30m潜って3000m登り300km走破する地球Hunting日記 -16ページ目

30m潜って3000m登り300km走破する地球Hunting日記

人生とは、感動する事と見つけたり!
過去に見てきた聞いてきた体験してきた感動のあれこれ。
最近体験した感動の色々を綴っています。

はじめに


 現地で今も原発の対応に当たってくださる東電とその関連会社の方々、政府、自衛隊、警察、消防の方々、海外より救済に駆けつけて下さった各国の方々、被災地で医療に従事する方々、役場の方々、ボランティアの方々、他、この災害にあたり尽力されている全ての方々に、心より感謝申し上げます。

 

 ありがとうございます。


 また、今回の災害にあたり、以前より囁かれる東電の隠蔽体質、内閣、防衛庁、警察庁、東電の責任の擦り付け合い、原子力保安院の無責任は目に余るものがありました。それに輪をかけて、マスコミの偏重報道も目に余りました。

今回は、己の禁を破って持論を展開したいとおもいます。


では、本編へどうぞ。



こんな未曾有の事態のさ中ではありますが、みなさん如何お過ごしでしょうか?

元気に、無事に過ごされていますか?


地震から、10日が経過しました。

繰り返しになりますが、茨近に住む私の安否を気遣ってメール、TEL等下さった方々、本当にありがとうございました。あれから、余震は続き今一つ安心して眠れない日々は続きますが、風邪も引かずこうして無事に暮らせています。


すっかり、このブログも当初の思惑とは違うものになりつつありますが、まあ人生に一度であって欲しい未曾有の災害です。ブログのネタが災害になるのも致し方無いことでしょう。


前々回のブログでは、私の身の回りの状況を記述しました。

これは、勿論茨城南方面が比較的被害が少なく、私を心配して下さった方々に安心して頂く様にと記したものですが、普段の状況であれば実の所、私としてはこういった情報は書きたく無いのです。

私が見る範囲は非常に限定的で、情報源としてはあまりに乏しいものです。ブログを読まれた方で、茨城の状況を私のブログだけで判断される方が居た場合非常に危険だからです。


ですから、

今回もこれから書く内容を、ブログに公開するべきか、しないべきか、些か考えてしまいました。

それは確実な内容が少ない事と、個人的主観と推測が多分に含まれているからです。つまり、間違っている可能性が高いし、誤解も生み易い訳です。

それでも、公開しようと考えたのは、私のようなド素人の意見ですら聞きたいといって似たような質問のTELが数件私のところへ入ってきたからです。

質問は、軽い口調で尋ねてきたものから、かなり真剣なものまでありましたが、要約するとこんな感じです。

・千葉から避難したほうが良いのか?(3/15時点)

・屋外で作業していて良いものか?(水戸方面の方です)

・今どのくらい危険なの?(3/14時点)

・汚染されるとどうなるの?除染って何?


質問してきた方々は、私が水戸方面で仕事をしていた際、日本原子力研究開発機構(旧核燃料サイクル開発機構)の冷却設備をメンテしているのを知っていた方々で、自分より私のほうが幾ばくか原子力について詳しかろう?と思ってTELしてきたようです。

で、質問については、可愛そうですが「わかりません」と正直に答えました。

池上さんじゃあるまいし、そんな丁寧に判り易く解説なんかできないでしょ!

何より気になったのは、これだけメディアで事細かに報道されているにも関わらず、なぜ私に質問するのか?と言う事です。

だって、そうですよねぇ。TVではどこの局でも必ず「専門家」が付いて司会者の質問に答えていて、上記の質問には全て答えています。

で、質問してきた方々に理由を聞いてみたのですが、2人は「政府、メディアの言う事が信用できない」で、他の方は、報道されている内容そのものが理解できないとの事でした。


今日の本題はここです。

・政府、メディアの言う事が信用できない

・報道されている事の意味が判らない

です。


一社会人であれば、行動に判断が求められ、そこに責任が生まれます。

よって、責任を持つということは、行動する判断に責任を持つと言う事です。つまり、このような災害時などは特に、色々な情報を得て、その情報を解析し理解した上で判断し、行動する事になります。

