虚しすぎる13年
家康の側近として徳川家に仕えた、本多正信、本多正純親子。
家康死後も、重臣として権勢を誇っていた本多正純が世に言う宇都宮釣り天井事件により失脚し、佐竹領の横手にて晩年の13年間を身の潔白を願いながら過ごしたと言い伝えられています。
辞世は、「日だまり を恋しと思う 梅もどき 日陰の赤を 見る人もなく」。
梅もどきは日陰でも育ち、秋には赤い実をつけます
もはや表舞台に立つことのない自らを嘆いた歌であります。
梅もどきの花言葉は知恵。
かの菅原道真も、どんな想いで大宰府に赴いたのか?
家康の息子、徳川忠輝が改易され諏訪に幽閉され92歳と言う長寿を全うした折にどのような心持ちであったのか?
様々な想いが巡りますね。
現代は伝えるツールが数多くあり、昔に比べればとても恵まれておりますが、奥に秘めて、じっと耐えしのぶ肝は尊敬に値するものがありますね。
墓石に向かい、深く手を合わさせていただきました。m(_ _)m