13年ぶりに、10日間も実家に居た。
親元を離れてから13年間、
たまに帰ることがあっても、多くて3日間…という滞在。
父親が大嫌いで大嫌いで
本当に大嫌いでどうしようもなかった。
父親の話すこと全てがまるで理解できなくて、
耳障りな、古臭い、説教じみた台詞に
嫌気をさし、どこかで線を引いた。
(父親と心を通じさせようと思うからしんどいんだ。
父親だと思わなきゃいいんだ。
こんなに理解し合えない人間が親父な訳ないんだ…)
そう思ってから、実家に帰ることを避けてきた。
忙しいふりをし続けた。
たまにする電話もひどいもの。
社交辞令満載の美辞麗句を並べたて、
その場しのぎの拙い会話。
聞くに堪えない、心の通わない会話。
今思えば、親父はわかっていたのかもしれない。
私の、そんな、低次元なやり口を。
今回の震災がきっかけとなった。
ここ何カ月も、とんでもなくいろんな嫌なことが
ふりかかり、いつもの私なら軽く耐えてきたことが
もう本当に限界だった。
電気が止まり、ガスが止まり、水道が止まり、
24時間開店していたスーパーが閉まり、コンビニが閉まり、
携帯電話も通信制限でつながらなくなり、
情報を得ようと携帯電話でテレビをみていたら
充電がなくなり、充電器をもっていないことに気付き、
コンセントにつなぐ充電器があっても電気が止まっていては
充電できないことを初めて認識し、途方に暮れた。
どんな時も意地を張ってきた。
親父に対しては特に意地を張った。
親父の歩く道と、真逆の道を歩いて、
どんなにつらいことがあっても、その裏で楽しいことを
とことん探し続けて、親父には、自分がいかに楽しい人生を
送っているか自慢し続けた。
未熟な自分を棚に上げて、まるで成功したかのように、
詭弁を展開していた。
それが…
津波災害を受けたわけでも、マンションが倒壊したわけでもない私が
単純に日常生活を送れない状況になっただけで途方に暮れた。
ちっぽけな人間だった。
避難所で過ごしている時に、ストーブの上にやかんを置いて
お湯をわかす光景が目に入った。
ちっぽけな虚勢を張り続けた小さな私は
暑苦しく、見苦しい涙を垂れ流していた。
薪ストーブで暖をとるために
必死に薪を切る親父の姿を思い出した。
塾に通って、もう使わなくなったテキストを
親父はもったいなさそうに、私に、
「これ、とっておくぞ。もう使わないかもしれないけど、
何かの時にふと見返すかもしれない…」
何でもとっておく、物を捨てられない親父が大嫌いだった私は
「もう!!こんなの捨てていいよ。
絶対に見返すことなんてないって。だいたい何のために?」
そう言い放って実家からまたマンションに帰省した後、
親父は悲しそうに、そのテキストを薪ストーブに
何冊も何冊も、ゆっくりゆっくり燃やしていたと母親から聞いた。
その時はどうでもいいと思った。
いろんなことを思い出した。
見返すことがないと言ったテキストだったけれど
何度かそれを後悔することがあった。
体育館に数個しかないストーブでやかんを沸かしていても
私が使えるお湯は微々たるもの。
当然のこと。
薪ストーブで暖をとって、当たり前のように
寒い冬を笑い飛ばしていたことを思い出した。
心が震えだした。
それでも寒いからと、薪ストーブで沸かしたお湯で
母親は湯たんぽを入れてくれる。
自分が住んでいるマンションじゃできない。
いろんなことが悔しくなり、涙が止まらなくなった。
私は誰ひとり救えないのか…と落胆した。
自分さえ救えないのか…と絶望した。
小さな小さな人間だった。
生きているのさえ、いいのだろうかと落ち込んだ。
「親父は…きっと、こういう時、こうするんだろうな…」
何だか寂しくなっていた。
アナログ人間の親父が大嫌いだったけれど
こう言う時は実はアナログ人間の方が強いんじゃないかと思ったら
とてもとても寂しくなっていた。
親父に電話した。
「…頑張ってみてるんだけど、頑張っても無理そうなら
そっち帰ってもいいかな…できるだけ努力してみようと
思ってるから帰らなくていいなら帰らないけど…」
「…もう頑張らなくたっていいから、帰る道筋探して
準備整ったらすぐ帰ってこい。ここはおまえが休む場所だ。
今まで充分頑張っただろ。わかってるから、休め…」
散々張っていた「気」が、きれた。
何だか心が軽くなった。
親父に、
「強くなれ、強くなれ」と言われ続けた私だったけれど、
いつのまにか強くなりすぎて、親父の立場を、
親父の助言を聞き入れる隙間さえ封鎖してしまっていた。
それでも親父は私を包むような返事をくれた。
大嫌いだったけれど、
親父の背中を思いだしたら、嫌気が消えていた。
帰って親父の手伝いをしばらくしてみよう、
親父とつるんでみようと何となく思った。
そんなイメージをしたら
自分が笑顔になっていた。
恥ずかしくなったけれど
嬉しくて嬉しくて心が弾んだ。