これは特別な事ではなく、一般人の常識として求められているものです。

日本は被災地で暴動、略奪等が比較的少なく、首都圏でも交通が麻痺した中で大きな暴動も無く、各国から賞賛を受けました。これは、他国に比べそれだけ常識力、つまり情報処理と判断力に優れているからこそ、モラルある行動へと繋がるのだと思います。

しかし、今回は、特別でした。今回求められる情報処理は、さらにハードルがあがりました。

その結果として、私のような素人にも、藁をも縋る思いでTELしてきたのだろうと考えました。


先ほど、TEL頂いた方々には「わからない」と回答したと書きましたが、

これは、「何が正解かわからないので、私の考えはお話しますが、後は自分で判断してください」と言う意味です。

本ブログでは、これと同じお話で、私が今回の事象に関して考え判断した内容を掲示しようを思います。

情報を氾濫させるのは、非常に危険な話です。なぜなら情報処理とは、発信する側より、受け取る側にスキルを要求されるものだからです。特に、それが玉石混交であった場合、さらに困難の度合いが増します。

私が書く事がどれだけ正しいか、自分自身でも判断しかね、思い込むと危険なので、今でも50:50位で考えるようにしています。

ですので、読まれた方も、決して鵜呑みにせず、ご自分で調べ判断し自分の意見としてください。

よろしくお願いします。


まず、

政府、メディアの言う事が信用できない件です。

電話の主は、生まれて間もない赤ちゃんを抱える夫婦です。政府が避難地域を10km..20km..と拡大させる状況下でメディアの専門家は「安全です。どうか落ち着いた対応を」の一点張りのなか、実は今後も避難地域を拡大させ、最終的には屋内待機の元千葉から脱出できなくなっているのでは?との疑心暗鬼になり夫婦で喧嘩になったそうです。で、他人の意見を聞きたいとの話でした。

せめて、赤ちゃんだけでもと言う親の切実な話なのですが、15日の段階では私も政府見解をあまり信用していませんでした。というか、東電の隠蔽体質も考慮の対象でしたし、14日の段階ででた原発の上空写真には非常用冷却水ポンプの燃料タンクが綺麗になくなっていました。(google地図の写真と比べました)

電源を失い中央制御室は非常用電源だけでまかなわれている中、多くの制御機器はダウンしたと思われます。その為、稼動機器類の数値はアナログに頼っていたはずです。その為、肉眼で計器類の数値を読み取っていた結果、読み間違いや例の冷却水ポンプの燃料を切らすといった事が起きたようです。

制御機器の大半が使えないなかマニュアルで操作し、原子炉内を安定させるのは素人目に見ても神業です。

やはり、本当に大丈夫なのか?と言う疑問は沸いてきます。

話を少し変えますが、東海村役場の1Fには、環境放射線モニタリングとして役場の放射線量がどのくらい出ているかを計測し、またその数値をWEB上に公開していました。14日の段階で私がそれを確認しようとした所、そのWEBを見つけられませんでした。いろいろ検索したのですが、もしかすると別のところに違う名前で移動しているだけかもしれません。

が、役場のリンクにも無く、検索にも引っかからない。しかたないので、環境省で原発周りを同様にモニタリングしているページがあるのを知っていたので、それを見た所、ここは福島原発の放射線量だけ「調整中」になっていました。

環境省は、判るとして倒壊村役場のモニタリングはどうなってしまったのか?意図的に伏せているのだとしたら、かなり怖い話です。

ですから、この時点では放射線量の数値が多角的に拾えなかったので、かなり懐疑的でした。

現在は、高エネルギー加速器研究所(つくば)の環境放射線モニタリングのリアルタイムの数値や、日本原子力発電(東海村)の同様の数値がWEBで見られる事がわかり、そこの数値が安定しているので、この数値が政府の公式発表と大きくずれない内は、比較的安心していられるでしょう。

逆にWEBが見られなくなるようだと、疑って掛かったほうが良いかも知れません。

話がそれましたが、この夫婦には上記内容の他に、原子炉内で起きている状況で自分が理解している範疇について散々話した上で、最終的には「避難したほうが良いかどうか、はっきりとは言えない」と締めくくりました。


なんと実のない話なことか...


