いつの時代も
「死ね」とか、「殺す」とか、「うざい…」とか言ってる。
たぶん、これらがその時、その人達の
最も威圧感のある言葉なのだろうけど。
ちょっと恐ろしい話を一つ。
昔、私もいろいろあった。
その時に母が必ず言うのが「因果応報」という言葉。
今でも胸に刻んでいる。
信条にしているなんて言いすぎかもしれないけれど
こう思うにはいくつか理由がある。
10代初めにしてこんな言葉を吐いていた人達。
私自身もひどい言葉だと思いながら、それを上回る威嚇表現を
持ち合わせていなかったため、いつも黙って耐えていた。
今なら何を言われても、言い返せるだけの
もっと威圧的な言葉が多々ある。
自慢にもならないが…。
因果応報…。
人間の行為の善悪に応じて、それ相応の報いがあること。
当時は嫌な奴ほど世の中のさばるんだと
信じようともしなかった。
ただ、ここまで生きてみると
面白いもので、母が言うことがよくわかってきた。
報い…って本当にあるんだ。
驚いた。
彼らが、自分がした行為をとっくに忘れた頃に、
天罰ともとれる報いがちゃんと向けられるのだ。
恐ろしくて書けない部分もあるけれど、
これが実に意地悪な状況で向けられる。
「こんな幸せないなぁ!!もう嫌なことなんて起きないだろうねぇ!!」
…なんて、幸せの絶頂の時に、奈落の底へ突き落しかねない報いが…。
恐ろしいものだ。
やっぱり悪いことはするもんじゃない…と思う。
幸と不幸は必ず半分ずつ、それぞれの人にあるという。
これもどこか因果応報が関わっている気がする。
一度でも、過去に、人の人生を左右しかねない相当の表現で
誰かを闇に葬るようなことを浴びせた人は
何らかのシーンで、逆の立場で同じようなことを経験する。
嫌なことを若い時に、トコトンやってしまった人は
いい大人になってから、大変なことが起きないように
気がついた時から、早めに、奉仕活動なり何なり、
人に対して愛を与える、相手を包み込むような優しさを
持った方が身のためだと、つくづく思う。
いつか因果応報だと思った実話を数件、
ここでゆっくりと語ってみたい。