秋の夜長です。
私事ですが、新生活がスタートしてから丸5ヶ月。
やっと部屋の家具が揃いました。
床に直置きになっていたテレビも、アラジンセインさんも、諸々の小物も、無事に高みへと配置され、私の心もスッキリです。
生活スペースが整頓されることが、こんなにも精神衛生的に良い効果をもたらすとは。
部屋が心の状態を反映しているとは、まさに。
その逆も然りで、心がざわついている時でも部屋を片付ければ、多少は効果があったりするのかも。
(確かに、ひたすら床を磨いているときなんか、気付いたらトランス状態に入ってたりするもんね。床掃除は、瞑想と同等の効果がある気がする)
今夜は、窓を開け、秋の風を感じつつ、部屋で音楽を聴いたりなんぞしております。
外は意外と静かで、車が水たまりを跳ねる音が繰り返し聞こえたりしている。
不思議なもんで、なんだろう、今夜はみんなそんな気分なのか、
友人らが同じタイミングでやたらと「この曲聴いて」とyoutubeのリンクを貼り付けて送ってくる夜。エモい。みんなエモみを求めているのね。秋はそんな季節なのね。
自分の好きな曲はずっと変わらない。
新しいアーティストを知るたびに新しい曲を知るたびに、多少はアップデートされていくけど、でも心のベスト10が大きく変わることはない。
今夜は好きな曲ばかり聴いていて、やっぱり変わらないなーと思った。
本当に好きな曲は、聴いたときに胸の奥がゾワゾワする。
もしくは、これはとても正しい!と強く確信する。叫びたくなる。
何回でも感動できる。
色々と聴いていて、自分の葬式のときにかけてほしい曲が浮かんできた。
以下の曲はマストでお願い。
愛の讃歌/エディット・ピアフ
Rock'n roll suicide/David Bowie
so young/suede
in my life/the beatles
(これ遺言ね。お願いします)
最終的にボウイの「Blackstar」を聴いていたら、脳内全部持っていかれて、文章が書けなくなった。
何か作業しながら聴けるような音じゃない。
音のパワーが強すぎて、これはBGMになど到底できないアルバムだ。
残念なのは、こういうパワーを持った作品に出会える数の少なさ。
今や、音楽も飽食の時代。
嫌ほど音楽が溢れている時代で、心からお腹いっぱいになれないのはなぜなんだろう、といつも思う。
何かの焼き直しか、何かの真似ごとのような音楽ばかり。
完全にオリジナルなものなどこの世には存在しないとわかっているけど、
それでも、衝撃がほしい。
本当に心を満たしてくれる音楽に出会いたい、といつも飢えている気がしている。
音楽に関わる仕事をさせていただいてる人間としても、日々危機感は感じている。
それが正直なところ。
だからこそ、自分には何ができるのか、結構真面目に考えていたりする。
フジ・サマソニ以降、少々サボり気味でライブハウスから遠ざかっていたので、最近またぼちぼちライブハウスに顔を出すようにしている。
ライブハウスという自分が好きな空間にいて、わかることも多い。
今日は、あるバンドのライブ中に、はっきりとメッセージを受け取った。
誰かの決めたルールに従う必要はない、ということ。
マナーなら守るけど、意味のないルールなど破ってしまえ!と。
こう見えて私は、常に周りにどう思われているか、どう見られているか、に囚われて引きづられるタイプで、自分でもそれが窮屈だと感じているのに、変えられないでいる自分にまた窮屈さを感じている、という何とも厄介な状態なのだ。
「誰かが決めた」と思っているルールも、本当は自分が決めていた、ということもあるかもしれない。
自分で自分を窮屈にさせていただけ、ということもあるかもしれない。
とにかくもっともっとただ自分のやりたいようにやろう!
もっと自由になろう!
と思ったのであります。
(「あなた、十分自由にやってるよね・・」という声が聞こえてきそうだが。行動のことだけではないの!これは精神論なのだ!)
なぜそのバンドのライブからそんなことを感じたのかはよくわからない。
別にそんなメッセージのMCがあったわけでも、そんな内容の曲を演奏したわけでもないのに、よくわからないのだけど、バンドとオーディエンスとライブの空気感とが、そういう風なメッセージをくれた気がした。
というわけで、明日はミニスカートで出勤してみよう!という勇気はまだない。
おっと、気づけばなかなかの長文。。
今夜はちょっとエモめな更新になりましたね。こんな日もあります。
おやすみなさい。