同様に、疑心暗鬼な方で、屋外作業していて良いものか?と相談してきた方は、ある工場の工務課長さんです。

比較的ラフな口調で「ホントに大丈夫かなぁ~?」と心配されていました。この方曰く、「すでにこの辺(水戸近辺)もやばいけど、実質的に避難勧告なんてだせないから、被災を承知でだまってんじゃないのかなぁ」との事でした。

この段階では、放射線量の数値についてあまり自信をもっていませんでしたので、前述同様の事を話した上で「わかりません」と言いました。ただ、この方は、放射線について幾つか誤解していたので、その点については疑問が解消されたようです。

同様に誤解されている方もいらっしゃるかも知れません。まあ、私も人に説明できる程詳しい訳ではありませんが、高校の化学程度の解釈で説明しておきます。間違っていたらごめんなさい。その分については指摘していただけると助かります。


工務課長さんが勘違いさrていたのは、放射線被害は福島原発から放射線が飛んできて被曝するというイメージの仕方です。

この方は、放射線が直線的に物を透過して水戸近辺まで到達し被曝するイメージを持っていました。

確かに放射線に対するイメージとはそんな感じかもしれません。

ですが、今回についてはまだそういった事はありません。

原子炉の状態から書いたほうがよろしいのでしょうが、話が脱線するので、それは後ほど書きます。

現状の放射能汚染の大半は、原子炉内から漏れ出す水蒸気などと一緒に漏れ、拡散する放射性物質によるものです。放射性物質は、多分メディア等でヨウ素やセシウム等の単語を耳にされたと思いますが、これらが風に運ばれて100km...200km...と遥か遠くまで到達します。現在、つくばでもそれら放射性物質が観測され、注意が必要な状態にありますが、幸い、メディアが言うように人体に直接影響が出る数値より遥かに低い数値が出ているので、そう言う意味ではまだ安心です。

例えは変ですが、焚き火が近くにあって暖かいとは感じるけど火傷はしない程度と言ったところでしょうか。

なんにせよ、放射性物質はつくばまで到達しているので、私はあまり楽観していません。特に、雨の降る今日などはとてもお外に出る気にはなれません。

この工務課長さんは、もう一つ勘違いをされていました。それは、放射線を浴びると、浴びた本人も放射線を放出し、放射能汚染物質(放射能汚染人?)になるというイメージです。

私も詳しくいえませんが、放射線が人体に影響を及ぼすのは、細胞内のDNAを破壊するからだと人から聞きました。調べた訳ではないので、表現が正しいか自信がないのですが、DNAの鎖を切断されることで、癌や変異を起こし、結果人体にさまざまな形で影響が出ると聞きました。

専門家の方がよく「微量の放射線を浴びても問題ない」と言っているのは、放射線を浴びて幾ばくかの細胞が破壊されても、人体はすごいスピードで細胞を入れ替えているので結果影響が無いという事です。

また、放射線を浴びたら、浴びた人も放射線を出すということはありませんが、放射性物質を人体に取り込んでしまうと、話が違ってきます。

お空から降ってくる放射性物質を仮に浴びたとしても、人体の表面に付いただけならシャワーを浴びて洗い流してしまえばそれでおしまいです。体に付いた放射性物質が出す放射線によって少し被曝しても、その元を洗い流してしまえば、それ以上被害は増えず、上記のようにわずかな被曝で済み、影響が無いからです。

しかし、人体に取り込んでしまって、例えば吸い込んで肺の中に留まるような場合、その放射性物質は体内で半減期が費えるまで放射線を出し続けます。その間その人はずーっと被曝し続けるのです。

この意味では、先ほどの工務課長さんが言うように被曝した人が放射線を出すというのは、正しいかもしれません。


話は、脱線しますが、2~3日前からニュースで話題になっていた「イソジン」の話も書いておこうかと思いましたが、だいぶ夜も更けてきましたので、今日はここまでにしておきます。「イソジン」の話は、次回この続きを書きますので、その時汚染と除染の話をかきますから、その時書いておきます。


