長女と末っ子を連れ立って、躑躅ヶ崎を散策してきました。
もともと歴史オタクとしては武田家三代の館跡というイメージが強かったですが、高校時代はよく週末になるとロッド片手に竜華池でレインボーやブラックバスを釣って遊んでました。
昔話はさておき、来年は武田信虎が要害山を背に持つ躑躅ヶ崎に館を構えて500周年ということで、今年の明治維新150年とも合わさり山梨にとっては特別な周年となります。
人は石垣、人は堀、人こそ根本と説いた武田信玄の生き様は、後世に甲府に入封した柳沢吉保の影響もあり江戸時代を通して褒賞されました。
現代では、甲府駅の南が市街地として形成されていますが、かつては北口の方が栄えていたのだと思います。
信玄公祭りも500周年を機に、本来の武田家の館である躑躅ヶ崎を中心に甲州軍団出陣すれば歴史観も合わさり深みが出てくると感じました。
武田信玄が見た躑躅ヶ崎の風景と空。
今も変わらずに在り続けています。
皆さんもご覧になって見てはいかがでしょうか(^。^)