はもちろん、
何度も繰り返している問題でもちょこちょこ間違える。
 

間違えた問題をもう一度やらせると、普通に解けることもある。

逆に、何度やっても同じところで止まる問題もある。
 

同じ「不正解」でも、明らかに何かが違う。

 

そこで私が見るようになったのが、
答えではなく、そこにたどり着くまでの途中経過。

 

計算なら、どこまで合っていて、どこから数字が変わっているのか。

文章題なら、問題文をどう読んで、
何を求めようとしてその式を作ったのか。
 

途中式をひとつずつ追っていくと、
 

「あ、ここで計算を間違えてる」

「この言葉の意味を勘違いしてる」

「式の立て方そのものがわかってない」

「解き方は完全にわかってるのに、最後だけ間違えてる」
 

みたいに、間違えた原因が見えるようになってきた。

「なぜ、この答えになった?」


 

そもそも理解できていないのか。

途中までは理解できているけど、どこかで考え方を間違えたのか。
 

何かを勘違いして覚えているのか。

それとも、転記ミスかただの計算ミスや読み飛ばしなのか。

 

同じ1問の「×」でも、原因によってやることは全然違うから

理解できていないなら、もう一度教えないといけない。
 

勘違いして覚えているなら、そこを直さないといけない。
 

でも、解き方をちゃんと理解していて最後に計算を間違えただけなら、
最初から全部教え直す必要はない。
 

だから、間違えた問題ほど途中経過を見る。
これは、この頃からかなり意識するようになった。

 

そして毎日それを繰り返していると、だんだん面白いことがわかってきた。
 

この子、間違え方に癖がある。
 

例えば、計算のやり方そのものは合っているのに、途中の数字を間違える。

問題文を最後まで読めばわかるのに、
途中で「こういう問題だ」と思い込んで解き始める。
 

「それぞれ答えなさい」と書いてあるのに、
一つ答えたところで終わっている。
 

一問だけなら、

「あー、ケアレスミスね」

で終わるようなこと。
 

でも毎日見ていると、

あれ?これ前もやってなかった?
 

となる。

違う問題なのに、同じようなところで間違えている。
 

ここでようやく、単発のミスではなく、

「この子は、こういう時に間違えやすい」

という癖が見えてきた。


 

私がこの頃から一番力を入れるようになったのは、
「間違いの原因探し」だった。

答えだけ見ていたら、全部「できなかった」で終わってしまう。
 

でも途中経過を見れば、息子がどこまで理解していて、どこでつまずいたのかが見えてくる。
 

そして、それを積み重ねていくと、

息子がどういう時に間違えやすいのかまで見えるようになってきた。



 

前回書いたように、
この頃から朝と夜にChatGPTで作った問題をやるようになった。
 

最初に意識していたのは、
量を増やしすぎないこと。
 

ただでさえ、それまでほとんど勉強してこなかった息子。

そこへ突然「受験するんだから毎日これだけやろう!」
と大量の問題を出したところで、気持ちが折れるし、たぶん続かない。

 

しかも第二話で書いたように、
息子は少し難しいと思っただけで
「わからない」と思考停止するところからのスタート。
 

だから最初は、以前にやった範囲から
難易度の低い問題を少しだけ。
 

できる問題を多めに入れて、毎日やることに慣れさせるところから始めた。

 

そして、それが普通にできるようになってきたら、
本人の様子を見ながら少しずつ問題を増やしていった。

 

いきなり5問を20問にするんじゃなくて、今までの問題は残したまま、
新しく覚えたものを1問、2問と足していく感じ。
 

すると、最初は本当に少なかった朝の問題も、
10日目にはこんな量になっていた。


【10日目・朝の問題】

 

計算、分数、平均、単位量あたり、割合。

それまでにやったものを少しずつ残しながら、
新しく覚えたものを追加していった結果、朝だけでも15問くらい。
 

夜はさらに少し多め。

【10日目・夜の問題】
 

こっちは20問。

今見ると結構ある。

でも、最初からこの量を渡していたわけじゃない。
 

できる量から始めて、できるようになったら少し足す。

それを繰り返していたら、
いつの間にかこのくらいの量を普通にやるようになっていた。

 

そしてもうひとつ、この頃に意識していたのが、
一度にいろんなことを覚えさせないこと。
 

新しく進める単元は、一週間に一単元。

週末に新しい単元をひとつ入れたら、
その週はそれが定着するまでひたすら繰り返す。

 

さらに、一つの単元の中でも、
いろんなパターンを一気に覚えさせないようにした。
 

たとえば「割合」。

割合って、同じ「割合」という単元でも問題のパターンがいくつかある。
 

「○円の20%はいくら?」

「48人は160人の何%?」
 

みたいに、聞かれているものが変われば考え方も変わる。
 

当時の息子に、それを一気に全部教えて、

「これはこのパターン、こっちはこのパターンね」

なんてやっても、たぶん頭の中がごちゃごちゃになる。
 

なので茶トラ家では、割合も勝手にフェーズ分けした。
 

まずはフェーズ①だけ。

最初に覚えた一つのパターンを、数字を変えながらひたすら繰り返す。
 

朝もやるし、夜も出す。次の日もまた出す。
 

新しいパターンを次々に覚えさせるのではなく、まずは同じ型を何度も使わせた。
 

そうしているうちに、問題を見たときに、

「これは、あのやり方だ」

と自分で気づけるようになってくる。
 

そこまでできるようになったら、ようやく次のフェーズへ進む。
 

問題数を増やしたときと同じで、
新しく覚えることも少しずつ増やしていくことにした。



 

受験まで時間がないから、本当はどんどん先へ進みたい。

第二話の頃の私は
「早く受験範囲を終わらせなきゃ」と、そればかり考えていた。
 

でも、一度にたくさん教えて結局わからなくなったり、
忘れてまた最初からやり直したりするなら、その方が時間がかかる。

 

問題の量も、新しく覚えることも、息子ができるところから少しずつ。
 

できるようになったら、ひとつ増やす。

茶トラ家の勉強は、この頃からそんな進め方に変わっていった。