情報の氾濫に加担した形になってしまいましたが、読んでくださった方の一助になれば幸いです。


今日は、朝からずっと自宅に引きこもっていました。

相変わらず、余震が続いています。

幸い、水圧は弱いものの、水道が復活しました。

これでライフラインは全て復活したことになりますが、明日からは計画停電で朝と夕方3時間づつ程停電になるみたいです。

まあ、私はといえば、電気が無くてもさほど困らないといったら語弊があるが、自宅には懐中電灯が(殆ど登山用とかキャンプ用、ダイビング用ですが)10個前後ありますし、暖房も6畳間の室温をちょっとあげるくらいなら携帯コンロを焚いておけば問題ないでしょう。

先ほど、スーパーの混乱も収まった頃かと、24時間営業のスーパーを覗いて来ました。食料品の大半はやはり品切れ状態で、入荷の予定なしとの張り紙がしてありました。

スーパー側でも、輸送の状態が掴みきれていないのでしょう。

幸い、お酒は沢山残っていたので、ビールを6缶だけ購入してきました。

最近は自宅にお酒を置かないことにしていました。呑みだすと際限な無いので、体に良くないから...

普段ですと、会社が終わると、フィットネスクラブへ行き、自宅へ戻ってくるのは23時過ぎなのですが、計画停電となると、ジムも夕方以降は営業できないでしょう。

となると、停電のさなか自宅にいるしかないので、真っ暗な自宅でガスランタン焚いてビール飲んで読書するくらいしかする事がありませんねぇ。

この状態が4月一杯続くそうで。

一見、「不便て仕方が無いな」と感じがちですが、メカニックの私からすると、この状況下で4月一杯と言い切ってしまった東電さんは「さすがだな!!」と思ってしまいます。むしろ、大丈夫かしら?と心配です。

多分現場の方は不休で復旧に当たっているはずです。周りから悲鳴にも似た「お願い」をされると、休む事それ自体が罪に思えてくるものです。

がんばれ!東電さん。勿論、その他さまざまな復旧に当たっているみな様もですでど。


さて、話はタイトルとは全然別なままここまで引っ張ってしまいましたが、そろそろ本題にはいりましょう。


そんな訳で、私の近所では17時~20時頃まで停電になります。

そんな電気のつかない夜は、星空を見上げるにはチャンスとなります。

いささか不謹慎ではありますが、図らずともそういった状況が生まれるなら、せめて活用してやるのが良かろうと言う事で。


スーパームーンと言う言葉をご存知だろうか?

月の軌道半径は凡そ38万km、楕円軌道を描くので近地点で36万km、遠地点で40万kmだそうです。

3月19日にお月様が近地点に到達するらしいのですが、この時、36万kmよりさらに近づいて35万6千kmになるそうです。

実は、ちょうどその時、月は満月を迎えます。

36万km以下で満月を迎えるとき、それをスーパームーンと言うのだそうです。

つまり、一言で言っちゃえばいつも見る満月よりちょっとだけ大きく見えることになります。


さて、タイトルにもう一つ付けている「陰謀論」ですが、

実は、私、UFOとか宇宙人とか、未知のエネルギーだとか、そういった信憑性に欠ける話が結構好きで、このスーパームーンにも実は、そう言ったお話があります。


スーパームーン現象は、十数年に一度定期的に起きる話なのですが、スーパームーンの前後には、地球規模の災害が起こると陰謀論者は説いています。

それは、重力が地殻に影響を及ぼすからだとか、海流に影響を及ぼすからだとしていますが、きっと今回の悲しい出来事も、陰謀論者にしてみれば、スーパームーンによって引き起こされた現象だと説くでしょう。


昔、中学生の頃読んだSFに、「月は、人間よりも遥かに高度な知的生命体が好戦的な人類の成長を見て、更正の余地無しと判断した時、地球にぶつけて破壊するための時限装置」とした本がありましたが、陰謀論者のお話はSFに近い感じがします。

