城古寺城を散策してきました。
私の父の実家は牧丘町城古寺、幼少期には父に連れられて実家の周りの果樹園で遊んでいたことを思い出します。
久しぶりに訪れたところ、そこはお城の城郭であったことが、今更ながらにわかりました。
城古寺城は、平安時代末期に甲斐源氏安田義定が居館を構えていたと云われ、弘安年間(1278年〜1288年)には二階堂氏、天文年間(1532年〜1555年)には武田家の家臣大村伊賀守が城を構えていたと伝えられています。
武田家滅亡後、織田方が敗走し、徳川と北条の甲斐国争奪戦が行われ、徳川が甲斐を手中にした後、天正17年(1589年)に家康の家臣、内藤三左衛門信成が守将となり、城郭の整備が行われました。
天正18年(1590年)北条への小田原攻めが終わり、家康が関東に移封されると、内藤信成は韮山へ行き、豊臣秀吉の家臣、加藤光泰、浅野長政により、甲府城が整備され、城古寺城は廃城となったといわれています。
山梨県内では平山城は珍しく、山城の多い戦国の城の印象ですが、ここ城古寺城は、土塁や堀が残されあたりは果樹園のため、比較的再整備しやすいと感じました。
二の丸には八幡神社が鎮座し、城の鎮守として祀られています。
昨今のインバウンド観光では富士山の見える天守閣が求められていますが、天守台からの富士の眺めも美しく、天守があったかは定かではありませんが、観光目的で模擬天守を建てるのも一つかもしれませんね。
甲府盆地の果樹園を眺めて、気持ちの良い散歩となりました。