三富の活性化に向けて。
〜三富が生まれるまで〜
明治7年下荻原村、徳和村、下釜口村が合併し、釜和原村に、川浦村、上釜口村が合併して釜川村に、上柚木村、下柚木村が合併し柚木村となりました。
明治17年、村施行により、釜和原村、釜川村、柚木村の三村連合村のなり、明治22年に柚木村のうち下柚木が分村し松里村に編入されたのを期に、三村は合併して「三富村」となりました。
三富村という村名は、合併した三村がともに「富」が栄えることを願ってのものでありました。
かつては三塩軌道(トロッコ軌道)により、豊かな木材、炭や珪石などを搬出して富み栄え、秩父多摩甲斐国立公園の入り口として、山岳観光のメッカであり、民宿を中心とする観光業が隆盛を迎えていました。
そして時は流れ、開かずと言われた秩父往還が雁坂トンネルとして結ばれると、行き止まりから、通過地となり、各地へのアクセスの良さから、過疎が進みました。
平成28年、明治6年に下釜口安養院を仮校舎として「釜口小学校」創立以来143年にわたる歴史を刻み、三富小学校は過疎を背景に統合されました。
地域の核として、心の拠り所としての学舎は5年間の閉校期間を経て、令和の時代に再び、活用を見出せる時代となりました。
時はコロナ。
蜜を避け、類稀な山と水の恩恵を背景に、旧山梨市立三富小学校の学舎から生み出される「富」栄えるための方策?
それこそ現代を生きる私たちが、創造し、磨きをかけて、次世代に繋いで行かなくてはならないと感じています。
1人の力は小さいけど、きっと、故郷を大切に思う人々がつながり、知恵を出して、豊かな社会を創造することが、未来をワクワクに変えていく原動力になるのだと思います。
ピンチをチャンスに‼︎
ともに考え、ともに汗をかき、未来の「三富」を構築すべく、仲間を募集します。
我こそはという同志のお問い合わせお待ちしております。
三富の活性化もみんなでやるじゃん(^^)/