確かに、地平近くに見える真っ赤な満月は、人々に不吉な妄想を駆り立てます。不気味なまでも美しさとでも言いましょうか。

しかし、天災はスーパームーンとは関係無く、何時でも起きています。

これは地球の営みの一環で、地球で暮らす私たちとしては、もしかすると致し方無いのかもしれません。

とても諦めきれる話ではありませんが、例え都市に暮らしていても自然の中で生かされているという自覚の元に謙虚に生きるのが良いのでしょうね。


どんなに大きな災害があっても、どんなに悲しい目にあっても、必ず朝は来て、山はそこに佇み、海は青く、星は平等に瞬きます。


自然が、時に厳しく、時に優しく、そしてただ美しいとはそういう事なのだと、思います。


良い事も、悪い事も、ぐるっと思いを巡らしたら、

コーヒーを片手に、又は紅茶を、日本茶を、勿論ジュースでも何でもお好きなものを(私は多分お酒を)片手にいつもよりちょっと大きな満月をゆるりと眺めてみてはいかかでしょうか?


明日から、会社の方も沢山いらっしゃると思います。

私もそうですが、一番最初にするのはきっと現状把握と片付けからだと思います。

まだまだ大変な日々が続きますが、明日もがんばっていきましょう。

メールを下さった皆様、心配してくださって本当にありがとうございました。

実際、震度6強を体感して、余震の続く中一人で寝てみて良く解ったのは、人の心遣いのありがたみ、心強さみたいなものです。

音信不通の私に、よくまあ思い出して「無事だろうか?」と思い至ってくれたもんだと思います。

やはり、こういう心遣いは連鎖させないといけないんだろうと思います。


ご心配頂いた皆様へのご報告を兼ねて、昨日今日のこちら茨城南部の状況をお知らせしておきます。


最初から語ると長くなるので、初めにかいつまんで要約を書いておきます。時間の無い方は、この部分だけ読んでください。


茨城県南部 3月12日22:00現在の状況

「電力供給の復旧率は、かなり進んでいるようですが、先ほど車で帰宅する途中見た感じでは、真っ暗なコンビニとか、幹線道路の信号機が消えていたりしたので、所々復旧していない所もあるようですが、主幹送電線は無事なのでしょう。

因みに、私の自宅は、問題無く電力供給されています。

固定電話は11日深夜は使用不能でしたが、12日10:00頃は使用可能になっていました。

ガスは、この辺はガスボンベに頼っている状況なので、結果的に今は問題無く使えています。

水道は、11日は供給されていましたが、12日から断水に切り替わりました。

先ほど、給水車が近くの小学校に配備されたことを伝える市の車が通って行きました。

近所には、火災や倒壊といった事は無いようですが、屋根の瓦が割れてしまったお宅や、近くの神社の灯篭が倒れていたりはしていました。

あ!今も余震が...22:15です。

比較的大きなスーパーやショッピングモールは、混乱を避けるためでしょうか?閉店していました。比較的大型の薬局等はお店を開けていましたが、駐車場は一杯で食料と水でしょうか?段ボール箱を一杯抱えていました。

凄かったのはガソリンスタンドで、どこのスタンドも行列ができていて酷い渋滞が出来上がっています。片側1車線の道路は、事故渋滞と思う様です。

レストランや、食堂、ラーメン屋さん、ファミレス等は、開けている所と、閉めている所が半々といった状況でしょうか?

あと、幾つかの酒屋さんを見て回りましたが、どこも壜が割れてしまったからでしょうか?お店の前に大量の箱を出して片付けをしていました。」



ここからが、本題です。


3月11日14:45頃、私は工場でモーターを製造していました。

強力磁石を扱っていたので、体からは財布も時計も携帯も全部外した状態でした。

最初、揺れを感じた時は震度2位の感じでしたが揺れる時間が妙に長く、それが横揺れから縦揺れに変わった辺りから、「これはやばいかも?」と感じ始め、手近のコンセントとブレーカーを落として、建屋から外へ出ました。工場内には約ですが1000人位働いていると思います。

その内、私と同じ建屋に居た人は50人位でしょうか?その50人も最初は、いつもの弱地震位にしか思っていなかったようですが、縦揺れに変わる頃から避難するのを恥ずかしそうに、ぞろぞろ出てきました。

揺れ自体は2~3分位続いていたでしょうか?体感的にはもっと長く揺れている感じでした。

工場のシャッターが大きな音をたて始め、近くに駐車されていた大型トラックがダンスを踊るように上下左右に震え始めました。次第に、立っているのがやっとな位になった辺りで、みんな「これは尋常じゃない」と思い始めたようです。

揺れが納まったあたりから、工場内で働いていた人達が避難訓練通り避難場所である工場内のグラウンドに集合してきました。

15:00位には大半の人がグラウンドに集まっていたのではないでしょうか?

グラウンドには15:45位まで居たと思います。途中通り雨が降ってきて妙に寒かったです。

その間も、大きな横揺れと、縦揺れが断続的に起こっていました。女性社員の何人かは立っていられず、地面に座り込んでいました。

16:00頃になって会社側もやっと帰宅指示を出しました。

中には、指示を待たず帰った社員も居たようです。

この段階で、私と同じ部署の方でグラウンドで確認できていない人がいたので、私はその方々を探しに行きました。悲しいかな、この内の一人は私の直属の上司に当たる方で、本来であれば避難誘導するはずの方なんですがね。

16:10頃には、部署内の方全員の確認が取れたので、私もアパートの状態を確認しに自宅へ向かいました。

幸い、この段階では停電も事故も無くすんなり帰宅できました。

部屋には、1.8mの本棚があって、この本棚にはCDやらDVDやら小説やら漫画やらぎっしり詰まっているのですが、これが散乱している様を思い浮かべていました。実際帰宅してみると、あらびっくり。思ったほど散乱せずに済みました。購入したCDは棚一杯に詰め込んでいたので、散らばっていたのはスカスカだった棚に有る分のCDと他なの比較的上のほうにある本だけでした。他は、自転車と机の上にあったスピーカーだけでした。スピーカーは使えるかどうか確認していませんが、まあ、あの地震を考えれば少ない被害といえるでしょう。

とりあえず、PCの電源を落としてから、アパートのブレーカーを断。

急いで、会社へ戻ります。

会社へ戻ったのが16:30頃。

会社の事務所へ戻ると、事務所内は書類やらファイルやらカタログやらが散乱し、壁掛けの時計が落ちて壊れていました。

あぁ、こうして地震の時間を示すのか!よくドキュメントで見かける様を実際に目の当たりにしましたが、この時計は床に落ちてガラスが割れても、ちゃんと時を刻んでいました。さすがシチズン!

事務所では、工場内にある寮に住む若手社員達が健気に掃除していました。

他にも、電車が動かなくて帰れない社員が数名残っていました。

その中に、共働きで子供を保育園に預けている方が居ました。

この段階で、奥さんと連絡がつかず奥さんの方が子供を迎えに行けるか判らない状態だった為、とりあえず彼を保育園まで送って行くことにしました。

一旦、地震前に仕事していた工場内の建屋に戻って、財布と時計と携帯をゲット。

工場内は作業台から、かなりのものが落ちて散乱している状態。中には、もう使用できない部品もありそうな感じでした。

工場内の壁にはひびが入って、割れていました。


保育園は、北柏にあるらしく、工場からだと利根川を渡らなければなりません。恐らく渋滞は必至だろうと、急ぎ工場をでました。すでに高速道路は通行止めでした。

幹線道路はすでに渋滞の様相を呈していたので、裏道を通りながら利根川を渡る橋へ向かいました。

道すがら、崩れた塀、真っ暗なレストラン、瓦の剥がれた屋根が目に入ってきました。

幾つかの信号機が停電していました。

その為の渋滞も発生していました。

途中にあったホームセンターや、ジャスコはすでにお客を退去させていたみたいで、閉店していました。

利根川を渡る橋は案の定渋滞で、橋の上をのろのろそれこそ人の歩く早さ位で移動していました。

橋の上に間にも、地震は襲ってきて、橋がねじれる様に揺れていました。

不思議と、橋が揺れているのは見た目にも判るのですが、ゆっくりでも走っていると、車の中ではさほど揺れを感じません。止まると、ちゃんと感じるんですけどね。

橋の上をのろのろ走っていると、左手に大きな炎が上がるのが見えました。

それこそ、一瞬雲を赤く染める位の大きさでした。一瞬燃え上がった炎は、あっという間に消えてしまって、その後、何も起こらないから???と頭の中が?で一杯になったとき、ラジオから千葉県市川市の石油コンビナートで爆発が起こったと放送がありました。

さすがにあの爆発を目の当たりにした時、この期におよんで、まだ心のどこかで非日常を不謹慎に楽しんでいた気持ちが、一気に冷めて行きました。

千葉県に入ってからさらに渋滞が酷くなり、この段階で17:00を回っていました。

橋を降りてからも、車一台位しか通れない裏道を通り保育園へ着いたのは17:40頃。

保育園へ着く直前に、メールで奥さんと連絡が取れ、やはり奥さんの方でも身動きが取れていないことが判明。

自宅の車が保育園の近くにあるらしいので、保育園へ彼を送り届ければそこからは大丈夫らしい。

まあ、私の車にはチャイルドシートがないから、子供さんは乗せられないんだけどね。


送り届けた後、近くのコンビニへ行って公衆電話を探す。

この段階になるとさすがに携帯が使えないのは明白になったので、こうなるとメールも災害伝言ダイヤルも知らない両親と連絡をとる方法は、直接電話するしかないので、公衆電話の出番となる。

こんな時代であってもなぜか私の財布にはテレホンカードなるものが入っている。

自分でも何時つかうんだろうか?と思っていたのだが、まさかこんな日になるとは。

すでに、公衆電話には、自宅へ連絡入れる人、会社に連絡入れる人等などが数人並んでいた。

私の後ろには、道路工事の交通整理をしていた60過ぎ位の方が、仙台空港を飲み込んだ津波の話を教えてくれた。

その人は、会社にみんな無事だって事を伝える為電話したいんだとか。

私の前には、どこのお国の方か判りませんでしたが、日本語の達者な外国人の若奥様が旦那様に電話する為に並んでいました。

実家に電話すると、母がすぐに出て、実家の方には何の被害も無かった事を教えてくれた。こちらの無事も伝えて30秒程で切った。無事が伝われば、後は携帯なり固定電話なりが復旧してからで良いだろう。


18:00前、会社へ戻るため出発。

会社へ着いたのは20:10頃。渋滞はさらに悪化していました。

会社には、まだ自宅に戻れない人が何人も居ました。

まあ、ここなら暖房も電気も水もコンビにも近くにあるし、一晩位なら問題なかろう。

私も帰宅することにした。

自宅へ帰っても、相変わらず余震が続いていました。

幸い、電気も水道もガスも使えたので、あまり悲観せずに済みました。

TVで被害状況を始めて具体的に見て、事態の大きさに気付きました。

メールの受信状況も反応が鈍く、たまに20件位まとめて受信する始末で、その中には、地震メールだけではなく、「無事?」と私を心配してくれる内容のメールもありました。

一人、アパートの一室で余震の怯えていると、こんな心配メールが、妙に心に染みます。

まあ、正直な所、一人で生きていると「別に自分一人だけなら、どうなっても大丈夫」みたいな開き直りがあるのですが、こういったメールを頂くと、あまり自暴自棄な考えもどうかな?と考えさせられます。

余震といっても震度3位なので、PCを起動させておくとHDを破損させかねないので、PCは停止。

原発に火力発電所も稼動を停止したようなので、恐らく電力も不安定なのだろうと思い、エアコンも停止。

現在、電気を使っているのは冷蔵庫と、TVと照明だけ。

22:30まで本を読んでいたが、状況に気疲れしたのか眠気に襲われたので、照明を消して寝ることにする。


12日 AM3:00 緊急災害警報が携帯から鳴っていた。

確かにぐらぐら揺れている。

面倒くさいなぁなんて思いながら、ぼーっとしていると、だんだん頭の中がクリアになって、昨日の出来事が蘇って来る。

まずい!!!!と頭が働きだした時には、揺れが収まっていた。

一度起きてしまうと、寝られないもので、仕方が無いから、そのままベッドの上で本を読み始めると、地震メールが入ってきた。

また、20通位大量に届いたメールには、地震速報に混じって、先ほどよりも多く心配メールが届いた。

この時、「ああ以外にも私は世捨て人ではないんだなぁ」と実感しました。

この後も、震度3程度の揺れが1時間に1回位づつ位続いていました。

5:00位まで起きていましたが、気が着いたら寝ていました。

起きた時は、9:00を回っていました。

実家へ固定電話から掛けてみると、電話も復旧したみたいでコールを始めましたが、4コール位すると話中になってしまいます。掛けなおしてみても同じ。

仕方が無いので、父親の携帯に自分の携帯から掛けてみると、こちらも復旧していました。

コールして直ぐに父親がでて、実家の状況を教えてくれました。

家に被害が無いこと、両親共に無事な事。電気、水道、ガス、電話、全部問題なく、普通の暮らしができている事、母親が固定電話で話し中な事を。

母は、母の実家へ電話していました。

母の実家は長野で、震度5の情報が出て、心配な状況でした。どうやら、長野の方も無事なようで一安心です。

とりあえず顔洗って、歯磨いて会社行こうと思ったら、水の出が悪い。

どうやら水圧が下がっているらしい。

このままだと、取水制限が入るのも間近だろう。もっと早く断水なるかも知れない。

空のペットボトル容器に水を入れる。水はちょっとしかでないので、風呂に水を貯めている時間はなさそう。

急ぎ歯を磨いて、顔洗って会社へ向かう。

会社には、、昨日自宅へ戻れなかった人が結構沢山居た。

私と同じように近場に住んでいる人が、会社に残った社員を自宅へ送ろうと数人やってきていた。

幾つかのパートに分けて分担して送ることになった。

私は、どうしてもグループ分けできなかった、八千代の方と春日部の方を送ることに。

八千代方面は時間も早かったせいでしょうか?比較的渋滞にはまらず、さくさく行けました。

あちこちで、当座の買出しらしいファミリーカーを見かけました。開いているお店には渋滞ができていました。

自覚の早い人から、サバイバル状態に突入していっているようです。

余念に抜かりなしと言ったところでしょうか?

春日部へ向かう道すがらはすっかり13:00を回っていました。

午後に入ると、渋滞は加速して行きます。

なにより、ガソリンスタンド待ちの渋滞が目立つようになりました。

渋滞があると、必ずその先にはスタンドがありました。

春日部のご自宅へ着いて、茨城へ戻る頃になると、16:00を回っていました。車の中にずっと居たので、殆ど余震を感じなかったけど、ラジオでは地震の発生を告げていました。

途中目に着いた酒屋さんは、店の前に崩れた段ボールを大量に出していました。恐らくみんな倒壊して割れてしまった物なのでしょう。

店内もだいぶ散乱しているようす。

とりわけお店を閉めている訳でもなさそうなので、(お店を閉めている所は、たいてい車で入って来れないように駐車場を封鎖している)駐車場へ入って、お店の方に話しかけてみた。

棚ごと倒れたのもあったみたいで、お店だけでなく倉庫のお酒も3~4割り位駄目になったそうです。

これも何かの縁かと思い、スコッチを一本売ってもらいました。

こいつ(スコッチ)もこの地震を生き抜いた代物なら、この事態が収集されたころ、無事だったみんなとこのスコッチで一杯やるのも良かろう等と思います。


自宅へ戻ってこれたのは、21:00過ぎ。

明日は、自宅でお掃除でもしようかと思います。


お~、気付けばもう2:15。かれこれ4時間近く書いていたのか。

よくもまあ、飽きずに書くもんだと我ながら関心する。

読む人も大変だろうに。

これは、究極の自己満足ですね。


さて、今回はここまでにします。

では、みなさんも、まだまだ余震が続く中、お気を付けて。